四節 「一日目(iv)~海昏島」
海昏島の港へと船を着ける。
「お疲れ様。到着だよ」
「ありがとうございました」
代表して、圭太が頭を下げる。ぞろぞろと船を降りる学生たち。降り際、僕へ簡単に会釈をしながら、彼らは島へと上陸する。
明彦は康介に肩を借りながら、最後に降りてきた。
「長い航路、世話になったね……キャプテン……」
キャプテン? 僕の事か? 変わった表現をする子だ。キャプテンなどと呼ばれるのは中学校の野球部以来だ。
生気が抜けてしまったような明彦は、そのまま康介に支えられながら、海昏島の地へと足を踏み入れる。
「助かりました。では、また明々後日によろしくお願いします」
船の付近で待っていた桂太が、謝辞を述べる。
「……あ」
その時、思わず声が漏れた。
そうだった。僕は今から、本土へと帰らなければならない。
しかしそれはまずい。非常によろしくない事だ。何故なら、僕がここで帰ってしまうと、最後の最後で物語の顛末だけを知ることになる可能性が高い。
いや、まあそれでも構わないのだが、流石につまらない気がする。遠く離れた島で起きる物語にただ漠然と思いを馳せるなど、最早傍観者でさえない。
これほどまでの端役を押し付けられるとは……。僕をこんな状況に陥れた存在は、確実に性格が悪い。
露骨に冒頭である事が分かる状況なのに、ここで「
うーん、仕方がない。
僕は撃鉄を起こした。
「どうかされました?」
突如、妙な声を漏らした僕を怪訝そうに覗き込む桂太。
「いや、何でもないよ。そうだね、明々後日また迎えに来るよ」
「よろしくお願いします」
「ただ、今日の夕方頃まではこの辺をうろついてるから、何かあったら教えてよ。僕もこの島の話は聞いていたけど、実際に来るのは初めてだから、少し見て回りたいんだ」
「え……ああ、そうですか。分かりました」
桂太は少しだけ不自然に思ったようだが、素直に聞き流してくれた。大方、自分とは関係ない事だからと、すぐに興味を失ったのだろう。
この手段以外にも、撮影を見学させて欲しいと頼むか迷った。しかし許可を得られなかった場合、僕はすごすごと帰る羽目になるので、これは確実な手ではない。あくまで自分の都合で残るのが良いはずだ。
他には、何も伝えずこっそり残って彼らを眺めるという作戦も考えはした。しかし嫌な予感がする現状、折角なので僕と言う逃げ道を明確に残した場合、物語がどう変化するのかも見てみたくなってしまった。
序盤に加えた干渉が、どのような結果をもたらすかには興味がある。今までこの早さで「加筆修正」を行使したことは無かった。
もちろん、夕方で帰る気など全く無い。僕は彼らに見つからないように居座り続け、この物語を草葉の陰からじっくり鑑賞するつもりだ。
契約内容の「余計な行動はしない」に抵触しそうだが、「夕方まで」という部分で今回は大目に見てもらえる事を願うしかない。
――何より、今は金より僕の存在意義の方が大事だ。
ごめん、増田さん。飲み会はなくなるかも。
「物好きだね、キャプテン。伝説を知ってなお残ろうなんて」
「まあ、僕も君たち若い子に触発されたって所かな。どうせ何もないだろうから、雰囲気だけ味わったらさっさと帰るよ」
「ふーん。じゃあまあ、せいぜい吸血鬼とやらに気を付けるんだね」
明彦はやや僕の行動を不審に感じているようだ。やはり勘は鋭いタイプらしい。厄介な主人公だ。
しかし先ほどの桂太同様、僕が何をしようが彼らには大した問題では無い。彼らに洋館までの行き方を教えてあげると、すぐに僕の事などどうでも良くなったようで、素直に山の方へと向かって行った。
さて、頃合いを見て後を追うことにしよう。
僕は船を適当な場所に停泊させて、彼らの姿が見えなくなるのを待った。
***
学生たちの姿が見えなくなって、1時間ほどが経過した。時刻は10時を少し過ぎた頃だ。
そろそろ向かっても良いだろう。
僕はゆっくりと、彼らが上って行った山道へ向かう。
洋館までの道は案外近い。距離的には港から歩いて30分程度だ。実際に歩くと登り道なのでもう少し掛かるかもしれないが。
元々はもう少し分かり難い道を迂回しながら、時には道なのかさえ分からないような山道を登らなければいけなかったらしい。しかし島と洋館がこうして半ば観光施設のような状態になった事で、どこかの金持ちが道も整備したようだ。今では港から最短ルートで洋館に辿り着くことが出来る。
山道を歩いていると、徐々に木々の隙間から石造りの外壁のようなものが見え始めた。疲労感はそれなりにあるが、想像していたよりは、やはり早かった気がする。
さて、これからが問題だ。
実際に洋館の敷地の前に来てみたが、周囲を石の塀でぐるりと囲まれており、ここからでは洋館の入り口どころか庭さえ見えない。
彼らの様子を覗くためには、門から敷地内に侵入する必要があるが、果たしてその後、見つからずに洋館付近まで辿り着けるのか。
――しかし、考えた所で他に良い案が出る訳でも無い。
僕は出来るだけ周囲に気を配りながら巨大な門をくぐり抜け、視線の先に聳え立つ洋館へと歩を進める。
枯れた噴水などを目にしながらぼんやりと歩いていると、徐々に若い男女の話し声が聞こえ始めた。大分彼らに接近して来たようだ。
可能な限り繁みを駆使しながら、声のする方へと向かう。
洋館の入り口の前には、石畳が敷かれたちょっとした広場のような空間があった。そこには見覚えのある人影が、撮影器具などを広げながら、わいわいと騒いでいる。
広場は目測で50m以上の広範囲に開けており、周囲に隠れられる樹木や繁みはあるが、彼らの声までは届かない。
どうしたものか。
考えながら、とりあえず洋館の入り口付近にあった柱に身を潜める。
――その時、背後から地面を踏む音が聞こえた。
まずい、誰か来たのだろうか。僕は後ろを振り返ろうとした。
しかし僕は最後まで振り返る事は出来なかった。何者かに背後から紐状の物を首に巻き付けられ、首から上が固定されたのだ。
状況を理解するより早く、無情にも僕の喉元はそのまま締め上げられた。
「あっ……がっ……!」
自分がどうなっているか理解したときには、もう遅かった。
まともな発声は許されず、鼻からも口からも空気は通らない。
肺が、徐々に重さを増していく。
「うっ……あッ……!」
どうにか後ろを振り返り、その正体を掴もうとするも、首は回らない。
脳は酸素を失い、意識が朦朧としてきた。視界はちらちらと明滅を繰り返す。
もう手足の先には、何の命令も届かない。ばたばたと暴れているつもりなのだが、本当に動いているのかさえ怪しい。
「うぇッ……ゲッ……!」
目の端から溢れ出た涙が、頬を伝う感触が残る。しかしその感覚さえも、追い詰められた僕が作り出した幻なのかもしれない。
ただそれでも、僕に残る最後の僅かな意識は、ひとつの言葉を脳内で何度も繰り返していた。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!
――僕は死んだ。
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