2.親友からの言葉

 その日、一度は眠ったものの、急激な寒気に襲われて目を覚ました。

 歯の根が合わないくらいに寒い。体中が痛い。思わず駿君の名前を呼ぶと、まだ仕事をしていたらしい彼が寝室に飛び込んできた。


「どうした!」


 彼の叫び声に答えようとしたが、うまく声が出なかった。

 寒い。目も霞む。彼を見つめていたいのに、頭の芯が痺れて視線が定まらない。そんな私の様子を見て、駿君は私の上半身を抱き起し、包み込むように抱き締めた。


「可哀想に」


 絞り出すような、擦れた声で囁く。


「代わってやりたい。なんで、花菜がこんなことに」


 抱きしめる両腕に力が入る。


「俺が、代わってやりたい……」


 彼に支えられているのに、上半身を起こしているのがつらくなってきたので、私は横になろうとした。

 駿君は私と一緒に横たわり、全身を包み込む。襲い掛かる強烈な寒気の中で、その彼のぬくもりだけが救いだった。

 微かに駿君の匂いがする。彼にしがみつく。


 助けて。寒いの。体が痛いの。このままずっとひとつになったまま、あなたのぬくもりで包んで欲しいの。

 このまま、この体が冷たくなっていかないように。


 お願い。

 助けて。




 思った通り、翌日になって高熱が出てしまった。

 渡貫さんが来てくれたが、やはり直接的な原因は昨日の怪我だろうということだった。


「普通、この程度の怪我で何か症状が出るなんてことはないんだよ。今、相当体が弱っているんだ。だからこの熱が下がっても絶対に無理しないこと。いいね」


 珍しくきつい口調で何度も念を押す。そして自分のきつい口調に気付いたのか、少し笑って寝室を出た。


 寝室の外では、二人が話し込んでいる。ぼそぼそとした小声で、いかにも私に聞こえないように話している、という感じだ。随分と長い。

 だがしばらくすると、渡貫さんが急に大声で怒鳴りだした。


「お前、意地を張るのもいい加減にしろ! 誰の為にもならないだろうが! お前自身も含めてだ!」


 駿君が小声で何かを言っているが渡貫さんは止まらない。


「お前がその調子なら、俺も本気でかかるぞ、いいのか? ……いいわけないだろうがこの馬鹿野郎!」


 ごとごとと物音がする。喧嘩でも始まったのだろうか。私はベッドから降り、寝室から出た。

 頭ががんがんする。歩くたびに足の裏が痺れる。声がびっくりするくらいかすれていた。


「どうしたの」


 渡貫さんは駿君の胸倉を掴み、二人とも互いを睨み合っていた。


 何があったのだろう、普段はあんなに仲がいいのに。


「ああ、ごめんね、うるさくて。お兄さんがあんまりにも意地っ張りだからムカついて」


 お兄さん、の所を強く言って、渡貫さんは少しきまり悪そうに笑った。駿君はふてくされたような顔をしてそっぽを向く。

 私はドアにもたれかかったまま言った。自分の声が、紙一枚隔てたようなくぐもった音に聞こえる。


「何があったのか分かんないけど、やめて。二人とも、いつも仲がいいのに」

「えー、あれを仲がいいというのか? なあ」


 自分から矛を収めるべきだと判断したらしい渡貫さんは、駿君から手を離し、そう言って笑った。

 駿君はまだ少しふてくされている。この辺が、なんというか「先輩と後輩」なんだなあ、と、ぼんやり思った。


「じゃあお大事に。駿」


 帰り際、渡貫さんはお決まりの台詞の後、駿君に向かって声を落として言った。


「こたえろ」




 熱が引き、元気になった時にはもう、駿君の方の誕生日になってしまった。

 私の熱がうつる性質のものではない為か、一度、矢木さんが希ちゃんを連れてやって来たが、駿君が黒衣を身につけて出掛けることはなかった。

 だが私の熱が引いた途端、外出を控えていた分を取り戻すように、スーツを着て早い時間から外に出掛けてしまった。そしてやっぱりというか、今日が自分の誕生日だということを見事に忘れていた。


 さて。


 今日は「夕方」まで帰らないと言っていた。家事が一段落したころ、来客を告げるチャイムがあった。


「あ、わざわざすみません、今開けますね、矢木さん」




 結局、駿君は「夜」まで帰って来ず、その後もずっと仕事部屋に籠り、しかも私が寝てからは黒衣姿で「明け方」まで出掛けてしまい、誕生日など何も関係ない一日となってしまった。

 それは私が寝込んでいる間中、色々な「仕事」が出来なかったせいなのだ、と思うと、心が痛む。


 そして今日は、私達の誕生日のお祝いだ。

 そうだ、こんな日を迎えるのは十年ぶりだ。


 来年、またこの日を二人で迎えることは出来るのだろうか。

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