4.夢のような時間

 もう十数年前の事だけれど、今でも鮮明に覚えている。

 色とりどりのイルミネーションで飾られた遊園地。メリーゴーラウンドやコーヒーカップ、そして巨大な観覧車。


 この日は珍しく駿君のお父さんも一緒だった。

 お父さん、実はちょっと怖い存在だった。近所の人達も、駿君のお母さんとは普通におしゃべりしていたが、お父さんのことは「如月総帥」と呼んで誰も近づこうとしなかった。

 けれどもこの日のお父さんはよく笑いよく喋り、私達と一緒になって乗り物に乗って遊んでくれた。


 私はお母さんの趣味全開の、これでもかという程フリルとリボンのついた薔薇柄のワンピースを着ていた。通りすがりの人が私のことを「まあかわいい、お人形さんみたい」と言うと、駿君は誇らしげにぷっと鼻の穴を膨らませてそっくり返った。


 この遊園地の名物らしい恐ろしげなジェットコースターなどには乗らなかった。

 私が一番面白かったのは巨大観覧車だ。眼下に広がる、きらきらと光る街並みを四人で眺める。


 街並みをうっとりと眺めていると、駿君がいきなり、はなちゃん、このまんま本当におれの妹になれよ、と言った。もうあんな家帰んなよ、うちにいりゃいいだろ、と。

 その時、私は、やだもん、と言った。きらきらの街並みを見ながら、私は大声で叫んだ。


 私、駿君のお嫁さんになるんだもん。


 笑いをこらえるお父さんとお母さんをよそに、駿君と狭い観覧車の中で言い争いをした。


 やだよ、はなちゃんなんかガキじゃねえか。

 駿君だってガキだもん。私だって大きくなるもん。

 そん時はおれはもっともーっと大きいんだぞ。だからいいだろ、はなちゃん妹になってうちに来いよ。

 やだもん。私は妹じゃないもん。お嫁さんになるんだもん。だからおうちに帰るもん。


 お嫁さんになるためにはおうちに帰る、と言って譲らなかった私は、夢のような一日を存分に楽しんだ後、黒い巨大な車に乗って駿君の家に戻り、そこで薔薇柄のワンピースから薄汚れた自分の服に着替え、家に帰った。




 一度来たきりのその遊園地は、遊ぶことを忘れて大人になった私達のことを、変わらぬきらめきをもって迎えてくれた。

 来て早々、駿君の意外な弱点を発見した。彼は絶叫系マシン全般がだめなのだ。


「金払って並んでまで振り回されたり突き落とされたりする意味が分かんねえし」


 腰の引けた姿勢のままぶつぶつと屁理屈をこねる駿君の手を引き、名物のジェットコースターや落ちる系マシンをはしごする。

 どうやら私はこういったものに強いたちらしく、面白かったけれども思ったよりも怖くなくてちょっとがっかり、なんて思っていたが、ふと隣の駿君を見ると、顔を黄緑色にして額に汗をかいていた。


「あ、あそこにお化け屋敷あるう」

「何、花菜はわざわざ怖がりに来たのかよ」


 そういうわけじゃない。私はこういう怖さは苦手だ。ただ、苦手だからこそ、中に入って怖がった勢いで駿君にしがみつけるだろうか、という下心(?)から、ちょっと言ってみただけだ。


「俺は入らない」

「えー、もしかしてお化けもだめなの?」

「なわけねえだろ」


 彼はお化け屋敷に背を向けて歩き出した。


「なんでこんな所に来てまで化け物相手にしなきゃいけねんだよ」


 そして看板を見ながら、戦隊もののステージショーって今日はないんだ、と話を逸らした。




 大人になって、しかもどう見てもキャラに合わない駿君と一緒に来て楽しめるのか、という不安は正直な所少しあったが、遊園地って大人になっても楽しいものなんだ。私は駿君の手を引きながら片端から乗り物に乗ったりゲームをしたりした。


