八節 「旅は続く」

 普段激しい運動もしないのに全速力で走ったものだから、僕の肺は悲鳴を上げていた。喉から入る僅かな空気を少しでも身体に取り入れようと、僕は小刻みな呼吸を繰り返す。胃もおかしな痙攣を起こしている感覚がある。


 気付けば僕は見慣れた宿の中にいた。そんなに一生懸命走り続ける気もなかったのだが、足が勝手に動き続けたのだから仕方ない。その反動が、今一度に返ってきている。明日は間違いなく筋肉痛だ。


 何故僕はあの場に居続けられなかったのか。答えは明白だ。僕があの場に留まっていると、物語に干渉してしまうからだろう。


 見たところ、あのマルクァスという魔人は敵幹部の一柱に違いない。そのレベルの敵とハルバート達4人との戦闘は、まず間違いなく大規模な物になる。とすると、その周辺で僕がぼんやりと眺めていたら、そのまま飛び火を受けて死んでしまう可能性が大いにある。


 主人公たちの戦闘で、村人の一人が死んだとなれば、それは十分過ぎるほどの物語への干渉だ。そんなことを見過ごしてくれるほど、僕をこの状態に陥れた者は甘くないということだろう。知ってたけど。


 ともかく、僕は物語上邪魔な場所にいたので強制帰宅させられた。これが今回の現象の結論だ。


 そんな事を考えながら、小一時間ほど宿でぼんやりとしていると、ハルバート達が帰って来た。


 全員が衣服にそれぞれすすや泥を付着させ、明らかに戦闘が行われたことを示唆している。ハルバートに至っては血は止まっているものの、頬に深い切り傷を刻み込んでいた。


「え! 皆さん、何かあったんですか! エミリーさんまで一緒で……」


 僕の口が、何も知らない体で勝手に言葉を紡ぐ。当然と言えば当然だ。僕はテオボルトが去って以降も、物語上この宿に居続けたことになっている。彼らがまた再結束したことなど、本来なら知る由もないのだ。


「いや、何。ハルバートが少しやんちゃをしてな。雑木林で転んでしまったのだ」


「雑木林で? また何でそんなところに……」


 テオボルト……言い訳が下手くそ過ぎではなかろうか。仮に僕が善良なただの村人だったとしても――いや、ただの村人なのだが、ともかく、そんな言い訳ではさすがに誤魔化されないと思う。


 と言うか誤魔化すのか。僕はあの後どうなったかが知りたくてたまらない。マルクァスとかいう魔人は倒したのか? それとも引き分けたのか? 何でもいいから、情報をくれ。


 手負いの彼らの様子から見るに、戦闘だけは確実に行われたはずだ。ただあの急展開から、幹部を打倒する状況にまで持っていけるだろうか。


物語的には、ハルバートの内に眠る邪竜の血とやらを解決する展開パートも必要なはずだが……。もしやそれも既に解決したのだろうか? 情報が無さ過ぎて、謎が謎を呼んでいる。


 しかしそれを僕が尋ねることは出来ない。既に一枚しかないカードは切ってしまったのだ。


「おい、テオボルト、やめてくれよ!」


 笑いながら、ハルバートがテオボルトを肘で小突く。やはりマルクァスの件に関して、僕は蚊帳の外のようだ。仕方ないだろう。そこまで含めて、僕の運命だ。


 しかし何はともあれ、彼らの仲は元通りに修復したと見て良さそうだ。


「よく分かりませんが……ともかく。皆さん、汚れた衣類は洗っておきますので、まずはお風呂へどうぞ。その間にお食事を用意しておきます」


「お! 気が利く~! 私もうお腹ぺこぺこ!」


 セリアが腹を抱えて、げんなりとした表情を見せる。彼女は彼女で、ここまでよく耐えてきたと思う。


 ハルバート、セリア、テオボルトが浴場へと向かう中、エミリーがこちらへトコトコと歩み寄ってきた。


「ご主人さん、初めまして。エミリー・ブラッドです。兄達がお世話になっています」


「よくお越し下さいました、エミリーさん。どうぞ、ごゆっくりして行って下さい。お部屋も、もう1つ用意しておきますね」


 ありがとうございます、と笑顔を見せながら軽くお辞儀をするエミリー。小走りで、3人の下へと帰ってゆく。


 これでようやく、4人が本当にあるべき姿に戻った。それでこそ主人公一行に相応しい。それでこそ世界を救うべき者たちに相応しい。


 浴場から聞こえてくる彼らの賑やかな声を耳にしながら、僕は夕食の支度を始める。食材を選別している僕の口元からは、誰に向けるでもなく自然と笑みが零れていた。



  ***




 それからの毎日は、特に魔物の襲撃等もなく、平穏に進んだ。


 エミリーの完全な快復を待ってまた旅立つという事だったので、ハルバート達は更に一週間ほどローリエ村に滞在していた。その間彼らは村の人たちと親交を深め、アレンなどはセリアに随分懐いたようだ。抜け目の無い奴である。少々これからの将来が思いやられる。


 旅立ちの日には、村の人間全員で見送りを行うことになった。皆、村を救った英雄として、ハルバート達に感謝の気持ちを伝えたかったのだろう。


「ローリエ村のみんな、ありがとう! 最初は迷惑も掛けたけど、オレ、本当にこの村に来て良かったって思ってる。感謝してもしきれないくらいだ! 本当にありがとう!」


 ハルバートが、村の入り口で声を上げる。村の者たちが、彼の言葉で歓喜に湧いた。


「絶対、また来るからね! みんなありがとう! アレンも、またね!」


 村人たちの一歩前で彼らを見送るアレンに、セリアが声をかけた。


「じゃあな! セリアの姉ちゃん! 絶対、また来てくれよ!」


 アレンが叫びながら、懸命に手を振っている。こいつは本当にどうしようもない奴だ。社交辞令という言葉を今度教えてやろう。


「みなさん、ありがとうございました。本当にお世話になりました!」


 エミリーが手を振る。村の男衆が、エミリーの名を呼びながら数々の声援を送り返す。この一週間、エミリーが与えた癒し効果は絶大で、数知れぬ者達がその心を鷲掴みにされていた。ぼんやりと進んでいた村の日常は、彼女のおかげで活気を取り戻したのだ。


 テオボルトは、ただ黙々と先に歩き去っていた。しかしその横顔には、微笑みが浮かんでいたように見える。最後まで、男気の溢れる人物だった。



 こうしてハルバート達は、ローリエ村を去って行った。村の人たちは4つの影が見えなくなるまで、思い思いの言葉を投げながら彼らを見送っていた。

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