六節 「その盾が守るもの」

 ハルバートが宿を飛び出してすぐ、部屋に戻ったはずのテオボルトが降りてきた。


「見苦しいところを見せてしまったな、主人。すまない」


 彼も真面目な人物である。一応部外者である僕の前で、身内同士の醜態を晒してしまったことを気に病んでいるようだ。


「いえ……お気になさらないで下さい」


「感謝する。あと……重ねて申し訳ないが、茶を一杯、淹れてくれないか?」


「承知しました。少々お待ちください」


 テオボルトはロビーのテーブルに付き、頭を抱える。自分の選択が誤っていたと後悔しているのか、それとも大人げなく怒りに身を任せてしまったことを恥じているのか。その真実は、僕には分からない。しかし彼にとっても、先ほどの出来事が好ましい事態でなかったということだけは、僕にも伝わった。


 大切な妹を傷つけてしまった仲間に対してどう接すればいいのか、テオボルトにも分からなかったはずだ。ハルバートだけでなく、テオボルトも深い傷を負っていた。彼らの心に刻まれた、邪毒よりも厄介で回復魔法でも決して癒せないその傷は、彼らが、彼らの手でどうにかする他ない。


 ハルバートも、セリアも、テオボルトも、エミリーも、皆それぞれに傷付いている。だからと言って、このままの状態で良いはずはないのだ。全員がこんなことは間違っている気付いているはずだ。それならば、彼らがこのまま離れ離れになっていて良い道理が、どこにある。



 そう、現状を打破し、彼ら4人がまた立ち上がらねば――この物語は進まない世界は救えないのだ。



 僕は意を決して、一歩踏み出す。既に茶葉は煮え、カップに注いだお茶が湯気を上げている。このタイミングでこのお茶を、僕が彼に届けられること。おそらくそれが、僕に与えられた最初で最後のチャンスだ。


 ここまで詳細に言及しなかった、。それを、行使する時が来た。


 手動操作の歯車ギアのイメージではない。更にその先。僕は僕にしか出来ない選択をする。世界を回す歯車ではなく、物語を穿つ銃として。



 ――ガチャリ、と撃鉄を起こすかの如き音が、僕の内に鳴り響いた。



「お待たせしました」


 僕がテオボルトに歩み寄ると、彼は少しはっとしたように顔を上げた。自らの思考に没頭していたのだろう。もしかすると、お茶を頼んだことさえ忘れていたのかもしれない。


「すまない、助かる」


 テオボルトの前にカップを差し出すと、彼はゆっくりとそれを持ち上げ、一口啜った。


「自分のことって、自分が一番よく分からないものですよね……」


「ん?」


 不意に僕に話しかけられたテオボルトは、面食らったように飲む手を止めた。


「ハルバートさんもそうですけど、あなたもそうなのかもしれないですよ、テオボルトさん」


「……何が言いたい」


 顔を上げて、怪訝そうな目を僕に向けるテオボルト。食い付いてきた感触はある。今はただ、僕の言葉が彼に届いてくれることだけを願う。


「あなたの苛立ちは、何に向けられているものなんでしょう。はっきりしないハルバートさん? 動き出せないセリアさん? こんな状況に陥れた邪竜? 本当にそうでしょうか。今のあなたが苛立っているのは、あなた自身にかもしれませんよ」


「俺が……俺自身に……?」


「あなたは立派な方だ。きっとその背中の盾は、あなた自身を、そしてあなたの仲間たちを、何度だって守ってきたことでしょう。だけどそんなあなたでも、今はその仲間たちとの繋がりが守れない。こうありたいと願う、仲間たちの思いが守れない。そのことが、あなたは腹立たしいんです」


 テオボルトは黙り込んで僕を見続けている。じっと耳を傾け、僕の次の言葉を待っている。


「だけど、あなたはその怒りの矛先を、ハルバートさんに向けてしまった。自分が本当は守りたいと思っている相手に、自らやいばを向けてしまったんです。あなたが本当に腹立たしいのは、あなた自身だというのに」


 その言葉を聞いて、テオボルトは思わず噴き出す。


「ふっ、はっはっは! 急に何を言い出すかと思えば! しかしそう……か。そうかもしれんな。確かに言われてみれば、その通りだ。俺は、俺自身の苛立ちの正体が何か分かっていなかった。自分のことが、何も分かっていなかった。『自分のことも律せずして――』か。ふっ、何を偉そうに。自分のことを正せていないのは、他でもない俺自身ではないか」


