4.うたかたの永遠を、あなたと
1.何よりも大切な
「こんなもん、なんで今まで我慢していたんだよ。構わねえに決まっているだろ」
「だってぇ。駿君って朝、コーヒーだけ飲んですぐ仕事始めちゃうじゃない。だから仕事の妨げになっちゃ悪いと思って」
「父じゃあるまいし、俺そんなに仕事熱心じゃねえよ」
憧れの朝食セットを食べる私を前に、駿君は顔をしかめて腕を組んだ。
昨夜、おやすみの挨拶をした時、駿君は私を見つめ、「やりたいことをどんどん言え。なんでも叶えてやる」と言ってくれた。
その時、咄嗟に出て来た「やりたいこと」が、よりにもよって「朝食が食べたい」だったのだ。
自分の人間の小ささに、感動した瞬間だった。
「おはようございます。あれ、如月さん、それはあんまり良くないっす。女性の立場がないでしょうが」
私の追加注文を持ってきた矢木さんは、駿君を見て呆れたような声を上げた。
「朝食のセットに
矢木さんは社員としてどうなんだという発言をした後、駿君に囁いた。
「お願いします」
駿君はスマートフォンを覗いて軽く頷いた。
「狼」の依頼でもあったのだろうか。
「花菜、青空を見に行かないか」
スマートフォンの事には触れずに話題が変わる。
「青空?」
「前、ちょっと言っていただろ、青空を見たいって」
「ああ、うん。でも申請してから時間がかかるとかなんとか」
「昨日申請したら、再来月、日帰りで『第五地区』に行けることになった」
おおぅ、いきなりだなあ!
確か第五地区って、ここから一番近い陽の当たる場所だ。
「あ、ありがとう! いきなり」
「第五地区なら海も見られる。どういう所か調べておくといい」
駿君は店員を呼び、チェックのためのカードを出した。
「行くのは再来月だから。それまで待っていろ」
再来月、を少し強めに言った。その思いを受け止め、頷く。
うん、分かった。再来月ね。
それまでちゃんと、生きるね。
やりたいことをどんどん言え、と言ってくれた。
朝食も食べた。再来月には青空も見られる。やりたいことって、あと、何だろう。
本当は。
やりたいこと、じゃなくて、あなたに叶えてほしいことがある。
それだけでいい。あとは何もいらないんだ。
応えて。
お願い。
「夜」になり、そろそろ寝ようと思っていた時、来客を告げるチャイムが鳴った。
こんな時間に何事かと思いモニターを覗くと、矢木さんが映っていた。希ちゃんはおんぶしていない。
「どうしたんですかこんな時間に。希ちゃんは?」
前に「ゴミ出しで外に出る時でも必ず希を連れて行く」と言っていたのに。家に上がった矢木さんに訊いてみる。
「『夜間』専用の託児所に預けているよ。大丈夫。この日のために少しずつ預けて慣らしていたから」
駿君が仕事部屋から出て来て手招きをした。矢木さんは頷き、微笑みをたたえながら仕事部屋に入っていく。
この矢木さんの微笑、何度か見かけたことがある。
カフェでの営業スマイルとは違う。希ちゃんをあやしている時のパパの笑顔とは正反対の。
冷たく、残忍な「狼」の微笑。
吊り上げられた口角に、深い憎悪と殺意が込められた微笑。
矢木さんも駿君も、いつもの話し合いの時とは様子が違う。
でも、私は基本的に彼らの行動には関わらないようにしているので、そっと仕事部屋の前を離れ、寝室に籠った。
「花菜」
しばらくして、駿君に呼ばれたので部屋から出た。二人が並んで寝室の外に立っている。
……ああ、成程。
だから、希ちゃんがいないんだ。
矢木さんは情報係だ。普段自分が直接行動することはない。
けれども吸血種の襲撃を受けた駐車場で、彼は慣れた様子で拳銃を使いこなしていた。きっと、以前から駿君に手ほどきを受けていたのだろう。
この日のために。
駿君だけでなく、矢木さんも黒衣姿だった。
闇に溶け込む黒い服に銀のアクセサリー。前を留めた上着の中には、きっと拳銃が仕込まれている。私の姿を見て、矢木さんは口元だけ微笑の形を作った。
「今日は俺が実行係だよ。お兄さんは新人のサポート」
駿君は矢木さんのアクセサリーの位置を少し直した後、私の方を見た。
「行ってくる。何かあったらすぐにメールしろ。少し経っても俺から連絡がなければ渡貫を呼べ。いいか、無理するな。少しでも不調があったらすぐに連絡するんだぞ」
今までは私に黙って出掛けていたのに、今日は何度も念を押す。私は頷き、まだ念を押そうとする駿君を遮って微笑みかける。
「私は大丈夫だよ。何かあったら必ず連絡するから。その為のスマホなんだもんね」
そして矢木さんに向き直る。
「矢木さん、もしかして、見つかったんですか? あの、奥さんの」
矢木さんが微笑む。その微笑を見て、私の考えが間違っていなかったことを知った。
矢木さんの奥さん。希ちゃんの検診の帰りに襲われたと聞いた。
その犯人を、今日は矢木さんの手で葬り去るのだろう。
「あいつらはずるい」
矢木さんは微笑みを顔に張り付かせながら呟いた。
「ちょっとやそっとじゃくたばらない上に、くたばる時はあっさり灰になりやがる。もっと、もっと、苦しみながら、怖がりながら、絶望しながら、じわじわとくたばらせる方法はないのかな。ねえ、如月さん、そう思わない? だって、彼女や、如月さんの親御さんは、そうやって」
「無駄なこと考えんな。気が散っていると返り討ちに遭う」
話せば話すほど苦しみが増すであろう矢木さんの呟きを遮って、駿君は玄関に向かった。
「ねえ、二人とも」
玄関に立つ二人に向かって声を掛ける。これだけは言っておきたかったから。
「あの、気が散っちゃうと危ないからっていうのは分かるんだけど、これだけは頭の隅に入れておいてほしいの」
瞳に憎悪の光を宿した二人の悲しい「狼」に向かって言葉を続ける。
「仇を討つために、二人ともこういうことをしているのは分かる。大切な人を失って、悲しいのも、憎いのも、恨んでいるのも分かる。だけどね、仇を消すより、自分の命を優先して欲しいの。無謀なことはしないで欲しいの。本当、これだけは覚えておいてほしいんだけど」
ひとつ、息をつく。
「あなた達には、あなた達のことがなによりも大切な、生きている人がいるの。その人にとっては、あなた達がいなくちゃだめなの。たとえ仇が討たれたとしても、あなた達がいなくちゃ意味がないの。だからお願いね。無茶だけは、絶対にしないでね」
戦意が削がれるだろうか、とか、気が散るだろうか、とか、途中から考えられなくなってしまった。私の拙い言葉に、駿君は少し笑って私の頭に手を置いた。
「分かっているよ。俺らだって、生きている人の事がなによりも大切だ」
頭に置いた手をするりと滑らせて頬に触れる。温かい手で、頬をそっと包み込む。
矢木さんは不思議そうな顔をして駿君を見た。駿君は私の頬から手を離し、私の目を真っ直ぐ見つめた。
「そう心配すんな。もう遅いからさっさと寝ろ。明日、話がある」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます