12.私は弱くなった
駿君を診た医師が、ほう、と大きな息をついた。
「彼は実に恵まれた体ですね。五人に同時に襲われて、これだけ何の問題もない人というのは珍しいです。これなら輸血もしない方がいいでしょう」
医師の詳しい説明は理解できなかったが、簡単に言うと、駿君は吸血に対する抵抗力が人並み外れて強いらしく、さほど体に問題がないので、一晩の入院で帰れるだろう、とのことだった。
「そして、あの、行野さん。あなたに関しましてはその、申し訳ないです。規定がありまして」
人の好さそうな医師は、そう言いながら視線を泳がせる。
私は黙って頭を下げた。
私の噛み傷は、治療を断られた。
この病院では、売血者の治療を拒否している。私は売血をしなくなって何カ月も経つが、それでもだめだと言われた。
「治療自体は別に違法とかではないんですよ。ですが治療の記録を残すと上のほうに色々言われますので」
医師の言う「上」が何なのかは分からない。
だが私は、病院で治療を受けることすら許されないような人間なのだ。
傍らにいる駿君の寝顔を見る。
ついさっき、あんなことがあったなんて思えない位の安らかな寝顔。彫りの深い端整な顔も、寝ているとあどけなく愛らしくさえある。
そういえば彼の寝顔を見るなんて、何年ぶりだろう。
医師が部屋を出た後、木村さんと矢木さんに駿君の事だけ報告をした。
電話口で木村さんはほっとしたように「ようございました」と言い、その後の顛末を教えてくれた。
捕まえた人間の男共は一時的に雇われただけだったようで、吸血種から貰う予定だった報酬と同額を渡すと、「二度とマンションの敷地内に出入りしない」という念書にサインをして、あっさり帰って行ったそうだ。
なんだか悔しい対処法だが、拳銃が絡んでいたりして警察沙汰に出来ない以上、仕方がないのかもしれない。
矢木さんは電話に出られないだろうからと慣れないメールを送った。するとすぐに「ヒーローは不死身だ!」「あとで行きます!」と、それぞれ赤いマスクと衣装を着た、正義の味方的なキャラが喋っている絵柄が届いた。
矢木さん、今、仕事中じゃないのか。いいのか。
◇
駿君の寝顔を見ているうちに、私はいつの間にか居眠りをしていたらしい。変な格好で寝たせいで肩の後ろの辺りが痛くなって目が覚めた。
「駿君」
顔を上げると、駿君と目が合った。彼は上体を起こし、私を見つめている。
その顔色は
「花菜、ここ」
私の傷に触れ、呟く。
「どんな状態だって?」
私は少し笑って俯いた。
「診てもらえなかった」
多分その答えは想定していたのだろう。彼は黙ってしばらく傷口に触れていた。いつもはあたたかいその手は、氷のように冷たい。
「俺、多分医者に大丈夫だって言われただろ。だから花菜、今から渡貫の所へ行け」
傷口から手を離し、いきなりそう言った。
「え? やだよもうちょっといる。どうせ今から診てもらってもしょうがないもん。それより」
包帯を巻かれ、点滴の刺さった彼の腕に触れる。
「こんな、こんなになって……。もとはといえば、前に私を『花嫁』から救ってくれたから」
「またかよ。最近あんまり言わなくなったと思っていたのに。そうやってなんでも自分のせいにして」
駿君は少しむっとした表情で、私の額を二回つついた。
「別に花菜が血を吸ったわけじゃねえだろ。いい加減そのクセやめろ。それに俺は吸血に強いんだ。だから仲間がいない時期が長かったのに今まで生き延びられたんだし。この位別に今に始まったことじゃ」
彼がそこでふっと口をつぐんだ。
何を思い出したのか、眉をしかめ、唇を噛んでいる。やがて何かを振り切るように首を振り、顔を上げた。
「だから俺はいいんだよ。それより」
それより。
言葉を切り、私の首筋の傷に触れる。
顔を近づけ、私の首筋を慈しむように撫で、じっと見つめる。
その瞳があまりに悲しげだったので、私はそっと目を伏せる。
そのまま時間が過ぎていく。
この程度の傷でも、駿君がそんなに気に病まなければならない程、私は弱くなっていたのか。
「あっ、やべっ!」
その時、背後から大声が響いた。
「だめだ希、まだ見ちゃいかん! チューは二十歳を過ぎてからだ!!」
病室の入口で、希ちゃんをおんぶした矢木さんが仁王立ちになっていた。
◇
「だってさ、いかにも今からですよって雰囲気だったし。どうもすみません」
矢木さんは、気まずそうにそう言いながらおんぶ紐を外した。私達が顔を近づけ真剣な表情をしていたので、なにやら誤解したらしい。
「二十歳までだめって、希が可哀想だろ、酒じゃあるまいし」
駿君は「そこか」という突っ込みを入れた。
「だめだだめだ! 本音で言えば俺以外は一生だめだ!!」
矢木さんは矢木さんであんまりなことを言う。
「でも親兄弟だからって赤ん坊の口にしちゃいけないんだろ? 虫歯菌がうつるって言われた」
そしてまた駿君がずれたことを言う。
言われたって、言ったのはお母さんか。対象の赤ん坊って私のことだろう。お母さん、余計なことを、と思わず思って、その自分の思考回路が恥ずかしくなって、私はひっそり頬を火照らせた。
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