12.彼からのメール
店中の注目を集めてのランチが終わり、私達は家に帰ることにした。私の腰に手を回して支える駿君を見て、若い女性の二人連れが、眉間に皺を寄せて囁いている。
「新婚だからって人前でああいうことするのってどうよ。まああの人達は両方美形だから許すけどさあ、あれブスだったらマジ刺す」
どうもいちゃいちゃしているのだと勘違いしたらしい。駿君に耳打ちしてみる。
「ねえ駿君、支えてくれるのありがたいんだけどさ、この格好、下手すると刺されちゃうみたいだよ」
「刺されそうになったら撃つ」
駿君もひそひそ話が聞こえていたらしい。眉ひとつ変えずに、冗談にならないことを囁いた。
普段だったらなんでもないはずのマンションまでの距離が、やけに遠く感じられる。ロビーに到着すると、木村さんがにこやかに近寄って来た。
「如月様、改めましてこの度は誠におめでとうございます」
小声でそっと囁く。そうだ、このマンション内では兄妹設定続行中なんだ。
「今朝、如月様がいきなり婚姻届をお持ちになって『ここに署名しろ』と仰ったときは、正直に申し上げまして何事かと思いました」
「え、木村さんや矢木さんに、事前連絡なしでいきなり証人欄にサインしてもらったの?」
私の言葉に、駿君は少し首を傾げて淡々と反論する。
「しょうがねえだろ。俺親いねえし、花菜のお母さんはアレだし」
「まあ親はそうだけど。ちょっと『いきなりで強引』じゃないかなあ」
私達の軽い言い合いを、木村さんは柔らかな物腰で制した。
「まあいずれにいたしましても良うございました。社長も奥様も、天国できっとお喜びかと存じます」
そこで木村さんの目がすっと鋭くなり、駿君に白い封筒を差し出した。
駿君は白い封筒を懐に入れ、声を低くする。
「さっき矢木からも話がありました。いつ入りますか」
「如月様との話がまとまれば、翌日にでもと言っているそうです」
「じゃあ今から連絡してみる」
「それがよろしいかと存じます。何事も後回しにせず、すぐ行動に移すのが、社長はお好きでしたからね」
二人は顔を見合わせ、少し笑った。
家に着くと、疲労と眠気が一気に押し寄せてきた。
「疲れたろ。薬飲んで横になれ」
私がソファで横になっている間に、薬と水を持ってきてくれた。
「ごめんね駿君、言う通りに寝ていれば……。でも行ってよかった……。そうだ、鈴木さんのお鍋」
「いいから。鍋はあとで俺が返しておく。十九階だろ」
薬を飲み終わると同時に寝室へ追い立てられたので、駿君の言葉に甘えて横になる。
せっかくの入籍の日に情けない。そういえば昨夜は殆ど寝ていないのだ。
しばらくすると、すとんと幕が落ちるように眠ってしまった。
起きたら既に午後五時になっていた。結構な時間熟睡したおかげか、起き上がる時に一瞬ふらついたものの、昨日の状態から考えたら大分調子がいい。
駿君はどこかに出掛けたらしい。ふとリビングに置きっぱなしだったスマートフォンを見ると、彼からメールが入っていた。
そういえば駿君からメールってほとんどもらったことがない。ちょっとどきどきしながら「旦那さま」のメールを見てみる。
所用あり外出します
十八時頃帰宅予定
帰宅が一時間以上遅れる時は連絡します
体調不良の際は渡貫の携帯ではなく医院へ連絡のこと
尚可能であれば下記URL参照の上検討下さい
駿
「……業務連絡?」
これ、どう見ても新婚夫婦のメールではないよね。矢木さんの顔文字絵文字いっぱいメールに見慣れていると、これはこれで逆に新鮮だ。
まあ、あの駿君から「愛してるよん( •ω•ฅ)♡」とか来たら、それはそれでアレだけど。
本文の下に、URLが三つ並んでいる。なんだろうこれ。とりあえず駿君が帰ってくるまでに「参照の上検討」しておこう。
一番上のサイトを開く。
ああ、成程ね。やっぱりこれは新婚夫婦のメールだったんだ。
私はスマートフォンを手にしたまま、へらへら笑ってソファの上でごろりと一回転した。
それは、第五地区の港付近にある、教会や結婚式場のサイトだった。
スーツ姿の駿君は、六時少し過ぎに帰って来た。
「お帰りなさぁい」
うわ、なんかいいな。スーツ姿の「旦那さま」の帰りを待つ感じ。
別に駿君がスーツ着て「夕方」帰ってくることなんか、今まで何度もあったけれど。そういう問題じゃないんだ今日からは。
えーとこういう時はどうしたらいいんだ。バッグを受け取るのか、それとも上着を持つのか。いや駿君は玄関で上着脱がないし。拳銃隠しているから。
じゃああれか、やっぱり。
新婚夫婦といえば、「お帰りなさい」の、キ……。
私が玄関先でぼんやり妄想を膨らませて勝手に照れている間に、駿君はさっさと家に上がって仕事部屋に直行してしまった。
しばらくして普段着姿で出て来る。そこではじめて私に声をかけてくれた。
「ただいま。具合はどうだ」
あ、これは「仕事」で出掛けたんじゃなかったんだな、と直感で理解した。
スーツを着て「昼間」出掛けてはいたものの、今、駿君は「狼」なのだ。
ならば、外出について触れるのはよそう。私は何も気づかないふりをして笑顔を向けた。
「うん。ありがとう。寝たら大分すっきりしたよ」
「本当か? 無理するな。うろうろしていないでもっと寝ていたろ」
「本当に大丈夫だよ。すっきりしすぎてお腹空いたくらいだし」
私の言葉に、駿君は呆れたように溜息をついた後、嬉しそうに微笑んだ。
「なんなんだその胃袋。分かった、ちょっと待っていろ」
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