17.永遠に愛してる
ゲートで時間がかかったせいで、式場に到着したのはぎりぎりの時間だった。
簡単な打ち合わせの後、控室で待ち構えていた係の人達が、流れるように鮮やかな手順で私の支度をととのえていく。ゲートにいた役人に、この効率的な様子を見て欲しいものだ。
「お爪が……」
メイクをしてくれていた人が、私の爪を見て言葉を詰まらせた。
私の爪は薄く脆く変形し、あちこちが割れている。彼女は傍らにいたスタッフに付け爪を持って来てもらった。
「これ、サービスにしますね」
彼女は耳元で囁き、それを装着した。
ぼろぼろだった私の爪は、きれいな淡いピンク色に彩られた。
あの、夢の中のように。
「おきれいですよ」
支度が完成すると、スタッフは私に笑顔を向けた。
「では新郎様をお呼びしますね。このままお座りになってお待ちになれますか? 横になるとヘアが崩れますので」
折角きれいに巻いて白い薔薇の花を飾った髪の毛が崩れるのは嫌だ。私は椅子に座ったまま下を向き、こみ上げる吐き気を必死でやり過ごした。
シンプルな黒い制服を着たスタッフが足早に部屋を出る。淡いベージュと白でまとめられた明るい室内で、じっと待つ。
扉が開く。
扉の向こうには、礼服の胸に白い薔薇のブートニアを挿した駿君が立っていた。
「素敵……」
思い切り人目がある中で、私は思わず結構大きな声で呟いた。
夢の中の駿君の比じゃない。家で試着した時と違い、髪も丁寧に撫でつけられているからなおさらだ。
この人が私の夫なんだ、と思うと、いつもの厄介なそれとは違う、甘い眩暈に体が芯から溶けてしまいそうだ。
駿君は私の姿を認めると、ぱっと顔を輝かせた。
この笑顔。
十年の泥沼の果てに取り戻した、透き通った駿君の笑顔。
彼は駆け寄り、私の耳元に顔を寄せた。
「きれいだよ、花菜」
そう囁いて私を抱きかかえ、陽の光がいっぱいに降り注ぐチャペルへと向かった。
式はすぐに終わった。私の体調を考え、かなり短めにしてくれたらしい。
式の間中、駿君はずっと私を支えてくれていた。本当はもっと式の
途中から、牧師先生が何を言っているのかも聞き取れなかった。それでも誓約の時には声を振り絞って「誓います」と言った。
式の後、会場のすぐそばにある港が見える公園に、ドレスのまま駿君に抱きかかえられて向かった。せっかくのドレスを、式だけで終わらせるのが惜しかったからだ。
陽の光の下では、全てのものがくっきり見える。
比較的人通りが少ない場所とはいえ、ウェディング衣装の私達は周りの視線を全て集めた。しかも私は駿君に抱きかかえられている。通りすがりの人が「撮影?」と言いながらこちらを指差した。
公園のベンチに並んで座る。私は座った姿勢が保てず、駿君の膝の上に横になった。耳に膜を被せたように音がくぐもって聞こえる。
「駿君」
彼の頬に触れようと手を上げたが、思うように上がらない。彼は私の手を取り、自分の頬に当てた。
「私ね、今、凄く幸せ」
意識が朦朧とする中、陽の光のようにあたたかな幸福感に包まれる。
「花菜」
私の手を頬に当てながら、駿君は切なげな声で囁いた。
私の手を握るあたたかな彼の手に力が入る。
引き留めるように。
「駿君、ありがとう」
彼に、どうしても、どうしても伝えたいことがある。それを言いたくて、私は出来る限りの笑顔を作る。
視界が狭くなる。陽の光がこんなに降り注いでいるのに、駿君の顔がぼんやりと見える。
――いろいろあった。
私達は、それこそ私が生まれて間もない頃からの仲だ。私は駿君や駿君のお母さんが飲ませてくれたミルクで育ち、物心がついてからは彼だけを心の支えにして成長した。
吸血種の餌となり果ててからも、思い出すのは彼との幸せな記憶ばかりだった。
駿君と再会した夜、かつての明るさを失い、荒んだ彼の雰囲気に怯えた。それでも彼は、懐に拳銃を抱いたまま、私を優しく守ってくれた。
駿君のお嫁さんになる。
それがありえない夢だというのは、子供の頃も心のどこかで理解していた。
だって、私達は全てが違い過ぎたから。
なのに、その夢が、叶った。
私にとっては、それこそこれは奇跡だ。私は今、彼の妻となる為にウェディングドレスを身に纏い、夫である彼の膝の上でその姿を見つめている。
抜けるような、青空の下で。
港の海は、童謡に歌われるような青くきれいな色ではない。それでも陽の光を浴びてきらきらと水面を揺らしている。青い空の美しさは、童謡以上だ。
私は彼の瞳を見た。透き通る瑠璃のような、藍色の瞳。
どうしても、これだけは伝えたい。
「駿君」
もう一度、笑顔を作って。
「私、駿君の事を、愛している。……ずっと」
駿君の瞳が揺れた。私の体を強く抱きしめ、私の瞳の奥を見つめる。
「俺も、愛している。花菜」
語尾が微かに震える。
「永遠に、愛している」
その言葉に、彼のあたたかな腕に抱かれ、私は微笑み、目を閉じた。
夢を見た。
私は笑顔で歩いている。体はすっかり元気になっていた。
――ほらもう、行くよ、急いで急いで。
急かすように手招きをする。
駿君が呆れたように腕を組んで首を傾げた。
――そんな焦んなくてもいいだろ、多少時間に遅れても最後まで自分の力でなんでもやらせろよ。
――だからって、約束の時間を守るのも大事だよう。
私は駿君の後ろに向かって声をかけた。
――ほらもう、靴、右と左が反対だよ。
駿君の後ろでは、小さな男の子が慣れない手つきで靴を履いていた。
――じゃあ今日はお母さんがやってあげるから。
私は自分の事を「お母さん」と呼び、その子の靴を直し、立たせた。
――久しぶりだねえ、矢木さん。元気かな。
駿君は笑顔で歩き出した。
――希、今年から小学生だって。
――早いねえ。ついこの間立ったって喜んでいたのに。
私と駿君は、子供を挟むように立ち、子供の手をそれぞれ握った。
――いつものやってよう。
子供が言った。私達は笑顔で歩き出した。
――よーし、行くぞー。一、二の
駿君の掛け声に合わせ、子供の手を握る自分の手にぐっと力を入れる。
――さん!
歩きながら二人で腕を持ち上げると、子供の小さな体がふわりと浮かび上がった。
子供は歓声を上げた。
――じゃあ、行こうか。
私達は三人で再び歩き出す。
抜けるような青空の下、陽の光に向かって歩いていく。
これが、
私のこの世での、
最期の記憶だった。
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