4.開始

 レンタカーを、ビルから少し離れたパーキングに停める。ここには逃亡用地下道の出口がある。

 近所にはかつて俺が両親と住んでいた場所がある。といっても家は、俺の知らない間に勝手に売却され、今では昔の面影は全く残っていない。一瞬、見に行こうかと思ったが、やめた。あたたかな感傷は集中力を削ぐ。




 ビルに到着したのは、十四時少し前だった。

 自分で建てておいてなんだが、見るからに暗くて怪しいビルだ。五階建てで、中はごちゃごちゃと小さな部屋に分かれている。窓も小さく、照明も少ない。

 

 中に入ると、すれ違った奴が不思議そうにこちらを見た。確かに銀のアクセサリーをジャラジャラさせた男二人が歩いていたら目立つだろう。何しろここにいる奴らは、誰も銀を身につけない。

 入り口付近にある小部屋の鍵を開ける。中は駅のトイレ位の広さで、単にボタンや機械を隠すためだけの場所だ。その中に矢木と入る。


「なあ、訊いてもしょうがないけど、ここ、総工費いくらかかったんだ」


 矢木が澱んだ空気に顔をしかめて言った。


「結構かかっている。色々小細工があるからな。なんだ、ここ買うつもりか」

「いらないよ。自分ちだって賃貸なのに」


 肩をすくめる矢木に向かって俺は少し笑った。


「俺も売るつもりはない。ここは、今日限りの使い捨てだから」


 「照明」と書かれたボタンを全て押す。部屋の外で、バン、という小さな音がした。天井に埋め込んだ照明を隠していた板が外れた音だ。


「なんだこの明かり」


 外から声が聞こえる。

 このビルは極端に照明が少ない。特に住居部分などは真っ暗だ。だがそれでは俺が動けない。だからこの日の為に、照明を隠していたのだ。


 続けて一つの赤いボタン。見た目はよくある非常ボタンと同じだ。プラスチックの覆いを叩いて外し、ボタンを押す。


「こいつがこのビルの高コストの原因なんだ」


 少し口の端を歪めて笑う。外ではガラガラという低い音がする。それと同時にあちこちから「なんだなんだ」という困惑したような声と、短い叫び声が聞こえた。

 ビルの入口、階段、およびすべての窓に、純銀の格子が下りた。

 ここは、大きな一つの吸血種の檻になった。


 他のボタンもすべて押した後、胸ポケットにしまってある名刺入れを取り出した。俺の愛する者達に、少しだけ想いを馳せる。中は見ない。見たら泥沼に嵌ってしまうから。

 名刺入れに軽くキスをして、大事に、大事にしまう。 

 息を一つ大きく吸い、懐から拳銃を二挺取り出す。


 右手には「夜中」に使っていた巨大な拳銃。

 左手には護身用で持ち歩いていた小ぶりの拳銃。

 撃鉄を起こし、矢木に向かって言った。


「始めよう」




 ビルの中は独特の匂いで充満していた。空調から吸血種除けのハーブから抽出した匂いが噴き出している。嫌いな匂いの中では奴らの動きが落ちる。


 一階は個人商店や倉庫として使われており、一部屋当たりの吸血種の数が少ない。事前に示し合わせた通り、矢木とは別行動で部屋ごとに襲撃する。

 突如現れた俺の姿に、奴らはきょとんとした。入口の分厚いドアを閉め、撃つ。

 ドン、という低い音と共に、あっさり灰になる。閉めていたドアを開け、別の部屋に入る。

 一階は楽勝だ。矢木と合流する。彼は口角を吊り上げた笑みを浮かべ、親指を立てた。


 銀格子の嵌った階段の踊り場には吸血種が溢れていた。

 エレベーターが止まっている上に、ちょっとした布を巻いた位では格子に触れることすら出来ない。皆、逃げ出すことが出来ずに格子の前でわあわあと騒いでいる。そこに俺達が姿を現すと、一人が指さして叫んだ。


「『狼』だ!」


 その叫び声を聞き、矢木は愉快そうに甲高い嗤い声を響かせた。


「化け物ども、固まっていてくれてありがとう! さぁー行くよー!」


 二人で立て続けに銃弾を浴びせ続ける。後ろの方にいた奴らは悲鳴を上げながら逃げ出した。その後ろ姿に向かってさらに撃つ。銃声が反響し、踊り場の視界は舞い散る灰で黒く煙った。

 二挺の拳銃とも弾が切れたので弾倉を入れ替える。銀格子の嵌った壁の隅にある鍵穴に鍵を差し込み、小さな扉を開けると、中に予備の弾倉が入っている。


「こんな事まで考えて作ってあるのかここ」

「そのための建物だからな」


 銀格子を開け、二階へと向かう。




 ここから四階までは住居や個人事務所になっている。階段を昇りきった途端に数人の男が飛び出してきた。


「この野郎!」


 一人が殴りかかって来た。強烈な拳をなんとかかわし、左手の拳銃で撃つ。ガン、という轟音とともに左肩に衝撃が走る。慣れない左手撃ちは狙いが定まりにくい。

 ふと、俺を救うために重い拳銃の引き金を引き、その衝撃に華奢な体が耐えられず、倒れてしまった花菜の姿を思い出す。


 一人が右手に何か光るものを持って飛び掛かって来た。咄嗟に手の甲で打ち、払い落とす。奴は俺の指輪に触れてぎゃっと叫んで手を引っ込めた。その隙に銃弾を浴びせる。

 そいつは灰に変わったが、俺の手の甲にはナイフで切られた傷が出来た。


「大丈夫かっ」


 怪我に気付いて叫ぶ矢木に親指を立てて見せる。俺は血が止まりにくいたちで、ちょっとした怪我でも結構派手に出血する。この傷も別に我慢できる程度だが、血で銃を持つ掌が滑る。


