2.応えてくれない
ぱちん、という音とともに、ちりっと焼けるような痛みが首筋に走る。
続けざまにぱちん、ぱちんと痛みの伴う光を当てていく。腕の時はたいしたことなかったが、首筋は結構痛い。
今日は傷の治療の初日だ。これから週に一回、この治療を根気よく繰り返す。
「うち、一時期経営が厳しくて、父の代で閉めようかって話になっていたんだよ。それでこの副業を始めたんだ。なんか理由が正義感とかじゃなくて格好悪いんだけど」
目を保護するためなのか、眼鏡の上に愉快な色眼鏡をかけた渡貫さんは、単調で時間のかかる治療の間、色々話してくれた。
「ところで行野さん、駿のことどう思う?」
あまりにもいきなり話が変わって、一瞬頭が混乱してしまった。このいきなり感も、校風なんだろうか。
「どう思う、と言いますと」
「あいつ変わったでしょう」
私の首の位置を変えながら、渡貫さんは言った。
「あいつ、あの事件の後、ずっと行方が分からなかったんだ。で、あいつがうちの副業の噂を聞きつけて再会したんだけど、もう、びっくりしたね。昔の明るい雰囲気と全然違って。儲けてもその殆どを吸血種退治につぎ込んでいたし、あの時は、それこそ何かに取り憑かれているみたいだった」
だった、と、過去形を少し強調して、彼は言葉を切った。
ということは、二人が再会して、まだそんなに経っていないということだろうか。そういえば、駿君から年賀状が届いたのは二年前だった。この二年くらいで、駿君の生活が色々変わったのかもしれない。
それが、幼馴染に年賀状を送るくらい生活に余裕ができた、という意味なのか、「狼を治療する医師」の情報を聞きつけるくらい、狼の世界にはまり込んだ、という意味なのかは分からないけれど。
「私は」
自分の思いをどう伝えたらいいのか、少し考える。
「駿君、雰囲気は変わりましたけど、心の奥は優しいままだと思います。だから銃を手にする姿は、痛々しくて見ていてつらいんです。『狼』として吸血種を消せば消す程、却って苦しみが増しているみたいだし。多分、銃は駿君を救えないと思います。それにきりがない。もっと根本的な吸血種の排除の方法があるんじゃないか、それを見つける道が、駿君の魂を救うんじゃないか……」
思いつきをなんとなく並べていたら、とんでもなく壮大な話に飛躍しそうになったので、私は慌てて口を閉じた。放っておくと話が宇宙の起源とかまで飛躍してしまいそうだ。
「行野さんは、駿が変わったから自分はどう思う、だけじゃなくて、変わったあいつを救うには、を考えているんだね」
治療は栄養剤の注射に変わっていた。巨大な注射器を使って、少しずつ栄養を体内に流し込む。
「考えても、答えは出ないんですけどね。でも、助けたいんです。駿君は、もっと表通りを堂々と歩く方が合っていると思います。多分、太陽が似合う人だと思います。だから」
「うん……。そうか」
とりとめのない私の話を遮る。
「そうだと思った。やっぱりね」
注射痕にちいさなテープを張り、渡貫さんは微笑んだ。
「行野さん、駿の事が好きでしょう。お兄さんとしてじゃなくて」
物凄くいきなり図星ど真ん中を射抜かれ、私は椅子から転げ落ちそうになった。渡貫さんは私に背を向け、話を続ける。
「でも、あいつはやめておきな。あいつは誰の気持ちにも応えない。行野さんは見た目も心もきれいだ。だからきっとほかにもっといい人がいくらでもいるよ。それこそ表通りを堂々と歩いているような人がね」
そして私の方に振り返り、おどけた調子で言った。
「ほら、例えば俺なんかどうよ」
地下鉄で帰路につく。今朝、車で送り迎えをすると言う駿君を説き伏せて、地下鉄に乗ったのだ。
傷の治療は時間がかかる。駿君だって仕事があるのに、毎週ここまで車で往復していたら大変だ。
分かっている。駿君は、私が吸血種に襲われるのを恐れているのだ。
だがそんなことは言っていられない。私はそのうちあの家を出るのだから。
電車の中を見渡しても、誰が人間か見分けがつかない。そう思うと、この中の誰かがいきなり牙を剥いて襲ってきそうで、私は人差し指に嵌めた指輪をそっと撫でた。
指輪は、今朝、お守り代わりに駿君から借りたものだ。彼は背丈も体格も普通だが、私にはこの指輪が大きすぎて、重すぎる。
そしてその大きさ、重さに、彼が男の人であることを実感する。
――駿の事が好きでしょう。お兄さんとしてじゃなくて。
駿君は「兄」として、私に惜しみない愛情を注いでくれる。
口うるさいし、愛想もないけれど、彼の「妹」への愛情は日々感じている。
けれどもそのことが、私のことをたまらなく苦しめる。
お互い、こんなに「好き」なのに。
私達の心が同じ次元で触れ合うことは、決してない。
地下鉄から地上に出ると、雨が降っていた。マンションは地下鉄出口のすぐ隣だ。私は勢いをつけて走り、ロビーに飛び込んだ。
「ここに居んのは分かってんだよ、さっさと呼べっつってんじゃねえかよ!」
ロビーに入った途端、聞き慣れた声が響き渡っているのを耳が捉え、私はその場で脚がすくんで動けなくなった。
およそこの場所にふさわしくない声と口調。駿君や渡貫さんの話し方もかなり乱暴だが、あんなお坊ちゃん達のものとは根本が違う。
ロビーの中は、吐き気がするほど濃厚な香水の臭いが充満していた。
「そうは仰いましても、如月様は現在お部屋にいらっしゃらないようでして」
コンシェルジュの木村さんは、撫でつけられた白髪交じりの髪を僅かに乱して、なんとかなだめようとしている。
「本当かあ? じゃあ、帰って来るまでここに居んからな」
そいつはそのままロビーのソファにふんぞり返った。木村さんは困って視線を泳がせる。そして私のことを視界に入れてしまった。
木村さんの視線が止まったのを見て、そいつは振り返り、私を見る。
「ああ」
そいつ――私の母親は、私を見てにこやかに笑い、近づいて来た。
「随分きれいになって。一瞬分かんなかったよ」
木村さんは私の方を見て、深く頭を下げた。
「花菜てめえ、こんな所で一人でいい思いしやがって。こっちはせっかくの契約がパーになって大変だったんだぞおい」
母親は伸ばした爪を私の肩に食い込ませて掴んだ。爪に塗られた赤黒いマニキュアは半分以上剥げている。
そこにいつの間にか知らない男が近寄ってきて、私を見て笑うように口の端を歪めた。
「この子か。あんたと全然似てないな。随分いい子そうじゃないか」
「いい子なもんか。親を殴りつけて家を飛び出すような子だよ。とんでもない子だよ」
母親はそう言って、こともあろうにロビーに唾を吐いた。
木村さんはいつの間にかデスクに戻り、どこかに電話している。警察を呼んでくれたのかもしれない。
「そうだ、花菜にまだ紹介してなかったね」
知らない男を指差し、母親は微笑んだ。
「この人、今朝知り合ったんだけどね、あんたの新しい『お父さん』になるから」
男は少し笑って会釈した。
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