5.陽光の向こうへ【終】
踊り場に現れた俺の姿を見て、スーツ姿の男達は銀格子の向こうから一斉に罵声を浴びせ始めた。そして俺が拳銃を構えると蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。その背後に、銃弾を浴びせる。
こいつらは仇だ。全て仇だ。たとえ俺の両親を直接手に掛けていなくても、この会社の基礎になった資金は俺の家から奪った金品だ。その上さらに、父が心を込めて築き、母が全力で支えて作り上げた会社相手に儲けようとしている。
あの家は俺の家であると同時に、花菜の安全基地でもあった。
花菜はあの家でミルクを飲んで育ち、少し大きくなってからは、母親や「お父さん」と呼ばれる男達の横暴から逃れる場所となった。
花菜から断片的に聞いた、俺の家族がいなくなってからの彼女の人生は、悲惨の一言に尽きる。
こいつらは、俺から、愛する俺の家族から、全てのものを奪って築いた礎の上でのうのうと暮らしている。
格子を開けるや、フロアにいる奴らが一斉に飛び出して来る。一人ひとり撃っていたら到底間に合わない。俺はビルの壁に隠していた袋を取り出し、奴らめがけて中身をぶちまけた。
バラバラと豆撒きの時のような音を立てて銀粒が飛び散る。奴らは顔を手で覆って悲鳴を上げた。その隙に左右の拳銃が轟音と共に火を噴く。弾丸が吐き出される度に両肩の骨がギシギシと悲鳴を上げる。
硝煙の匂いが充満する。銀粒と、煙と、奴らの灰が宙を舞う。
そして悲鳴、叫び声。俺も獣のような雄叫びをあげて突進する。
その時、左手に持っていた拳銃が急に言う事を聞かなくなった。こんな時に、また故障か。舌打ちをし、腹立ちまぎれに近くにいた男向かって投げつける。そいつが叫び声を上げて後ずさった隙に、右手の拳銃を構え直す。
だがその時に、一人の男が背後から襲い掛かって来た。
背中に鈍い衝撃を受けて、俺はその場に倒れ込んだ。男は俺の背中に乗り、拳で何度か後頭部を打つ。
「ふざけた真似しやがっててめえ、まともな死に方出来ると思うなよ!」
髪を掴まれ、顔面を打ち付けられる。口の中が切れたのか、鉄のような嫌な味が広がる。床に押し付けられた俺の顔の目の前に、きれいに磨かれた黒い靴が止まった。
「なあ、もしかしてこのビルの仕掛けは、お前の仕業か」
男の割には甲高い声で、そいつは俺に話し掛けた。別の男がそいつに「社長」と呼び掛けている。
「純銀の格子って、あれ全部いちから作らせたのか。いやあ、異常に安い賃料とクズばっかりの住民、って時点で、裏があるって気づかなかった俺も悪かったのかねえ」
しゃがみ込み、俺の髪を掴んで顔を引き上げる。そこには「社長」の、のっぺりとした大きな顔があった。
俺を囲んで、男共が面白そうに見下ろしている。「社長」は周りの奴らを見回した。
「どうしよっか、こいつ」
その声を受けて、周りから殺せ殺せと声が上がる。
「でもさ、勿体ない気もするんだよなあ。だって見てみろよこの血」
「社長」は俺の首筋から流れる血を掬って指を舐めた。
「こういうタイプは旨いんだよ。そうだ、こいつ会社用の『花嫁』にしようか。普段は下の俺んちで俺用の『花嫁』と一緒に飼っておいて。ま、福利厚生ってやつだな」
つがいで飼うのはまずいんじゃないすか、という下卑た笑い声が上がる。殺すのではなく「花嫁」で決まり、という雰囲気に傾いている。
既に何人もの仲間を俺に消されておきながら、その俺を餌として飼おうという発想が理解できない。
やはりこいつらは、化け物だ。
「こんなビル建てるくらいだ、あんた結構儲けているんだろ。ま、資産はきちんと調べて全部頂くから大丈夫。俺も昔は若くて無知だったからさあ」
背中に乗っていた男が離れた。「社長」は俺を仰向けにし、代わりに馬乗りになる。俺が弱っているとみて気が抜けたのか、べらべらと喋り続ける。
奴にとって、致命的なことを。
「十年ちょっと前に、ここにいる奴らと一緒に、この辺にあった大豪邸を襲ったんだよ。だけどそん時は現金や宝石なんかしか盗らなかったんだよね。ばかだったよなあ。その頃の俺にもっと知恵があったら、今頃俺は如月系のてっぺんにいたかもしれないのにさ」
「…………」
「ん、何か言った?」
「社長」は俺の顔を見て首を傾げた。
「……ないか」
口の中を切ったからか、思うように話せない。頭が朦朧とする。
だめだ。ここで倒れるわけにいかない。俺は「社長」を睨み付け、力を込めて声を出した。
「見覚えは、ないか……」
俺の言ったことが分からなかったせいか、一瞬腰を浮かせて動く。その隙に奴を蹴り上げ、突き飛ばして立ち上がった。途端に喉が開き、俺の叫び声がフロアに響き渡った。
「てめえ、十一年前のあの日、この色の瞳に見覚えはないか!!」
俺の言葉に目を見開いた奴の眉間に、銃弾を撃ちつける。
ドン、という低い音とともに、小さな音を立てて、俺の仇は灰になった。
男共は呆けたように棒立ちになっている。やがて一人が俺を指差し、呟いた。
「まさか、お前……」
俺は拳銃を構え直した。
肺が潰れたように息苦しい。左手で胸ポケットの辺りにそっと触れる。触れた部分の上着が血に濡れた。
「甘いんだよてめえらの仕事は!
