三節 「一日目(iii)~海昏島の伝説」
船は順調に海昏島へと向かっていた。
学生たちは思い思いに、わいわいと騒いでいる。
その中で、明彦だけは憔悴しきった顔で船内のベンチに横たわっていた。開始10分で体調不良を訴え、既に1時間はこの状態である。あと1時間半掛かるが大丈夫なのだろうか。
「それにしても、何を好き好んで君たちはあんな島に?」
黙って船を動かし続けるのにも飽きて来たので、漁船の操舵は身体に任せ、近くにいた佐織に尋ねてみた。
「あたしたち、映画サークルだから、撮影に行くんですよ」
「うん、それは知ってる。だけど、あの島の曰くを知ってて行くんだろう?」
「もちろん! 寧ろそれが目的なぐらいですよ!」
佐織が突如目を輝かせて声を張る。まさかそんなに盛り上がるとは思わなかったので、少し虚を突かれてしまった。
「ねえ、おじさん。あの島の吸血鬼伝説の話とか何か知らないの? 知ってたら教えてよ!」
続け様に詰め寄ってくる佐織。
そういえばその話もしなければいけなかった。危ない危ない。増田さんとの飲み代を稼がなければいけなかった。
「うーん、あんまり気分の良い話じゃないけど、それでもいいなら」
「いいよいいよ! そういうのを求めてるから!」
「それじゃあ、島に着くまでの間、少しだけ昔話を聞いてもらおうかな」
僕は、海昏島に伝わる吸血鬼伝説を話し始めた。
***
海昏島もかつては有人島だった。とは言っても、それももう江戸時代までの話で、近代以降は今の無人島の状態を保っている。
これは海昏島で起きたある事件によって、島民が皆、島を離れてしまったためだ。
一連の出来事は、突如として島民を襲った連続変死事件から始まった。
ある日、島に住む漁師の娘が、全身の血液が完全に干上がった状態で死亡しているのが発見された。死体の首筋には細い針で刺されたような傷が2つあったものの、具体的な死因は明らかに出来なかった。
初めは不安や悲しみに暮れていた島民たちであったが、いつしかこのような変死事件があちこちで起きるようになると、彼らの感情は恐怖に支配されていった。原因究明に急ぐも、やはりその正体が掴めない。
そしてある時、誰かが言った。これは人間の生き血を啜って生きる鬼の仕業であると。
追い詰められていた島民たちは、その発言に同調し、いつしか島内ではこの吸血鬼の存在がまことしやかに騒がれるようになった。中には夜間、
島民たちは躍起になってこの吸血鬼を探し始めた。しかし、実際に吸血鬼が発見されることはないままに、死者は増え続けた。半年も経つと、ただでさえ人口の少なかった海昏島の人々は、半数にまで減少していた。
しかしある夏の暑い朝。吸血鬼を討伐したと
初めは懐疑的だった島民たちだが、彼が実際に討伐したという吸血鬼の首を見せると、その反応は一変した。血塗られたその首は、額に小さな2本の角を持ち、口元からは鋭い牙が覗いている。
不思議とその容姿は島民たちが目撃した吸血鬼の姿にも酷似していた。また、鬼が浮かべる表情は、この世の物とは思えない狂気を孕んだ苦悶に歪んでいる。吾作が手にしている異形の首は、紛うことなく吸血鬼であると誰もが確信した。
吾作は途端に英雄として、島民から讃えられた。矢継ぎ早に人々は彼の英雄譚を聞きたがる。吾作は正直な青年だったので、その一部始終を口にした。しかしこれが、彼の運命を地の底へと叩き落す事になる。
やや話は逸れるが、この島の内陸部、切り立った山の中には、ある異国の商人が住む洋館があった。本土で商いをするための拠点として、距離的に都合の良かった海昏島に移り住んだのだ。
しかし当時の日本は鎖国状態で異邦人への風当たりは強い。幕府の目が届きにくい離島とは言え、国内の許可されていない地域に洋館を建てて移住するなど、本来ならばあってはならない話だ。しかし、やはり本土との往復の問題や単純な面倒さなどから、幕府はその存在を認識してはいたものの、半ば知らぬ振りを続けていた。
とは言え、自分たちの島に、突如として謎の異人が我が物顔で館などを建てて、島民が納得できるはずはない。地主は
