一節 「ある朝の日常」

 窓辺から射し込む朝日を感じ、瞼を開くとそこは知らない天井だった。


 いや、今の僕が知らない天井だというだけで、思い出そうと思えば思い出せはする。しかし物事には順序がある。ひとつずつ順番に思い出していこう。


 僕の名前はジョージ。エドアルト大陸の山中に位置する、ローリエ村という小さな村で宿屋を営んでいる。たまに村を訪れる旅人に宿を提供するだけなので、特に儲かっているわけでもないが、僕一人が生きていくだけなら十分な稼ぎを得ている。


 母親は僕を生むのと同時に他界。元々この宿を経営していた父は、男手一つで僕を育ててくれたものの、3年前に村を襲った流行病はやりやまいで同じく逝去。以来、僕がこの宿屋を一人で切り盛りしている形になっている。


 父さん、いい人だった……確か。


 朝目覚めた僕は、まず顔を洗い朝食の準備に取り掛かる。今日はパンと簡単なスープで済ませるつもりだ。時間には余裕があるし、昨日買ったばかりの茶葉で、お茶を淹れてもいいかもしれない。


 このあたりの作業はわざわざ思い出すまでもない。僕が思い出せなくても、体は勝手に動く。ある程度の動作は、普段の僕がこなしている中で最もそれらしい行動に自動的に落ち着くようになっている。自動操縦オートパイロットシステムのそれに近いものだと考えてよい。


 洗顔時に鏡を見たところ、僕の容姿は中肉中背、特に目立った目鼻立ちでもなく、髪と目の色は黒。大体外見はこの状態に収まるようだ。


「おーい、ジョージ! おはよう!」


 宿の入口から僕を呼ぶ声が響く。経験則から配送屋のブレットだということは即座に分かった。


「今行くよ、ブレット」


 僕は調理場から足早に自分を呼ぶ声の方へと向かう。入口には大柄で色黒の男が木箱を持って立っていた。


「いつもありがとう、ブレット。この辺に置いといて」


 僕が促すと、ブレットが近くのテーブルに荷物を置いてくれる。これも毎日の流れだ。


「まあ、これが仕事だしな。お前も何か届けたい物があれば、言ってくれよ!」


「はは、分かったよ。そのときは間違いなくブレットに頼むよ」


「ハッ、頼んだぜ。じゃあ、俺は次があるんで、また明日」


「ありがとう、またね」


 ブレットは用事を済ませると、早々に馬車を引いて宿を去った。それを僕は笑顔で見送る。ブレットはこの村近辺で配送屋を営んでおり、毎朝、卵やミルクなどの生鮮食品を生産者の元から届けてくれる。村人思いの気の良い男だ。


 さて、ブレットが持ってきてくれた木箱を開けながら、今度はこの世界についての記憶を辿る。


 ここはエドアルト大陸。300年ほど前にアレックスなる勇者が邪竜を封印して以来、世界は平穏を極めていたが、5、6年ぐらい前にその邪竜とやらが封印を解かれたらしく、大陸内はすっかり奴の脅威に脅かされている。とは言えここ最近、新たな勇者なる人物が現れたようで、彼とその一行が邪竜討伐に乗り出しているとのこと。


 また、この世界には魔法が存在している。誰もが使えるわけではないが、この世界において魔法使いという存在はそう珍しくはない。ただし、勿論僕に魔法は使えないし、仕組みもよく分からない。基本的に、その世界における特別な能力を僕が持つことはない。


 一応、これが僕の知っているこの世界についての概要。


 ここまでを踏まえて、僕はこの世界を「ファンタジー」系の世界だと推測することができる。この世界での優秀な能力は持たないものの、こういった所謂いわゆる「ジャンル付け」のような憶測は可能だ。剣や魔法、魔物やドラゴンといったものが出てくる世界観は、僕が安直に想像するファンタジー世界そのものだ。


 加えて、この世界には「核」となる存在がいる。いわばこの世界の「主人公」と表現しても良いだろう。ただし、言うまでもなく、僕は主人公ではない。


 ではその主人公とは誰なのか。今回は記憶からの類推だけでも、その新たな勇者とやらがそうだろうと容易に分かるが、どうやらこれは確実に認識できる仕組みになっているらしい。証拠に、僕は現時点でその主人公の名前を知っているし、実際に会えばこの人物こそがそうだという事も瞬時に分かる。基本的に僕は特別な能力を持たないが、これはちょっとした能力かもしれない。


 そしてこれら全ての現象は、この世界がある特殊な前提の下に成り立っているがゆえに生じている。



 そう、僕がいるこの世界は「物語」の世界だ。



 僕はその登場人物。と言っても、先ほど確認した通り主人公は僕ではない。かと言って何か重要な役割を持っているわけでもない。ただの傍観者。いわば脇役……というより最早これは端役モブと表現した方が正しいのかもしれない。


 主人公やその周囲の人物に僕が干渉するのは最低限度に留められるし、物語全体に大きな影響を与えられる存在でもない。したがって、必ずこの物語をハッピーエンドにしなければならない、などという制約もなく、唯々ただただこの物語が結末を迎えるまで待つ、というのが僕がこの世界でやらねばならないことだ。


 何故そんなことをしなければならないのかは知らないが、そうなっているのだから仕方がない。ただ僕はやれと言われたことをやっているだけだ。


 ただし、こんな訳の分からない世界でもひとつだけ、僕にしかできない事もある。それはこの世界での「僕」の前提を少しだけ覆すことができる、ささやかな楽しみだ。端的に言うと、僕にはただ一度だけ行使できるがあるのだが……少し長くなるので、この詳細については追々にしよう。



 ともかく、これが僕に与えられた現状で、僕という存在の定義である。

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