 完全に私に振り回される格好だったが、駿君は全部つきあってくれた。

 穴から出てきた動物を叩くゲームで彼は無駄な才能を発揮し、「今日の最高得点」を文字通り叩きだしていた。通りすがりのちびっこが駿君の腕前に感動して、目をきらきらさせながらずっと「すげえ、すげえ」と叫んでいた。 


 あの頃とはまた違った、夢のような時間だった。

 こんなに楽しいことがこの世にあったなんて、世界の広さ、奥深さに感動すら覚えた。あまり履かない華奢なヒールの靴に押し込められたつま先が、私に向かって文句を言っていたが、私の勢いは止まらなかった。

 笑うことを失った十年を取り返しておつりがくるくらいずっと笑っていたので、頬や腹筋が痛くなってしまった。




「あ、見てこのクレープ。甘い系が五つ入っているぅ」

「まだ食うのかよ!」


 げんなりした顔で私を見る。小食の駿君は、私の食欲につきあうのも大変らしかった。


「じゃあ花菜一人で食えよ。買って来るから座っていろ」


 そう言って自分は食べないのに行列に並んでくれる。

 さっきも同じようなことがあった。テンションが上がって自分の体調が分からなくなっている私のことを、朝からずっと気遣ってくれていた。


 椅子に座った途端に重い疲労感がどっと押し寄せて来る。あれだけ騒げば健康な人でも疲れるだろうが。

 駿君は行列に並びながらスマートフォンをいじっている。私はぼんやりと周りを見渡していたが、ふと一人の女性に目が行った。


 彼女は私と同じくらいか、少し年上のように見えた。

 伸びきった髪の毛に薄汚れた服、素足に履かれたスニーカーのつま先は破れて穴が開いている。頬はこけ、瞳だけはなにかを探しているようにせわしなく動く。

 そして髪の毛の間からのぞく、でこぼこに変形した首筋。

 彼女が遊びに来ているわけではないのは一目瞭然だ。

 彼女は、数か月前の私だ。


 この遊園地は乗り物代だけで入園料がかからない。だから散歩や買い物に来た地元民らしき人達もけっこういるのだが、彼女はそういった人達とは違う。

 そのうち一人の女が彼女に声をかけた。近所に住んでいるような恰好をしたその女は、彼女に話しかけながら自分の首筋を軽く叩いた。


「ほら、食えよ。なんでか店の人が中身を異様に盛ってくれた」


 いきなり駿君に声をかけられ、私は軽く驚いた。

 手渡されたクレープを見ると、確かに「どこから食べればいいんだ」というような盛り方をされている。

 お店のスタッフは若い女性だ。

 そこで、あ、成程、これは駿君に対するサービスだな、と私の未熟な女の勘が警告を発する。

 ふんだ、食べるのは私だよ。


 とりあえず上の端から食べてみたところ、反対側からどろっと生クリームが噴き出した。それを音を立ててすすり、飛び出したアイスを食べると死角に潜んでいたキャラメルソースが鼻につく。


「汚ねえ食い方だな」


 駿君は顔をしかめた。いや多分、さすがのあなたでもこれを優雅に食べるのは無理ですよ、と思いながら顔を上げると、先程の女性と目が合った。


 彼女は、射るような暗い瞳で私のことを睨み付けていた。唇を固く結び、伸びた前髪の奥から私を睨む。

 やがて吸血種らしい女に促されてどこかへ向かったが、彼女の暗い瞳は、ずっと私のことを睨み続けていた。


「どうした。もう食えないのか」


 駿君の心配そうな声で我に返る。私は首を横に振って、彼に微笑みかけた。


 胸に鈍い痛みが走る。


 かつての私も、今の私と同じような人を睨みつけていた気がする。

 憎いのではない。

 「普通」の人が羨ましくて、「普通」からかけ離れた場所にいる自分が、たまらなく、悲しくて。

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