拳銃が火を噴くのと同時に奴らは一斉に襲い掛かって来る。だがその時、フロアの端から、ガンという轟音が立て続けに響き、何人かが一気に灰になった。
「本当に甘いねえお前ら。俺の存在に気が付かなかった? こんな目配りの出来ない奴ら、如月系はおろかうちのバイトだって出来ないよ」
煙の上がる拳銃を手にした矢木が、息を切らせながら口角を吊り上げ、嗤った。
「社長」が消え、統制を失った奴らを、俺と矢木は次々と消していった。
後に残ったのは、床に積もった大量の灰だけだった。
「終わったな……」
矢木の声が、がらんとしたフロアに響いた。
「如月さん」
矢木は灰の上に座り込む俺を見下ろし、静かに言った。
「さっき、なんで俺を一階まで追いやった」
矢木を見上げる。上を向く動作とともに、視界がふわりと揺れた。
「仇は自分の手で討ちたかったのか。それとも……俺の身の為か」
矢木の目つきが鋭くなる。
「もしそうなら許さない」
「違う。お前の……為な、もんか」
気が抜けたせいか、また声がうまく出なくなった。体の痛みは既に分からなくなっているが、座っているのもつらくなったので、灰の上にごろりと横になる。
「希の為だ」
片眉を吊り上げた矢木に向かって、少し笑った。
「お前を、大人数の吸血種が、一斉に襲ってくる中に、放り込めないだろ……。せめて、ある程度数が減るまでは、って」
揺れる視界が、灰に煙る。
「だってよ。お前には、お前の事を、何よりも大切に思っている……生きている人が、待って、いるから」
何かを言おうとして口をつぐんだ矢木を横目に、俺は左手に嵌めた銀の指輪をひとつずつ外した。右手が震えてうまく動かない。
結婚式の時、俺に指輪を嵌めようとして何度もやり直す、花菜の震える白く細い指が脳裡に浮かぶ。
左手は結婚指輪だけになった。俺は気力を振り絞って立ち上がり、矢木に声を掛けた。
やるべきことはまだある。その為に矢木が必要だ。
「おくじょう……屋上に、行ってみないか」
手摺にしがみつくように屋上行きの階段を昇る。
「如月さん、噛み傷の出血がひどいのか」
心配そうに覗き込む矢木を見て、俺は口元だけで笑って首を横に振った。
「実はさっき、やられてよ……」
上着の裾を捲る。黒衣は、大きく口を開けた右脇腹の傷口から溢れる血を吸い、ずっしりと重く垂れ下がっていた。
「なんだこれは! いつやられたんだ」
「いつだっけ……。しゃ『社長』がいなくなった後の、最後の大騒ぎの時?」
矢木の背後を襲った奴から彼を庇って、というのは絶対に口にすまい。
言ったところで傷は塞がらない。それにむしろこの傷は、俺にとって渡りに船だ。
「ちょ、ちょっと待てよ、今、救急車」
「いや、こっちが先だ。多分、そのうち、見えなくなるから」
俺は屋上の銀格子と扉を開けた。矢木に支えてもらい外に出る。
俺の読みは当たっていた。
きっかけは、花菜の夢の話だった。母親に杭を向ける夢。その話を聞いた時、俺は夢の最後のシーンが気になっていた。
その後、実例や仮説をいくつか調べると、俺の考えと同じものがあった。そして今、それが当たっていることを知った。
空一面を覆う黒い雲。
それが、このビルの真上だけぽっかりと穴を空けている。
雲の抜けた向こうには、結婚式の日に見たような、澄み渡る青空が広がっていた。
矢木は突っ立ったまま口を開けて青空を眺めていた。
「多分、この雲の原因は、吸血種の、存在そのものだ」
俺の言葉に、矢木は驚いたような顔をして振り向いた。
「学者が、雲の科学的な成分を調べても、分かんねえわけだよ。だって、化け物由来だし」
