十二節 「二日目(ii)~第二の事件」
明彦は康介と共に、1階の廊下を歩いていた。事態の深刻さに反して、のんびりとした様子の明彦を康介は急かす。
「おーい、せめて走ろうという気持ちぐらいは見せてくれよ明彦ー!」
しかし、康介の言葉もどこ吹く風。明彦は澄まし顔で歩き続ける。
「闇雲に探したって、労力の無駄だよ。頭を使えば、足を使う必要はない」
「そんな事言ったってよぉ……。お前には長谷川さんがどこにいるか分かるのかよ」
「ある程度、見当は付いてる」
明彦の言葉に、康介は驚愕の表情を見せた。
「マジかよ! じゃあ先に言えよ! どこだよ!」
「そう噛みつかなくても教えるよ! 君は飢えた野犬のようだね……!」
明彦の肩を掴んでぶんぶんと揺らす康介に、明彦は必死で答える。船の件もそうだが、明彦は三半規管が弱いのかもしれない。
「はぁ、はぁっ……。まったく……。し、食堂に来るには、エントランスを通るだろ……?」
ようやく解放された明彦が、康介に説明を始める。あのわずかな時間で、随分な疲労度だ。
「ん? ああ、そうだな」
客室と食堂はエントランスを挟む形で造られている。2階の客室に行くにも、エントランスの階段を使わなければ上には上がれない。したがって、客室と食堂を往復するには、必ず一度そこを通らなければならないことになる。
ちなみに明彦の部屋は2階で、康介は明彦の隣の部屋である。
「今朝、玄関からエントランスにかけて、何かを拭き取ったような跡が床に残っていたんだ。あの時は堀田さんが外から何か道具でも引き摺って来たのかと思ったけど、こんな事が起きてしまったのなら、思い当たる節は1つしかない」
「あ! つまり、誰かが大毅さんを引き摺って運んで来たのか。いやあ、俺は全く気付かなかったけどな」
「結構きれいに拭き取られてたからね。僕が見えたのは、外の光で床から反射した拭き跡と、ちょっと拭き残してた泥の跡。ただ、普段からちゃんと物を観察していれば、簡単に気付ける事だよ」
僕も全く気付かなかった。今朝の僕の頭の中は、明彦の寝相の件で持ち切りだった。
「そして、その跡はエントランスの横、チャペルに繋がっていた」
「ああ、あの礼拝堂か」
「きっと、長谷川さんはそこにいるよ」
そんなことを話しながら、2人はエントランスを抜け、礼拝堂の前へと辿り着いた。
明彦の話を聞いたばかりなので、僕はここに着くまでエントランスの床に注目していた。しかし確かに点々と泥の跡こそあれ、床を拭いた跡なんて殆ど見つからなかった。階段の上からなら見えるのだろうか。
とは言え、彼の目は大したものだ。おそらく、今この扉の向こうに大毅がいるというのも、なまじ予想で終わるような事ではないのだろう。
扉を開けた先で、大毅がどのような姿でいるのかは僕には想像できない。だが、もしかすると明彦にだけは分かっているのだろうか。
「さあ、ご対面だ」
そして、明彦はゆっくりと礼拝堂の扉を開けた。
礼拝堂の中の様子は、オペラグラスから注ぐ頼りない光の筋と、入り口から溢れてきた光源とで、どうにか見える。
礼拝堂の正面に掛けられた巨大な十字架は、
そして、十字架の中央には1人の男が磔にされていた。両腕は広げられ、掌は背後の十字架へと釘で打ち付けられている。
何より彼の胸には、黒く淀んだ杭のような物が突き立てられていた。
しかし、その悲惨な光景に反して男の表情に苦痛の色はない。つい昨日見たばかりの、よく知った顔がそこにはあった。
――長谷川大毅は、いつもの仏頂面で、眠るように死んでいた。
***
その後、大毅の遺体は十字架から下ろされ、恭子と同じくワインセラーで納棺された。
「大毅さんまで殺されるなんて……」
棺の前で、優がぼそりと呟く。
しかしその言葉に何かを返す者はおらず、ただただ黙って、一同はその場を離れて行った。
それぞれがワインセラーを後にすると、明彦、康介、黎の3人は食堂へと赴いた。
