8.大切な「家族」

 心のどこかで思っていた気がする。彼ならばなりかねない、と。


 「吸血種を消す者」の総称、俗に「狼」と呼ばれている人達の多くは、吸血種に深い恨みを持っているという。

 彼等は別に特殊な訓練を受けていたり、何らかの組織に属していたりするわけではない。皆、普段は普通の社会人だ。

 それなのに、様々なリスクを負ってまで、吸血種を無報酬で葬り去る。


 吸血種に家族を奪われた駿君は、社会的には浮かび上がることができた。けれども吸血種への恨みと憎しみは、彼を「狼」という泥沼に引きずり込んでいた。

 彼の、得体の知れないすさんだ雰囲気。その正体は、これだったのか。


「また、売ったのか」


 立ち尽くす私を見おろすように、静かに問いかける。私は頷いた。自分のことを、これほど恥ずかしいと思ったことはなかった。


「これから、売るところだった」


 自分の愚かさに、汚さに、恥ずかしくて涙が出て来る。今の私は、駿君にどれだけ蔑まれ罵られようと、何も言い返す資格はない。ただ俯いて、彼の罵りの言葉が浴びせられるのを待つ。


 彼はしばらくの無言の後、俯いた私の顎を手に取り、そっと引き上げた。

 吸い込まれそうな深い藍色の瞳が間近に迫る。彼の形のいい唇が動き、声を発する。


「じゃあ、まだ、吸われていないんだな」


 黙って頷く。


 すると彼の目はふっと細められ、そこに笑顔がこぼれた。


「よかった。間に合った」



 え?


 停止しかけた私の頭が動き出す前に、駿君はさっき私の目の前で倒れたおじさんの方に近づいた。しばらくおじさんの事を叩いたり触ったりしていたが、やがて少し笑って立ち上がった。


「こっちもギリ間に合った。ちょっと待っていろ」


 スマートフォンを取り出し、救急に連絡する。

 おじさんの状態の説明や、現在地の案内の仕方が手慣れている。こういうことは今までに何度もあったのだろう。


「もうすぐ救急隊員がここに来る。逃げるぞ」


 電話を切るや、私の手を取り速足で歩き始めた。駿君って昔からそうだけれど、何をするにもいきなりで、かつ強引だ。


「え、あのおじさん、いいの」

「しょうがねえだろ。俺今、普通に銃刀法違反なんだから」


 あ、そうか。




 気がつくと、私は彼に手を引かれるまま表通りに出ていた。


「よし、じゃあメシでも食いに行くか」


 駿君はそう言って当たり前のように歩く。私もつられて一緒に歩いていたが、しばらくしてからやっと気付いた。


「ちょ、ちょっと待って。私、一緒に行けない。私は、もう」

「花菜」


 駿君は立ち止まって私を見た。

 そして呼ぶ。私の名前を。

 「はなちゃん」ではなく、「花菜」と。


「俺はお前の気持ちには応えられない」


 静かで、淡々とした声。私は頷いた。


「でもそれは花菜が妹みてえだからとか以前に、俺が『狼』だからだ。『狼』は正義じゃない。拳銃これだって違法だし、ろくな最期を迎えられないのも分かっている。だから俺は一生、特定のパートナーは持たないと決めている」


 一生、特定のパートナーを持たない。

 それは、恋愛や結婚を切り捨てて、ただ復讐のためだけに生きる、ということなのだろうか。

 一生「狼」として生きる、という覚悟なのだろうか。


「でも、どうしても、今の状態の花菜を手放して、別れることができないんだ。俺は花菜を、お母さんや吸血種のいる泥沼から救い出したい。そして俯かずに笑っている花菜が見たい。今、俺と一緒にいるのは居心地悪いかもしれないけれど、俺にとって花菜は」


 私を見て、少し笑った。


 この世界には、こんなにも切ない笑顔があるんだ。


「この世でただ一人の、大切な家族だから」


 どうしてだろう。

 今の言葉、私が決定的に振られたことを意味するのに。


 彼にずっとついて行こう。そう思った。




 私は泣きたいのか笑いたいのか自分でも分からないまま、駿君を見つめて言った。


「ありがとう」


 彼が頷く。


「というわけで飯食いに行こう」


 そしてまるで今までのセリフがなかったかのようにすたすたと歩き出した。


 歩きながら、駿君は身につけていたピアスやネックレスなどを次々と外していく。あっという間に左手中指の指輪だけの姿になった。

 全身黒のシンプルな格好なので、それだけだとなんだか物足りないというか、間が抜けているような気がする。


「全部アクセサリー取っちゃうの? あれ結構格好いいと思ったんだけど」


 私の言葉に、彼は少し首を傾げた。


「そうかな。吸血種避けの鎧代わりだから仕方なくつけているけれど、分かる奴には『狼っぽい』って思われるだろうし、俺こういう格好好きじゃない。落ち着かない」

「今の格好の方がつまんな過ぎて落ち着かないよ。ねえ、せめてネックレスとブレスレットくらいつけておけば」

「うるさいな、いいだろもう」


 駿君は怒鳴りながら、少し恥ずかしそうに目を逸らした。


「俺は所詮躾の厳しいお坊ちゃん育ちなんだよ。だからこういうの落ち着かねんだよ。放っといてくれよ」


 怒ったような顔をして目を逸らす。

 今、彼が望んでいる、この場の雰囲気を考える。


「やーい、お坊ちゃま」


 私はにやりと笑って彼の額を二回つつき、スキップした。




 心の奥底に彼への想いを固く封印し、二人の時間が緩やかに進み始めた。


 その時間の行き着く未来は、まだ見えなかったけれど。

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