 自嘲するテオボルト。自らに潜む正体不明の感情が、ようやく彼の中でひとつの形を成したようだ。


 彼の元来の優しさが、彼自身を蝕んでいた。そして彼の不器用さが、仲間を傷付けてしまった。だが、まだ取り返せる。彼にまだ、その盾を背負う覚悟があるのなら。


「自分のことほど、自分はよく分からない。でも、それでいいじゃないですか。それって普通のことです。あなたとハルバートさんだけではありません。みんな同じように、自分のことがよく分からない。だからこそ、人は間違える。だからこそ、人はすれ違う。それは誰が悪いという訳でもないんですよ」


「そういうもの……か」


「そういうものです。だけど、その苦悩から解放されるために、人はまた思い悩む。自分自身を知ろうと、もがき苦しむ。でもそんなとき、無理に自分で答えを見つける必要はありません。自分でどうすることも出来ないなら、独りで結論を出す必要はないんです。だって、そのために――」


 一呼吸入れ、僕は最後の言葉を彼に届ける。


 これが、僕の精一杯だ。



「――そんなときのために、手を差し伸べてくれる『仲間』がいるんですから」



 テオボルトが、目を見開く。僕の目を見たまま、彼は何かに引っ張り上げられるように立ち上がった。


 僕の言葉は、無事に届いたようだ。彼も、自分自身の在るべき姿に気付いてくれたはずだ。


 それでいい。それでこそ彼は、勇者と旅を共にする戦士なのだ。


「ふっ、ありがとう、主人。目が覚めたよ」


「いいんです。さあ、行ってください。きっと2人が、待っていますよ」


 目の前で立ち上がった戦士を、僕は鼓舞する。彼が、彼の仲間と、もう一度やり直せるように。僕の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。


「ああ、行ってくる!」


「はい、お気をつけて!」


 そしてテオボルトは宿を飛び出した。彼は駆ける。彼を待つ、仲間の下へ。


 僕がやれることはここまでだ。これから彼らがどんな物語を生み出すのかは分からない。でも僕が、少しでもその一役を担えたのなら、幸いだ。



  ***



 さて、種明かしだ。


 基本的に物語への干渉をすることのできない僕だが、実は例外的に一度だけ物語にアクションを起こすことが出来る。なぜ出来るのかは知らないが、そういう風になっている。


 僕はこの特権を「加筆修正アド・リビトゥム」と呼んでいる。


 一度だけ、とは言え本来傍観者たるべき僕には過分な特権である。しかしこの干渉というのも、ある程度それまでの関係性などが重要になってくるので、そう便利な物ではない。主人公たちと全く関わりが持てていない状況では、何をやっても相手にされないだろう。


 ただ当然、ここでの僕の行動によって物語が大きく変わってしまうこともある。場合によっては、何もしなければハッピーエンドになっていたかもしれない物語がバッドエンドになったり、そもそも何の影響も与えられないことさえある。その辺りは運次第だ。


 しかし初めにも触れた通り、僕には物語を良い方向に展開させる義務もないし、劇的な変化を引き起こすことを強要されてもいない。当然、主人公になれるわけでもない。


 今の自分の立場から出来ることを自由に行えるだけ。そう、まさしくただ「干渉することができる」だけだ。


 強いて言うなら、端役から脇役への昇華。それもワンアクションのみという制限付き。それがこの特権の正体である。


 ちなみに、「主人公と衝突直後の戦士を鼓舞する」というのが、今回の「加筆修正」だ。「ただ一度のみの干渉」とは、その一連の流れを通して「一度」とカウントするようである。


 したがって、「一言交わしたら終了」などと言う理不尽な状況にまではならない。このあたりは良心的だ。ただし、相手と露骨に会話が成立しない場合は、一言で終了することもある。


 行使しない自由も、勿論与えられている。だが、使えるものを使わないというのは、いささか勿体ない気がするので、使い方はともあれ出来るだけ使うようにしている。今回の物語では、このタイミングがベストだと判断した。


 端役のまま終わっても不満はない。ただ、僕が何かの役割を持てる瞬間があるなら、それは脇役だとしても光栄なことだ。だから僕は、ただ一度の脇役になる事を選択する。


 そして脇役なら脇役としてで構わないから、一度は物語に大きく関わってみたい。こんな訳の分からないことをやらされているんだ。それぐらいの小さな夢なら、きっと許されるだろう。


 もし脇役になるのなら、僕は物語の最後に主人公たちの端で少しだけ思い出されるような脇役がいい。



 そうだ。どうせ脇役になれるのなら。



 僕は――「名脇役バイプレイヤー」になりたい。

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