13.復讐よりも君と

 なんでもいくらでも食べられる、と言ったのだが、駿君はお父さんの代から行きつけのレストランに頼んで、メニューにない軽い食事をデリバリーしてもらった。


「本当はシェフに来て欲しかったんだけど、なんかこんな宅配弁当になっちまって」

「い、いいよシェフとか。それにこんな凄いの、私の中では『宅配弁当』と言わないし」


 一緒に注文したらしい飲み物を、駿君がグラスに注いでくれた。私はガス入りのミネラルウォーター。だが駿君が自分用に手にしたものを見て、私は思わず椅子から立ち上がった。


「ちょ、ちょっ、それ、シャンパンじゃないの!」


 駿君はお酒を飲まない。以前、泥酔して帰って来た時の衝撃が甦る。

 どうしたんだろう。一体何があったのだろう。


「今日、何かあったの? 私に言える事だったら言って。そんな、お酒に頼らないで。一人で抱え込まな」

「あのな、俺別に全然飲めないわけじゃねんだよ。なんで俺が酒飲むイコールヤケ酒なんだよ。今日という日にシャンパンシャンパーニュ頼んで、花菜にそういう言い方されるとは思わなかった」


 駿君は苦笑しながらグラスを優雅に持ち、目の位置まで掲げてみせた。


「普通に考えてみろよ。祝杯だよ」




 特別な日に、いつもの部屋で、二人のゆったりとした時間が流れてゆく。


「駿君、今日、何かいいことあった?」


 私の言葉に駿君は顔を上げた。


「入籍以外の事で。何か、いいことがあった気がする」


 駿君はしばらく何かを考えるように下を向いた。

 ナイフとフォークをふわりと置き、真っ直ぐにこちらを見つめる。


が、完全に引っかかった」


 藍色の瞳に、暗い火が灯る。


「両親を襲った奴ら、奪った金を元手に会社を作りやがった。今じゃ吸血種の会社としてはそこそこ成功している」


 口の端に、憎悪が籠る。


「そしてよりにもよって、如月系の会社の一つと取引を始めやがった」


 私は食事の手を止め、フォークを置いて身を乗り出した。駿君は拳を固く握っている。


「父の個性が強烈だったから、世間では今でも『如月系』って言っているが、実際には俺は勿論、親族の誰もあのグループに関与していない。社名にも『如月』の名前はついていない。現在の経営陣は『如月色』を払拭しようと躍起だ。そこに入り込んだ。もう時間も経っているし、誰も気づかないと高をくくっていたんだろう。信用度の低い吸血種の会社としては、『如月系と取引がある』という社会的信用は、喉から手が出る程欲しい。だから、自分達が殺し、金を奪った人間の興した会社相手に、商売を始めた」


 口調だけはいつものように淡々としている。だが、彼の放つ黒い炎は、息が苦しくなるほど部屋に充満していた。


「そんな……。その事にお父さんの会社の人は、誰も気づかなかったの?」

「その吸血種の会社が仇の集団だと分かったのは偶然だ。如月系とは無関係な矢木の情報協力者の一人に、吸血種のだれかがうっかり口を滑らせたらしい。俺は最初、父の会社を汚されたくないと思って、取引前に奴らを消そうと思った。でも失敗した。完全に準備不足だった。それがあの、例のヤケ酒の日」


 そこで上目遣いに私を見る。


「えーと、あん時、多分ごめんな」

「もういいってば。それよりそれからどうしたの」


 変なことで話が逸れてしまった。駿君は話を続けた。


「木村さんにその話をしたら、それならいっそ取引をさせてしまえと言い出した。今となっては犯人の正確なメンバーは分からない。だから仇を完全に討つなら、奴らの強盗仲間である従業員全員を消してしまえ、そのためには個人で動くより、如月系の社内にまだいる、父に好意的だった人を取り込んで罠を張れと。その舞台に格好の場所があった。そこに奴らを押し込んで一網打尽にすれば効率がいい。それが、例のあのビル」

「私が『花嫁』にされそうになった、あそこ?」


 吸血種を消すために建てられた、あの暗いビル。駿君が頷く。


「奴らが新社屋を探しているって話を如月系の社員が聞いた時、こっちも部屋が空きそうだったから、これは丁度いいと。木村さんは未だに会社で顔が利くから、色んな人に働きかけてくれた。そして今日、奴らが契約した」


 駿君はグラスの水を一気に煽った。


「もうすぐだ。もうすぐで、仇が討てる」


 空になったグラスを睨み付ける。

 グラスを持つ手が小刻みに震える。

 だがそこで、駿君はふっと表情を緩めてこちらを見た。


「でもな、奴らが引っかかっちまえばこっちのもんだ。後は焦ることはねえ」


 あたたかな手で、私の頬にそっと触れる。


「来月、第五地区で式を挙げたい。それまでは、復讐よりも花菜と一緒に過ごす時間を大事にしたいんだ」


 強張った私の頬が、彼の指先に触れて緩やかに溶けていく。




 食事の後、ソファに並んで座り、私は「参照の上検討」した件を報告した。


「あのね、港に一番近いここがいいかな。ほかも素敵なんだけどさ、披露宴やらないし、二人だけだからこぢんまりしている方がいいなあ、なんて」

「プランや衣装は見たか」

「う、うん。一番簡単なこれかなあ。ドレスなんだけど、どれもいまいちなの。ほら、どう思う?」

「オプションは」

「……駿君、あのさ、これ、仕事じゃないんだよ。もっとゆっくり楽しみながら決めようよ」


 甘えるように駿君の肩にもたれかかる。


「私はね、この時間が、幸せなんだよ」


 駿君は少し笑って私の肩をそっと引き寄せた。

 そのままゆっくりと時間が過ぎる。

 こっくりとした、滑らかな甘い時間が過ぎる。


「花菜」


 駿君の囁き声に、体の奥が微かに震える。


「これから、よろしくな」


 そう言って照れたように俯いた。私は微笑み、囁く。


「私こそ、よろしくね」


 どちらからともなく、唇を重ねる。

 私を包み込む駿君の両腕に力が入る。

 唇を離し、私を見つめた後、強く抱きしめる。

 溶ける程に熱を帯びた吐息が、私の首筋を撫でる。


 やがて駿君は私を離して立ち上がった。


「もう遅いからゆっくり休め」


 つられて立ち上がった私のことをもう一度抱きしめ、耳元で囁く。


「愛している」


 そして寝室へ私を促し、微笑んだ後、仕事部屋に入っていった。




 入籍の日。

 この日を境に、私の体調は急激に悪化していった。

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