6.白い薔薇と過去

 行列の先頭になり、観覧車に乗った。駿君が先に入り、私の手を引っ張る。私は彼と並ぶように座った。

 地下鉄の時と同じように、お互いの腕が触れ合う。


 観覧車はゆっくりと上昇する。一周十五分かかると入口に書いてあった。

 向かい側の椅子に座ればゆったり座れるのに、という自分の行動の不自然さに内心軽く突っ込みを入れながら外を見る。まばゆいイルミネーションで彩られた遊園地の向こうで、街の光が瞬いている。


「今日は一日、どうもありがとう」


 私の言葉に彼は微笑んだ。


「なんか、思い切り引っ張りまわしちゃったね。私のやりたいものに全部つきあわせちゃって。大変だったでしょう」


 否定せずに大きく頷く。


「振り回す系と落ちる系はもう二度と乗らない」


 冗談めかしてそう言った後、ふっと真顔になった。


「ん、何?」


 私から目を逸らし、前を向く。目の前に、誰かがいるかのように。


「薔薇柄のワンピース」


 遠い日を探るように呟く。


「白い薔薇柄の服を着ていた」


 ああ。

 私と一緒にここに来た日の事を思い出したんだ。


「そうそう、あれ大好きだったの。でも家に持ち帰ったら母親に怒られるから、駿君の家でしか着られなかった」


 駿君のお母さんは薔薇が大好きだった。だから家にはいつも沢山の薔薇の花が飾られ、私に買ってくれた服にも薔薇のモチーフがよくついていた。


「……俺は薔薇が嫌いだった」


 薔薇が駿君の「あの日」の記憶を呼び覚ましたのだろう。私は口を閉じ、俯いた。


 知っている。彼にとって、薔薇は弔いの花だ。

 彼から聞いたわけではない。近所の人たちはあの日の事をよく話していたから、誰もが知っている。




 あの日。駿君が家に帰ると、全てが変わっていた。

 家中のものが引っくり返され、綺麗な家の中は、まるで嵐が通り過ぎた後のようにめちゃくちゃに荒れていた。

 室内の目につく装飾品は全てなくなっていた。現金やカード、宝石類は言わずもがなだ。だが、それよりも。


 リビングの床の上に、両親は折り重なるように倒れていた。

 首筋に傷をつけ、変わり果てた姿で。


 そして二人の周りには、花瓶を盗んだ後に捨てられた、薔薇の花が一面に撒き散らされていた――。




 観覧車は高度を上げていく。ビルの灯り、車の灯りを眼下に、厚い雲に覆われた空に向かっていく。


「薔薇に罪はない」


 駿君は自分に言い聞かせるように呟いた。


「母の好きな花だったし。それに」


 私の方を見て微笑む。


「花菜と再会した時、俺は花菜を見て白い薔薇の花みてえだと思った」


 ええぇ!?


 あまりにもどストレートにクサいというかキザというか、どうしたらいいんだ的なセリフを突きつけられ、私は口を大きく開いた。


「嫌いな花のはずなのになんでかなってたまに考えていたんだけど、そうか、ガキの頃よく白い薔薇柄の服を着ていたからだって」


 ああ、そういうオチね。そうだよね。要は昔の記憶が引っかかっていたから、私を見て白い薔薇を連想した、っていう話か。ああびっくりしたぁ。


「私を見て悲しい記憶と結びついた花を連想して、しかも突然訪ねて来た理由が家出なんて、本当、なんというか、ごめんなさい」


 彼にとって私の登場は色々厄介だったのだなあ、と思う。


「それがな、あの雨の日を境に、薔薇の花が嫌いじゃなくなったんだよ。変なもんで、今まで薔薇といえばあの日のリビング、って連想していたのに、花菜が来てからは、薔薇といえばガキの頃の花菜、になったんだ。あの白いやつ以外にも、お前よくヒラヒラした薔薇柄着せられていただろ、母が俺に着せられなかったストレスを全部花菜にぶつけていたから」

「あはは、ストレスぶつけるなんてひどい言いよう」

「いや実際言っていたし。『駿の可愛くない服を買うのは面倒だ、面白くない、はなちゃんのは楽しいから好き』って」


 あのお母さんなら、そういう感じのことを言いそうだ。駿君は眼下のきらめきを藍色の瞳に映して、穏やかに微笑んだ。


「今の俺には花菜の存在だけが救いだ」


 観覧車は、頂上に差し掛かった。


「花菜がいるから、嫌いだった花も好きになれた。『狼』としての活動資金集めの手段でしかなかった仕事にもやりがいが出て来た。復讐のためだけに生きていた生活が変わった」


 ここが頂上だろう。遊園地のイルミネーションは、遥か下の方でちいさく瞬いている。


「ありがとう」


 そして私の頬にキスをする。

 ずっと握られていた手に、少し力が入る。




 観覧車はゆっくりと地上に向かって降りて行った。もうすぐ、この時間が終わってしまう。


「そうだ、今日の夕食はあんまり重くない方がいいかも。って、駿君いつも軽いけどさ」

「もう夕飯の話かよ」

「いいじゃない。あのね、実は昨日、矢木さんに教わってチョコレートのケーキを焼いてみたの」


 正式には「チョコレートのケーキ」じゃなくて、ナントカという何語だか分からないしゃれた名前があったのだが、忘れた。

 昨日、「私でも焼けて、数日持って、アルコールを使わないチョコベースのケーキ」というリクエストを基に、矢木さんが調理器具と材料を持って教えに来てくれたのだ。授業料は「希ちゃんのお世話二時間」だ。


「花菜が? 焼いた?」


 いくらなんでもそれは失礼だろう、という位露骨に不信感溢れる目で私を見る。


「そうだよ。おいしいよう多分。矢木さんのレシピだし」


 そう言うと、腹立たしい程素直に安心したような表情を見せた。


 もうすぐ、地上に着く。遊園地で遊んでいる人達の表情が見えて来る。


「花菜」


 駿君は私を呼び、息を呑んだ。


「ん?」

「今でも俺の事が好きか」

「ひゅっ!」


 あまりにいきなりそんな事を言われ、私は思わず謎の声を出した。


 彼は私の目を見つめている。私も彼の目を見返した。

 そんなの。答えは一つだ。


「勿論。好きだよ。お兄ちゃんとしてじゃなく」


 そう言って微笑む。


「なんと言われようと好きだよ。たとえ駿君にどう思われようと、ずっとずっと大好き。多分これからも、別の人を好きになる自分は想像できない」


 どうせ前に一度言っているんだし。私の気持ちは変わらない。

 いや、むしろ。


「むしろ前よりずっと好きになったかも。誰よりも、何よりも」


 私の言葉に、駿君は小さく溜息をついた。そして下を向いて呟く。


「そうか……」

「あ、でも、だからって負担に思わないでね、私は」

「いや、ちげえんだよ」


 私達の前に乗っている人達が地上についた。遊園地のスタッフのお兄さんが私達のドアを開けるために待ち構えている。


「気づいたんだよ、この間」


 お兄さんがドアに手を掛けた。私は話を聞きながら降りようと腰を浮かせる。

 そこに、駿君の言葉が襲った。


「俺、花菜の事が好きだ。妹としてじゃなく、花菜と同じ意味で」

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