14.命の限りと想い
車の中でも、駿君は黙ったままだった。
渡貫さんに往診を頼んだら、十二時頃まで家で様子を見てから医院へ来るようにと言われた。もしそれまでに熱が出れば、午後に往診へ行くからと。
だが結局、熱は出なかった。
医院に到着したのは十三時頃。呼び鈴を鳴らすと、白衣にカーディガンを羽織った女性が顔を出した。
駿君が名前を告げると、彼女は私達を待合室に通し、会釈をして外に出て行った。手には小さなバッグを持っている。これから昼休みに入るのかもしれない。
しばらくすると、家と繋がっている出入り口から渡貫さんが出て来た。
「おまたせ。じゃあ行野さん、こっちに来て。今日はちょっと検査に時間がかかるよ」
渡貫さんは、表面上はいつもと同じ飄々とした雰囲気を漂わせているが、目つきが鋭い。時間をかけて、往診では対応できないような検査を色々行った。
検査の後、診察室に駿君が呼ばれた。
「今回の傷ね、傷自体はたいしたものじゃないし、吸血もされていないから簡単な手当てだけにしておいたよ。家で絆創膏貼るのと同じようなものだ。問題はそこじゃない」
私達の顔を交互に見て言葉を続ける。
「吸血による人体への影響は古くから研究されてはいるんだが、同じような条件下でも個人による差が非常に大きくて、データがあまり参考にならない。しかも『生き物でない者』のやることだから、科学ではどうしても解明が出来ない所がある。だから何を言うにしても断言は出来ないんだが」
彼はそこで一旦言葉を切り、膝の上に両手を組んで座り直した。
「今回の検査の結果や行野さんの現在の体調を今までの事例と照らし合わせてみると、現在のところ、最長の生存例でも、三カ月です」
三カ月。
私は、長くてあと三カ月、ということなのか。
駐車場の事件の後、もしすぐに診てもらっていたら助かったのか、という駿君の質問に、渡貫さんは即座に首を横に振った。
「相手は『生き物』じゃないんだ。熱とかの症状に対して対応は出来るけれど、傷痕以外は根本的な治療方法がない。それにここまで来たら、もう、人間には……」
そしてそれまで真っ直ぐにこちらを見つめ、冷静な口調で話していた渡貫さんが俯いた。
私は昨日の病院で治療を断られた。だが、どのみち助からなかったのだ。
足元に、ぽっかりと暗く大きな穴が開く。
ゆっくりと、落ちていく。
家に戻ってから、駿君は絞り出すように告白した。
私の体について、渡貫さんから既にある程度の事は聞いていたそうだ。
初診の時点でもう、私が老人になる可能性は低いと言われていた。
そして渡貫さんの話を聞くたびに、それはどんどん悲観的な話に変わっていった。
それでもなお、私の気持ちに応える気はなく、自立を願い、渡貫さんと私がつきあえばいいと思っていたという。
そう思うことで、私が長く生きられると錯覚していたのだと。
「働かなくていい、ずっとここにいろなんて、恐ろしくてとても言えなかった」
彼は拳を握り締めて俯きながら言った。
「それじゃまるで悲観的な話を受け入れているみたいだからって。今はこんなに元気なんだし、自分だって後ろ暗い明日も知れない身だし、吸血種に襲われさえしなければ、自立だって、長生きだって、俺以外の奴と一緒になる事だって、出来るはずだ、って」
吸血種に襲われさえしなければ。
そう思い込むことも出来た。可能性としてなくはなかったから。
でも、私は吸血種の手にかかった。
拳を握り締め、俯く駿君の横顔を見る。
彼が、あんなに必死になって助けてくれたのに。守ろうとしてくれたのに。ずっと寄り添ってくれたのに。
些細な傷の積み重ねで、こんなことになろうとは。
私はソファに並んで座り、彼の拳を両手で包み込んだ。
「私ね、自分がよくてあと三カ月だっていうこと自体は、正直『ふーん』って感じなの」
私の言葉に、駿君は顔を上げてこちらを見た。不思議な生き物を見るような目で。
それはそうだろう。でも、本当にその程度にしか思っていない。
だって本当ならば、私は駿君と別れた後、路上で血を売るか「花嫁」になるかして、あっという間に命が尽きていたはずなのだ。
それを何カ月も命を繋いでもらい、その間に数え切れない思い出を与えてもらった。自分には一生縁のない世界と思っていた経験を沢山させてもらった。
そしてなにより、世界でただ一人大好きな駿君と同じ屋根の下で共に過ごし、彼から沢山の愛情を与えてもらった。
それだけで充分だ。充分過ぎるくらいだ。私のことだけ見れば。
でも。
「でも、怖いの。凄く、怖いの。駿君を残して、先にいくのが」
私が怖いのは、自分の命が少ない事自体じゃない。駿君を一人この世界に残し、私がいなくなることによって、彼が悲しむのが怖いのだ。
この気持ちは、「花嫁」として捕われた時と同じだ。
彼を悲しませる。その事が、何よりも怖い。
駿君はそっと私を抱き寄せた。私も彼の胸に体を預ける。互いに互いを想う心が、ひりひりと痛いくらいに熱く二人を包み込む。
私達は言葉を交わすことなく、そのままずっと互いの体温に触れあっていた。
命の源の持つぬくもりを、ずっと感じ合っていた。
今日の「昼間」、説明が一通り終わった後、渡貫さんは駿君を外に出して私と向き合った。
「行野さんの体に関することはさっき説明した通りだよ。でも、ちょっとだけ時間が欲しい。いいかな」
渡貫さんの微笑に、私は頷いた。
「俺、今まで散々行野さんにつきあってとか嫁に来てとか言っていたけれど、あれ、全部本気だったから。それだけは分かって欲しいんだ」
頷く。分かっている。あんな調子だけれど、渡貫さんは真面目な人だ。
「行野さんの体の事は分かっていた。でも、それでもいいと思っていたんだよ。だけど」
彼は私の目を覗き込んだ。
「昨日、決めたんだ。悔しいけれど、俺の負けだ。完敗だ。だから退きます。行野さんのことはきっぱり諦めます。そういうつもりで昨日、帰り際に『さようなら』って言ってみたんだ。それなのに次の日になってすぐ会って、実は若干気恥ずかしい」
そう言って目を伏せ、頬を赤らめる。「渡貫先生」の鎧を脱いだ、素の姿の「渡貫さん」がそこにはいた。
「俺は諦める。でも、好き、なのは変わらないんだ。だからこそ行野さんには幸せになってほしい。他の人より少し時間は限られているけれど、行野さんの為に、俺は自分が出来ることはするよ。でも、行野さん自身も頑張ってほしいんだ。難しいことじゃない。自分が幸せだと思えることをするようにしてほしいんだ。美味しいものを食べる、でも、どこかに出掛ける、でもなんでもいい。いや、そんなものよりも」
頬を染めながら、ああ、ちくしょう、言いたくねえ、と呟いてから、私の目を見て微笑んだ。
「行野さんが一番好きな人に、自分の気持ちに応えてくれって伝えてみて欲しいんだ。きっとその、行野さんが一番好きな、羨ましすぎる大馬鹿野郎は応えてくれる。だってその大馬鹿野郎は、今既に、全身全霊をかけて行野さんを愛し抜いているんだからさ」
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