2.起動
「随分と、お酒を召していたようですね」
木村さんは部屋に入るなりそう言って、少し顔をしかめた。簡単な片付けは済ませていたのだが、臭いが染みついてしまっているのか。
「で、私に出来ることとは何でしょうか」
いつもの「コンシェルジュの木村さん」から「木村室長」の顔に変わる。
「奴らを全員、一定の時間、例のビルの中に閉じ込めておきたいんです。その為の調整」
「こちらで出来ることとなりますと、当該時間内に奴らが如月系に来社しないよう、取引に関わる者のスケジュールを調整することや、なんらかの用事があるから社員をビル内に集めるように、と伝えること、などですね」
「全社員を集める名目があるといいのですが。何かいい案はありますか」
「役員が視察に行く、その際従業員に会いたいと言っている、というのはどうでしょうか。如月の役員が会いたい、と言えば、あの規模の会社なら必ず全社員を集めます」
「名義を貸してくれそうな人は」
「現在の役員で我々の動きに肯定的な人、となると水谷さんです。ただ、名義だけですと、事情を知らない社員が下手なことを話して矛盾が生じる恐れがあります」
「それもそうですし、如月系が吸血種殺しに加担した、と思われないようにしたい。可能であれば本当に水谷さんには予定を入れてもらって、来社しなかったのは『時間の約束に行き違いがあった』という形にしては」
「関与の足跡は残さないようにしております。ご安心下さい。スケジュールの件は鈴木君に担当してもらって、彼に『行き違い』の泥を被ってもらいましょう」
「鈴木さん?」
「このマンションの十九階にお住まいです」
仕事のミスを被る役まで決め、眉一つ動かさない。
「しかし、そんな役を引き受けてくれるでしょうか。彼の評価に影響しませんか」
「水谷さんが事情を理解している中での『ミス』ですから問題ありません。それにあの会社が襲われた時点で、彼の『ミス』の真意は分かる人には分かります」
「そうですか。そのあたりは木村さんを信じます」
「ありがとうございます。では早速鈴木さんのお宅に行きましょう」
言うが早いか靴を履いて玄関のドアに手を掛ける。
「如月様」
ドアに手を掛けた姿勢のまま、木村さんは少し躊躇った後、口を開いた。
「鈴木君に、直接お会いになりませんか」
「俺が、ですか」
木村さんは頷き、言いにくそうに言葉を続ける。
「如月様としては、お父様の会社にこのような形で顔を見せたくないかもしれません。ですが、ここまで来ましたら、『木村が知り合いの狼に復讐を依頼している』というだけでは、今回の件に関わっている人達の動機付けには、弱いと思うのです。ですが、もしその『知り合いの狼』が如月様だと分かれば、彼らはどれだけ力づけられることか。勿論知らせるのは、鈴木君や水谷さんなど一部の人に留めますので」
確かにここまで来たら、木村さんに色々負わせて自分だけ隠れているわけにもいかない。俺は木村さんに従うことにした。
「ありがとうございます。では……と、その前に」
玄関から出ようとする俺を引き留め、木村さんは困ったような表情を浮かべた。
「おそれ入りますが、まずはそのお召し物を直して頂けますか。あと、
鈴木さんの家では既に子供が寝ていたが、鈴木さんは木村さんの姿を認めるや、丁寧な態度で俺達を家に上げてくれた。
奥さんは、「コンシェルジュの木村さんと如月さんちのお兄さんの方」という取り合わせに不思議そうな顔をしている。鈴木さんは奥さんに入って来るなと言って、書斎代わりに使っているらしい納戸のドアを閉めた。
俺は、鈴木さんに事情を全て説明した。自分の出自、花菜との関係も全て。
親に売血を強要されていた幼馴染を兄妹と偽り共に暮らし、結婚をしたという話を、彼は最後まで真剣な表情で聞いてくれた。そして「スケジュールのミス」をする役割は、二つ返事で引き受けてくれた。
「水谷さんへは僕の方からも話をします。如月さん、希望の日時はありますか」
「ありません。出来るだけ早くお願いします。時間の自由はありますので」
「分かりました。一週間くらいで予定がつけられるよう調整します」
「ありがとうございます。……あの」
二人に向かって頭を下げる。
「お二人を私怨に巻き込んでしまって、本当に申し訳なく思っています。社内で協力して下さっている他の皆さんも」
「我々は如月様の私怨のために動いているわけではありません」
木村さんが強い口調で言い切った。鈴木さんも大きく頷く。
「私も、鈴木君も、他の皆も、社長や奥様の命を奪い、如月様に辛酸を舐めさせた吸血種が憎くて動いているのです。私としては、むしろご子息に銃を持たせてしまうことを申し訳なく思っているくらいです。ですから如月様、そんな風に思わないで下さい。私共に、是非手伝わせて下さい」
鈴木さんは再度大きく頷いた。
彼らの心を思い、俺は黙って深く頭を下げた。
「しかし、まさか同じマンションに、如月社長の息子さんが住んでいたとは、って感じです。超感激です。無理して三十五年ローン組んでここ買って良かったなあ」
雰囲気を変えるためか、鈴木さんは急にそう言って顔をほころばせた。
「僕、高校生の頃から如月社長の大ファンで。ほら、著書とか、記事になっている新聞や雑誌は全部取ってあるんですよ」
彼は狭い納戸の壁一面にごちゃごちゃと押し込められている本の中から、一冊のファイルを取り出した。嬉しそうに広げて見せてくれたそれは、父の著書や新聞の切り抜きなどだ。
「鈴木君のこの熱意は私でもついて行けない位です」
木村さんが呆れたように笑った。
俺は鈴木さんのコレクションを一つ一つ手に取って見た。そこに書かれた言葉の一つ一つから、父の仕事への情熱が溢れ出している。眩しい位力強い生命力が溢れ出している。
雑誌の記事の中には、俺が写り込んでいるものも幾つかあった。「プライベートでは家族を大事にしています」的なうさんくさいやらせ写真の中で、俺はいかにも嘘っぽい爽やかな笑みを浮かべている。
内心、こんなもの大事に取っておかないでくれと思いながらぱらぱらと見ていると、一枚の写真が目に留まった。
「これ……」
俺はその写真の載った雑誌を手にしたまま、しばらく動けなくなった。
「どうかしましたか」
「鈴木さん……」
うわごとの様に鈴木さんに話しかける。
「この写真、貰えませんか」
鈴木さんと木村さんは同時に雑誌を覗き込んだ。鈴木さんは一瞬言葉に詰まり、頷いた。
「勿論です。今、このページ切り取りますね」
受け取った写真を、大事に、大事に、懐にしまう。
写真は、ありがちな一家団欒のやらせ写真だった。写真の下に「家族の存在が原動力」と、これまたありがちなことが書かれている。
写真には家族全員が写っていた。
右下に椅子に座った父、そこに寄り添うように笑顔で立つ母。俺は画面左側で、嘘っぽい笑みを浮かべて立っている。
その画面端に、俺にしがみつくように立っている、白い薔薇柄のワンピースを着た、幼い花菜の姿があった。
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