10.救出と銀の弾丸

 駿君、なんで?


 涙でぐちゃぐちゃの顔を上げ、混乱した頭で今、何が起きているのかを考えようとする。

 どうしてここが分かったのだろう。まさか私に内緒で発信器でもつけていたとか。それにしたってこの暗くてごちゃごちゃしたビルの中からこの部屋は見つけられないだろうに。


 そう、ここは誰も来られない場所。だからスーパーの前で車に押し込められ、少し暴れて無駄だと分かってからは、すっかり諦めていたのだ。

 いや、そんなことよりも。


 拳銃は持っているものの、駿君は普段の格好のままで来ていた。身を守るためのシルバーはいつもの指輪一つだけだ。

 駿君が動いたとき、小さな明かりが彼の姿を照らした。そしてその姿を見て心臓が縮み上がる。


 彼のしなやかな首筋を濡らす、

 紅く細い、二本の血の筋。


「今、誰を消した」


 目の前に落ちた灰を見て、男は震える声で呟いた。


「誰を」

「んなもん俺が知るかよ」


 少し首を傾げ、いつもの淡々とした口調で言った。

 男が構えるために動いた隙に、駿君は私の腕を強く掴んで自分の方へ引き寄せた。私は彼に隠れるように後ろへ回る。

 開け放たれた扉の向こうの暗闇から、小さな呻き声が聞こえている。背後に誰かいるのだろうか。


「てめえ、まさか」


 男は全身を震わせ、次の瞬間低い雄叫びを上げながら駿君に掴みかかった。


 引き金を引く間もない位の速度で駿君を押し倒し、二人は転がるように倒れ込んだ。倒れた時に、床に散らばっていた灰がふわりと舞った。

 轟音と共に拳銃が火を噴いた。狭い部屋の中に銃声が溢れかえる。苦し紛れに撃った弾は男の肩の少し上を通って壁に当たる。

 男は駿君を組み敷き、拳銃を掴んだが、その途端叫び声を上げ、手を引っ込めた。拳銃は床に転がり落ちる。男は駿君の手首を押さえつけ、少し顔を歪めた。


「純銀の銃か。危ねえ危ねえ、掌を大火傷するところだったぜ」


 拳銃は私のすぐそばに転がっている。武器のない人間が力で吸血種に勝つのは難しい。男は嬉しそうに口の端を吊り上げて嗤った。


「大層な銃を持っている割には無防備だな、あんた。さて」


 言い終わらないうちに駿君の頬を拳で殴り飛ばす。私は叫び声をあげ、反射的に男の背後に掴みかかった。

 だが私の腕など男に簡単に引きはがされ、私は壁に激突して背中を強く打った。

 背骨が痺れるように痛い。男に爪を立てられた手首からうっすらと血が滲んでいた。


「花菜!」


 駿君が叫んだ時に男がまた頬を殴った。駿君から低い呻き声が漏れる。男は私の方を見て少し笑い、駿君の首筋に顔を近づけた。


「折角結構な金を出して『花嫁』を買ったばっかりだっつーのに、こんな野郎の血で腹を膨らますのは勿体ないけどな」


 駿君の首筋から流れる血を、赤く長い舌で這うように舐める。そして薄く笑う。


「お前、案外旨いな」


 男の口から二本の牙が突き出る。

 私は咄嗟に足元に転がった拳銃を手に取り、訳も分からず男に向かって銃口を向けた。


「やめてっ!」


 ずしん、と拳銃の重さがのしかかる。

 両手でしっかり持ち直す。なんなのこれ。駿君が片手で撃っていたから、そんなものだと思っていたのに。

 こんなもの、私に使えるだろうか。そもそも拳銃って、どうやって撃つんだ。


「てめえ、『花嫁』の分際で俺に銃を向けるとはいい度胸だ。でもよ、撃てるのかお前に」


 小馬鹿にしたように男が嗤う。

 男のすぐそばには駿君がいる。もし下手に撃って外したら駿君に当たってしまう。こんな大きな銃で撃たれたら、人間だってひとたまりもないだろう。

 銃を持ったまま動かない私を見て、男は駿君に向き直り、首筋に牙を立てた。暴れて抵抗する駿君を押さえつける。


 牙がめり込む。

 男の喉がごくりと上下する。


 その喉のうごめきを見るや、私は声にならない叫び声をあげ、無我夢中で拳銃の引き金を引いた。


 轟音に耳が悲鳴を上げ、肩に衝撃が走った。銃は弾を吐き出す反動で私の両腕ごと上の方へ跳ね上がり、思わず足元がよろめいて尻餅をついた。

 弾は全然関係ない壁の上の方に当たって止まった。


「お前、よくも!」


 男は顔を上げ、私を睨み付けて思わず体を少し浮かせた。その隙に駿君は素早く立ち上がって男の手から逃れ、男を突き飛ばして私の前に立ちはだかった。

 私の手から拳銃を奪う。駿君に突き飛ばされて男は少しよろめいたが、すぐに体勢を立て直した。

 その眉間を、巨大な銀の拳銃から吐き出された銃弾が貫いた。


 どん、という低い音とともに、男は小さな音を立てて灰になった。

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