息を吸い込むが、空気が入って来ない。喉が詰まる。
「きゅ吸血種のいない地域に、雲が、ないのは、奴らが、いないからで……だ、だから、一人二人がどうにかなっても、空は大して変わんねえけど」
そこまで一気に話し、咳込んだ。喉の奥から血が一緒に吐き出された。
「俺らが、駐車場で襲われた時や、今日みたいに、一気に吸血種が消えると、一時的に、雲も消えるんだよ」
俺は懐からUSBメモリを取り出し、矢木に手渡した。血が大量についてしまったが大丈夫だろうか、と少しだけ心配になる。
「俺の、雲に関する仮説が、この中に入っている。矢木、悪いけど、き今日の事を追記して、しかるべき、ところに、送ってくれ。吸血種が雲の原因だって分かれば、や奴らに対する社会の対応も、変わると思う……」
「何言ってんだよ如月さん! なんで俺なんだよ。今から救急車呼ぶから、傷治ったら家に帰って自分でやれよ!」
俺の両肩を激しく揺すりながら裏返った声で叫ぶ。青空を背に、電話をかけようとする矢木を制する。
陽の光が、目に眩しい。
「俺な……本当は、仇を消した後、この銃で、自分の命も、消すつもりだったんだけど」
呆けたように俺を見る矢木の顔。彼に向かって、笑みを向ける。
彼は、陽の光の下では、こんな色をしていたんだ。
「昨日、渡貫に会って、やっぱり、銃はまずいかなって。……でも」
体中の痛みが消え、ふわふわと揺られるような感覚が全身を包む。
「俺の大切な人達は、全員、ここにはいないんだ……」
ふわふわと揺れる。頭の中に
「
矢木が大声で何かを叫んでいる。だが、その言葉はあまりにも遠く、俺の耳まで届かない。
「今年から、小学生なんだって?」
青空が、少しずつ狭くなる。きっともうすぐ、またあの黒い雲が空を覆う。
「早いよな。ついこの間立ったって喜んでいたのにさ」
矢木に体を揺すられる。そういえば花菜はどこにいるんだろう。もう先に行ってしまったのだろうか。
「うちの子、未だに靴の右と左を間違えんだよ。花菜が、なんでも世話焼いちまうからさ」
湧き上がるような幸福感。家族と過ごす、幸せがぎゅうぎゅうに詰まった世界。
「なあ、矢木」
淡い光が包み込む。矢木の姿がぼんやりと遠くに見える。
「今度、お前んとこと、俺らの家族で」
光があまりに眩しくて、俺はそっと目を閉じた。
「一緒に、観覧車に乗ろうな……」
夢を見た。
父と母が並んで立っている。珍しく父が穏やかに笑っている。母はいつも以上の笑顔だ。
――まさか、こうなるとはねえ、お父さん。
――でもいいと思うぞ。私は嬉しいよ。
――私だって嬉しいですよ。
俺は微笑み、手招きした。少し離れた所に立っていた花菜が俺に寄り添うように立つ。
花菜は、白い薔薇柄のワンピースを着ている。
――おっ、お父さま、お母さま、よろしくお願いしますっ!
――別に今まで通りお父さんお母さんでいいじゃねえか。下手に無理すると後が続かねえぞ。
俺は花菜の額をつつき、爪を淡いピンク色に彩った、彼女の白く細い手を握る。
花菜が恥じらうように俯き、そして俺を見て微笑む。
白い薔薇のようなひとだ、と思う。
――じゃあ、行きましょう。
母の言葉に全員が頷き、歩き出す。
家族で歩くその白い道は、まばゆいばかりの陽の光に満ちている。
これが、
俺のこの世での、
最期の記憶だった。
【終】
狼よ、白き薔薇を抱いて眠れ 玖珂李奈 @mami_y
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