そして島の人々の間で、山奥の館やそこに住む異人とは関わらないようにする事が暗黙のルールとなっていた。
話は戻り、吸血鬼を倒したという吾作。彼は、吸血鬼にはいくつかの弱点があり、それを利用して打倒したと言う。
その弱点とは、太い杭で心臓を破壊する、銀の弾丸で撃つ、流水に晒す、日の光を当てると言ったものだ。その中に十字架や清められた装身具等に恐怖を示すという物もあった。
この話を聞いた途端、彼を称賛していた島民たちの顔色が変わった。続けて、何故そんな事を知っているのか尋ねると、吾作は山奥に住む異人に聞いたと言う。打倒のために使用した武具なども、その異人が提供してくれたと言う。
この話を承けて、島民たちは口々に吾作を責め立て始めた。
島民は、吾作が異人などに助けを求めた事が受け入れられなかった。また、十字架や聖水等は、当時の日本では信仰を禁じられていたキリスト教で扱われる品々だ。この事実が、彼らの怒りに拍車を掛けた。
それ以降、吾作は英雄ではなく異端者として島民から迫害を受けることになる。彼の農作物を買う物はいなくなり、外に出ると罵詈雑言の嵐が投げ掛けられた。彼は日に日に衰弱していった。
島民は、彼が吸血鬼を討伐して以降、変死体が出ていないという事実にさえ、気付いていなかった。
弱り切った吾作は、最後の頼みの綱である、山奥の洋館へと向かった。
しかしそれを見つけた島民たちは、焦燥感を抱く。彼が自分たちに復讐するため、また異人に助けを借りに行ったのではないかと、恐怖に駆られていた。
そして島民たちは、吾作を襲撃した。
ある者は鍬を持ち、ある者は松明を掲げ、吾作を追い続けた。
吾作がどうにか難を逃れ、洋館に辿り着いた時には、日が完全に落ちていた。夜の洋館に、島民たちの持つ炎が詰め掛ける。
恐怖と狂気に満たされた島民たちは、初めて目にする洋館を前に思う。
吾作と共に、この得体の知れない異人も消してしまおう。
そして、島民たちは固く閉ざされた門扉を破壊し、洋館へと雪崩れ込んだ。
島民たちは洋館内を探し回った。自分たちの不安の種を消し去るため、血眼で徘徊し続けた。
そして、吾作は見つかった。
吾作は洋館の主と思われる異人と共に、銀の装飾が施された美しい銃で頭を撃ち抜き、息絶えていた。
そこで、島民たちは我に返る。自分たちが犯してしまった罪の重さに、彼らは苦悩した。
それ以降、村では不幸が続いた。
疫病の蔓延、不慮の事故の多発、疑心暗鬼になる隣人たちとの不和。島全体が、徐々に衰退していった。
彼らは思った。
吾作が、自分たちに復讐をしているのだと。悪霊となって、島を根絶やしにしようとしているのだと悟った。
そう気付いた時には、村の人口は事件当初の4分の1以下にまで減っていた。
生き残った村人たちは、この島に残り続ければ自分もどうなるか分からないと、村を次々去って行った。
最後の一人は贖罪のためか、もう一度洋館を訪れたようだ。放置されていた吾作たちの遺体を弔い、村を去ったであろう痕跡が残っているらしい。この遺体は、今でも洋館のどこかに眠っているという噂だ。
ともかく、こうして海昏島は無人島となった。そして本土へと渡った島民たちによって、この島は後にこう呼ばれることになる。
恨みと復讐の島――「
***
「って言うのが、海昏島の吸血鬼伝説だね。満足した?」
「したした! いいね~、悔恨島。面白そうじゃん!」
佐織が満足そうに頷く。初めは佐織にだけ話していたが、いつの間にか船内の全員が僕の話に耳を傾けていた。
「余談だけど、結局今となっては島の洋館は物好きなコレクター達に売買されたり譲渡されたりしているみたいだね。いつだかの持ち主が、こうしてたまに島を訪れる人のために宿泊可能な施設として多少のリフォームはしたみたいだけど、概ね当時の状態で残っているはずだよ」
「へー。じゃあ、あたしたち以外にも島に行く人はいるんだ」
「ごくごく稀にだけどね。少なくとも、こうして僕が連れて行くのは今回が初めてだ」
そしていよいよ、船は海昏島へと到着する。
――復讐の炎を燃やす、悪鬼を乗せて。
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