「一気に行くぞ」


 鍵のかかった部屋のドアを次々と開け、住居内に押し入って住民を撃つ。


 鍵を開けるたびに女達の絶望に満ちた甲高い悲鳴が上がる。

 これは生き物じゃない、人間の仇だ。それでもその悲鳴を聞くたびに魂が引き裂かれる。逃げ場を失い、部屋の隅で体を丸めて震える奴らに向かって引き金を引くたびに、自分の心も撃ち抜かれる。


 「狼」は正義ではない、と心の隅で何かが叫ぶ。


 一番奥の部屋のドアを開けると同時に悲鳴が起こる。一人の若い男が物陰から飛び出してきた。よけきれずにそのまま押し倒される。そいつは俺の腕を押さえつけ、首筋に牙を立てた。


 男の喉の奥からくぐもった呻き声が聞こえる。俺の身につけたピアスやネックレスに顔を焼きながらも首筋から離れない。それを見て若い女が何かを叫びながら俺の腕に噛みついた。そこを矢木が続けざまに撃つ。


「おとうさん!」


 部屋の隅から、子供の叫び声が聞こえた。矢木と同時に声のする方を見ると、女の小さな子供が部屋の隅で丸くなりながら泣き叫んでいた。


「おかあさぁん!」


 さっき俺に噛みついていた奴らの事だろうか。子供は小さな牙を剥き、大声で泣き叫びながら矢木に向かって飛び掛かる。咄嗟に俺は矢木の前に立ちはだかって右腕でその牙を受けた。そこを俺の背後から回り込んで矢木が子供を撃つ。

 子供は小さな音を立てて灰になった。


「如月さん!」


 誰もいなくなった部屋の中で、矢木は俺の肩を掴んで強く揺すった。


「躊躇うな。分かってんだろ。こいつらは人間じゃない、吸血種だ! なんだってあんたはそんなに優しくて心が弱いんだ!」


 矢木は俺を軽く突き飛ばすようにして放すと部屋の外に出た。


「だから、今日は俺が必要だって言っただろう」




 矢木に言われるまでもない。俺は心が弱い。

 それでもなんとか四階の奥の部屋までたどり着いた。ここは最近訪れている。この部屋の一番奥に、以前花菜が捕らわれた「花嫁」の部屋がある。


 部屋に入る。誰もいない。からだ。

 真っ直ぐ花嫁部屋に向かい、鍵を開ける。


 中には、一人の若い女が震えながらうずくまっていた。

 青白い顔、乱れた髪、薄汚れた粗末な服。そしてでこぼこに変形した首筋。

 世の中全てに怯えているような目。

 その姿はまるで、あの雨の日の「夜」、

 俺を頼ってやって来た時の花菜のような。


 俺は女の前にかがみ込み、顔を覗き込んだ。女は俺を見て俯く。


「もう、大丈夫だ」


 軽く肩に手を置く。下品で失礼かもしれないと思ったが、札入れから何枚か抜き出して女に手渡した。


「親元に帰ってもいいし、帰れない事情があるなら仕事を探してこれは当面の食費にでもするといい。そして今後どんなに生活が苦しくなっても絶対に売血はするな。売血は命を削る。頼むから、それだけは、絶対にしないでくれ」


 女は紙幣を握り締めて頷き、何度も礼を言いながら嗚咽した。俺は微笑み、矢木を見る。


「悪い、彼女をビルの出口まで連れて行ってくれないか。格子は一階のあの部屋のボタンで開くから」

「如月さんはどうするんだ」

「俺、少し休憩」


 矢木は明らかにむっとした表情で俺を睨んだ。


「立ち仕事と育児に追われる年上を四階まで往復させて自分は休憩ってどういうつもりだ」

「だって俺普段座り仕事で体力ねえし、朝から飯食ってねえし、お坊ちゃんだし」

「お坊ちゃんなら飯食ってねえとかそういう言葉遣いするんじゃない!」


 小さい頃からあらゆる人に散々言われているお小言をかまされたが、矢木は女を連れて階段を降りて行った。




 さて。

 五階は殆どが例の会社だ。騒ぎ声がここまで聞こえてくる。


 体力は既に限界を超えていた。徹夜と最近の不摂生がたたって、いつも以上に深い疲労感に襲われている。

 それだけではない。既に何か所も傷を負い、牙を立てられた。体のあちこちから血が流れてべたべたになっている。

 さすがの俺でもここまでやられるときつい。手足が痺れ、軽く眩暈もする。だから本当に休憩したい位なのだが。


 弾倉を入れ替える。写真と指輪の入っているあたりに手を置き、ふっと息を吐く。


 あと、少し。


 体中の筋肉が悲鳴を上げるのを聞き流し、俺は一人で五階に向かった。

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