7.私は待っている

 車は私達を乗せて滑るように家へと向かう。


 疲れている。半日はしゃぎ回ったせいで脚がずきずきする。でも。


「いつからなのかは分からない」


 彼の言葉に、私の体は疲れを忘れ、熱いくらいに冴えてしまっていた。




 駿君が、私のことを好きだと言ってくれた。妹としてではなく、私と同じ意味で、と。


 よりによって観覧車を降りる直前に言われ、私はコントのように扉の上部に頭をぶつけ、出口でつまずき、そのまま引きずられてもう一周してしまうところだった。

 そんな私を、駿君は腕を掴んで支え、そっと降ろしてくれた。


 彼が私のことを「好き」だと思ってくれているのは分かっていた。「愛して」くれているのも分かっていた。でも、それはあくまでも「妹」としてだ、と。


「気づいたのは本当、最近だ。花菜が誘拐された時」


 マンションの近くになると、途端に交通量が増える。広い道路を、車が何列にもなって光の尾を引き、走っている。


「木村さんから連絡を受けた時、自分でも分かるくらいに取り乱して、何をすべきか、どう動くべきかを考えられなくなって。俺がおかしいのに気がついて、木村さんが直接部屋まで来て叱り飛ばしてくれるまで、どうしようもない状態だった」


 駿君は少しきまり悪そうな顔をして、私の方をちらりと見た。


「あの人、昔、父の会社の秘書室長だったんだ」


 初めて聞くその話に、私はさほど驚かなかった。駿君を見守る木村さんの目は、時にお父さんのように温かい。


「『あの事件』の後に退職したらしいんだけど、会社の人達とのつながりは保ったままだ。そしてどうやって俺を探し出したのか詳しくは知らない。ただ、あの人に見つけてもらえたから、今みたいな生活が出来るようになったし、花菜に会うことも出来た」


 駿君のお父さんの会社。確かお父さんの会社に勤めているというだけで、社会的に信用を得られるような所だと聞いたことがある。

 そんな会社を、途中で辞めてしまったんだ。


「話逸れたな。で、情けないけど、木村さんに矢木へ連絡してもらって、車の行き先を追う指示をしてもらって、後を追うなら矢木の車で行けってアドバイスまでもらって、その間、俺に出来たのは拳銃を身につける事だけだった」


 そう言って自嘲気味に笑う。

 信号が赤に変わる。


「矢木の車に乗ってからも、まともに会話もできない状態だった。心配で、心配で、怖くて、叫びだしたい位で。で、そんな俺を見て呆れた矢木が言ったんだよ、『冷静になりなよ、そんなんじゃ現場に着いてもかわいい妹さんを助けられないよ』って。その時、その言葉にすげえ違和感を覚えて、なんだろうなあと思って、で、気づいたんだ」


 信号が変わり、車が再び走り出す。駿君はふっと微笑んだ。


「ああ、俺にとって花菜はもう、妹じゃなくなっていたんだ。花菜は俺の全てなんだなあってさ」


 車はマンションの駐車場に吸い込まれていった。




 家に着き、壁に時計が掛かっているのにわざわざスマートフォンで時間を確認すると、もう四時半になろうとしていた。


「コーヒーでも飲む?」


 私の言葉に彼は頷く。

 あんな話をした後なのに、いつもと態度が変わらない。


 私達は、これからどうなるのだろう。二人ともお互いを兄妹とは思っていない、ということが分かってしまった私達は。


「ねえ、じゃあ、渡貫さんのこと、どう思っていたの?」


 コーヒーとココアを淹れ、二人で並んでソファに座る。

 今では、こうやって並んで座る事の意味すら変わって見えて来る。


「渡貫? ジャージが変」

「じゃなくて。まあ確かになんでわざわざあのジャージ、とは思うけど」


 軽く流そうと思ったのに、頭の中が渡貫さんのあずき色のジャージでいっぱいになってしまった。


「私にずっとつきあってくれとか、嫁に来いとか言っているでしょ?」

「ああ」


 駿君はコーヒーの入ったマグカップを両手で包んだ。


「渡貫なら、って」

「渡貫なら?」


 彼が頷く。


「俺は花菜が好きだ。誰よりも何よりも好きだ。でも、俺はパートナーを持たない。それは花菜に対しても同じだ。だから花菜にはいずれ自立して欲しいし、誰か俺以外の奴を見つけて欲しい。それが渡貫なら、と思っている」


 その、あまりの言葉に、私は一瞬、言葉を失ってしまった。

 頭から血がすっと下がる。


「今の言葉、『お前なんか大嫌いだ。顔も見たくない』って言われるよりずっと傷つくって、分かって言っている?」


 時間をかけ、やっとその言葉だけを吐き出した。彼が無言で頷く。


「なんで、そこまで私を外に出したいの? そりゃいつまでも居候をしているのが良くないのは分かっているけど。でも、じゃあ、駿君は私が渡貫さんとつきあったらいい、って思っているわけ?」


 自立に関してはもっともだ。でも、私に他の人とつきあって欲しい、と思っている彼の気持ちが理解できない。


「嫌に決まっているだろ、勿論。特に渡貫なんかこれからもつきあっていく奴なのに、そんな奴の後ろに花菜がいたらと思うとおかしくなりそうだ。でも」


 駿君は左の懐に手を入れ、銀の拳銃を取り出した。彼の掌の中で、それは鈍い輝きを放っている。


「俺はいずれ奴らにやられるだろう。その時、警察はここに来る。そして仕事部屋にある『狼』の証拠を見つける。『狼』は正義の味方じゃない。法も犯しているし、『吸血種にも人間同様の権利と保護を』とかぬかす野郎の社会的勢力は案外大きい。そんな時、自分の一番大切な人が、もし俺のそばにいたらどんな目に遭うか、考えるのも怖い。警察や、社会の目や、吸血種の報復や……」


 拳銃を構えて銃口の向く先を見つめ、懐にしまう。


「渡貫はいいよ。明るくて、優しくて、真面目で、誠実だ。顔もいい。稼ぎは微妙だけどまあ食うには困んねえし、社会的な信用もある。それにあんな副業はしているが、あいつ自身は『狼』じゃない。休日の身なり以外は完璧だと思う。だから」


 だから、と言ってマグカップをテーブルに置き、頭を抱えて下を向く。

 頭を抱えた指先に力が入り、微かに震えている。

 溜息を一つつき、無言のまま時間だけが過ぎていく。




 私は何も言えなかった。あまりにも自分勝手だと怒ることもできたし、社会の目なんか気にしないから一緒にいてと縋ることもできた。

 でも、どちらもしなかった。


 その代わり、待とう、と思った。


 待とう。彼の心が変わるまで。

 私にとっては、変にリスクを心配して気を回されるより、生きている今を一緒に過ごしてくれることの方が、幸せなのだと分かってもらえるまで。


 待とう。あなたが私を好きでいてくれる限り、私は妹を演じながら、待っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る