8.うたかたの永遠

 観覧車の順番が来るのを、私達は手を繋いで待っていた。


「もう、一緒に乗れないかと思っていた」


 私の言葉に、階段の下にいる駿君が首を傾げた。


「渡貫さんからあの診断を受けた時は、もう、明日にでも動けなくなると思っていたんだもん。だから良かった。また来られて」


 駿君は何も答えなかった。ただ、握った手に力を込める。


「ねえ駿君」


 ほんの少しだけ彼に顔を寄せて微笑む。


「私、今、幸せなんだあ」


 列が動いたので、私達は階段を昇った。

 駿君の藍色の瞳が、何かに耐えるように揺れたので、私はこれ以上話さず、ただ微笑んで彼のことを見つめた。



 

 観覧車はゆっくりと上昇する。私達はまた二人で並んで座った。

繋がれた手も、触れ合う肩も、この間乗った時とは意味が違う。上昇するにつれて姿を現す街の光も違って見える。


 一面にきらめく街の灯ひとつひとつに人々の生活がある。

 その中で、私達はここで二人、寄り添っている。


「花菜、具合はどうだ」


 ほんのりと灯された観覧車の照明の中で、私をいたわる駿君の表情が浮かび上がる。私はその表情にどきりとしながらも、何事もないように微笑んだ。


「うん。大丈夫だよ。あ、ちょっとお腹の辺りが重い感じするかな。まさか食あたりじゃないよねえ。駿君大丈夫?」

「食あたりは多分ねえけど普通に胃もたれはしている」

「あはは、駿君の普段の昼食の倍以上のボリュームだったもんね」


 駿君は少し笑い、観覧車の外の風景を見た。繋いでいた手を離し、懐に手を入れて何かを探ったあと、私の方に向き直った。


「花菜」


 一瞬、外を見て、また私の目を見つめる。


「これからも、ずっと俺と一緒にいてくれ」


 瞳の奥を射抜かれる。私は頷き、見つめ返す。


「永遠に、一緒にいてくれ」


 永遠、という言葉を使って、駿君はもう一度言った。


「永遠……」


 その言葉に、声が詰まる。


「でも、私には、限りがあるよ」


 私に残された時間は、「永遠」という言葉とは程遠い。


「分かっている。でも、それを言ったらどんなに長生きの奴だって限りはある。単純に生存期間中、という意味なら、この世界に永遠なんてない。そうじゃなくて、なんていったらいいか」


 伝える言葉を探しているのか、駿君は少し目を泳がせた。


「今のこの状態が、この心が、どっちかの命の限りが俺らを分かつまで続けば、その心は永遠に残ると思うんだ。たとえ命が泡みたいに儚くても、その泡の中の心は永遠に生き続けるというか……」


 あれ、自分で言っていて分かんなくなっちまった、みたいなことを呟いて、自分の額に手を当てた。駿君の珍しい姿に思わず笑ってしまう。


 駿君、大丈夫だよ。細かい理屈は分からないけれど、駿君の気持ちは伝わって来たから。


「うん。永遠に一緒にいる。一緒にいたい。泡みたいな永遠かもしれないけれど、一緒に」


 駿君は少し照れたような笑みを浮かべて下を向いた。そしてまた、私を見つめる。

 瞳の奥まで見つめるように。

 藍色の瞳が私の心の一番深い所に触れる。


「出来ることならこの世で長い時間を一緒に過ごしたい。でも、それが無理でも永遠はあると思う」


 椅子に置かれた私の手を握る。


「花菜」


 藍色の瞳が私の心の全てを抱き締める。

 彼は少しの間の後、言った。


「結婚しよう」




 観覧車は地上から遠く離れた所まで私達を連れていく。

 駿君の突然の言葉に、私は時間が止まったようにその場を動けなくなってしまった。

 駿君とずっと一緒にいたい、と思っている。彼がそう思ってくれていることも分かっていた。

 でも、それと「結婚」とは、別だ。


「それは、形だけドレス着て、とか、そういう」

「違う。入籍して、式も挙げる」


 彼の言葉に、私は少し俯く。


 駿君と結婚する。

 望んでいた。夢見ていた。それこそ四歳位の時からずっと。でも。

 自分がこのような状態になって、いざ、現実につきつけられると、軽々しくは頷けない。入籍もとなればなおさらだ。

 私の命の限りは短い。だから。


「私はすぐにいなくなるよ。なのに駿君の戸籍には残っちゃうよ、のことが。そうしたら将来」

「その位知っている。あのさ花菜、俺がこういう事を雰囲気に流されて勢いで言う奴に見えるか?」


 そう言われて私は即座に首を横に振った。

 違う。駿君はそういう人じゃない。


 そうか。そうだ。

 駿君はいつもいきなりで強引だ。けれどもそれは全て愛情から来るものだ。

 そして前置きがないから私にはいきなりに見えるけれど、その前に充分考えてくれた上での「いきなり」ばかりだ。

 きっと今の言葉は、駿君なりに色々考えてくれた上での言葉なんだ。


 ならば、今ここで私がぐちぐち考えていても仕方がない。

 だって、シンプルに考えれば、十六年ものの夢が今、叶えられようとしているんだから。

 私は真っ直ぐ前を向き、彼の目を見つめた。微笑んだつもりだが、泣いているような笑っているような、不思議な表情になってしまっているかもしれない。


「ありがとう。凄く嬉しい」


 握られていた彼の手を、もう一方の手で包み込む。


「ごめんね変なこと言って。私の答えは決まっているよ。十六年前から」


 そして伝えた。十一年ぶりに、私の心を全て込めて。


「私、駿君のお嫁さんになる」




 かつて、白い薔薇柄のワンピースを着た小さな私は、この観覧車に乗って「駿君のお嫁さんになるんだもん」と言った。

 そして今、同じ白い薔薇柄のワンピースを着た私は、長い長い空白の末に、その夢が叶えられようとしている。


 私の側で、かつての幼い私が、そっと微笑みかけているように感じた。

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