「大毅君は見ての通り、あの心臓に刺さった杭が死因だろうね。他に外傷もなかったし、暴れたような痕跡も見当たらなかったから、眠っている所をやられたんだろう」
黎が今回の大毅の死因について言及する。
「出血量から考えても、眠ったまま磔にされて礼拝堂で殺されたとしか考えられないかな。死んだのは発見される5、6時間前……深夜の内に殺されたみたいだ」
「え? でも、部屋から礼拝堂まで引き摺られたんなら、流石に長谷川さんも目を覚ますんじゃ……」
黎の診断結果に、康介が疑問を呈した。
「睡眠薬だろうね」
しかしそれには、明彦が即座に答える。
「睡眠薬?」
「昨日の夕食に睡眠薬を盛ったんだろう。そうして動かなくしてしまえば、あの屈強そうな長谷川さんでも好き放題さ。運んでも殺しても、最期まで目を覚ますことは無かっただろうね」
「でも、一体どうやって大毅君の食事を狙って睡眠薬を? この夕食のテーブルは自由に座れるんだよ」
今度は黎が明彦に尋ねる。
明彦は、ゆっくりと中央のテーブルへ向かう。彼は、今朝の朝食がまだ残るテーブルの上から、水の入ったピッチャーを手に取った。
「これだよ。というかそもそも長谷川さんだけを狙う必要は無いんだ。彼の部屋の窓を叩き破った音で他の人たちに気付かれないよう、おそらく全員の水に薬が入っていたんだろうね」
「あ、そういえば、昨日の夜は異様に眠くて、部屋に入るなりすぐ寝ちまったなあ」
康介が昨夜の事を思い出しながら、呟く。
言われてみれば、昨日は明彦も部屋に帰るなり、すぐに眠り込んでしまっていた。疲れていたからかと思ったが、睡眠薬を盛られていたのか。
「確かに、昨日は僕も眠かったなあ」
黎は思い出したように欠伸をする。
「ボクもそうだった。だから犯人は、夕食を取る前に塚原さんの死体が見つかって、一度お預けになる事を予期していたんだ。その後、食事を取らない人が出て来たとしても、おそらく水まで飲まない人は少ない。つまり、塚原さんが殺された時点で、既に長谷川さんへの殺人計画は動き出していたんだ」
「はー、恐ろしい事を考える奴がいるもんだなあ」
「ふっ……三島さん曰く、『亡霊の仕業』らしいけどね」
昨夜のあかねの発言を思い出し、明彦は鼻で笑いながら康介に続ける。康介も流石に、この発言には苦笑いで返すしかなかった。
「さて、とりあえず長谷川さんの事件はこれ以上調べようがないね。犯人は窓を叩き割って部屋に侵入。長谷川さんを引き摺りながら外を回ってチャペルへ。十字架に掛けてから杭を心臓に突き立てる。これが一連の動きだろうね。そしてこの間は犯人以外の全員がぐっすりと夢の中だったから、おそらく目撃者はいない」
「うーん、手掛かりなしか……」
康介が唸る。しかし明彦はにやりと笑って、彼に返した。
「そう落ち込むこともないさ。こちらはどうしようもないけど、まだ塚原さんの事件については何も調べていないからね。そちらの線を当たってみよう」
確かに恭子の一件は、昨日の時点ではまだ衝撃が勝ってしまっていたので、何も調査していなかった。そちらから手掛かりが出てくる可能性はある。
「お、なるほどな。じゃあとりあえず塚原さんの部屋に行くか?」
「そうだね。進藤さんはどうするの?」
明彦は、一歩引いてぼんやりと立っていた黎に尋ねた。
「いや、僕はやめておくよ。必要になったら呼んでくれて構わないけど、一旦部屋で仮眠を取りたいんだ。どうもその睡眠薬と言うのがまだ残ってるみたいだね……」
大きな欠伸をひとつした後、よろよろとした足取りで食堂を後にする黎。
その様子を、明彦と康介はひそひそと話しながら見送る。
「……ありゃただの二度寝だな」
「うん、そうだろうね。こんな事……推理するまでもない」
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