06 声のカタチ


 ダルトの家におしかけてきた謎の女性は、口がきけなかった。

 無口だとかそういうレベルの話ではなく、そもそも喋れないとは思わなかった。


「ねえ、私が何を言っているか、わかる?」

「……!」


 メリトの話しかけに対して反応し、おずおずと首を縦に振る。


「耳はちゃんと聞こえてるね。言葉も理解出来てる」

「そりゃそうだろ。ウチで話通じてたし」

「言葉の意味をちゃんと理解していたかは、確認していなかったでしょう? 意外と、身振りや目線で相手の言う事を理解している事もあるのよ」

「そこまで厳密に確認はしてないけどよ」


 ダルトが若干納得のいかなさそうな顔をするが、確認をしていなかったのは事実なので、あまり強く反論も出来なさそうだ。

 彼にとってみれば、ある程度意思の疎通が出来ていて、日常生活に支障がなければそれ以上を求めなかったのだろう。それはそれで、ある意味合理的ではある。


「言葉のない環境で暮らしていたって可能性もあるからね」

「もしくは、何らかの後遺症で口がきけなくなったってのもあるかも」

「後者だろうよ」

「どうしてそう思うんだ、ダルト?」


 一番長く一緒に居る人がいるのだから、一番信憑性に足る発言だとは思うけれど、一応根拠は聞いてみたい。


「指輪と服が自前だったからな」

「もう少し詳しく」

「たまたまだが、今着ているのは俺の所に来た時の服だ。農村部ではこんな服は着ない」

「まあ、農村部だとほとんどウールの簡単な服だもんな」

「服というか、穴の開いた布に頭通すだけというか……」

「靴も先の尖った流行のタイプだ。経緯は知らんが街の人間だと俺は思っていたが」

「なんだ、ダルトが買ってあげたんじゃなかったんだ」

「買った奴は今日使ってなかっただけだ」

「へえー。ちゃんと買ってあげてたんだ」


 悪戯っぽい目でダルトに視線を向けるメリトの顔ときたら、それはもう新しい玩具を見つけた時の顔のようだ。あまりそういう話に縁がないメンツだけど、興味がないという訳でもなさそうで。


「そりゃあ、一着しか服がなけりゃ困るだろうし!」

「そんなに長期間滞在させるつもりだったの?」

「い、いや、それは、いつまでいるかわからなかったから、念のためだ!」

「気が回るのね!」

「……」


 何を言っても満面の笑みで褒められてしまい、ついにダルトが黙ってしまった。顔が熱くなっているのを誤魔化そうとしているのか、顔を外に向けてしまったが、むしろその行動が完全に照れ隠し意外の何物にも見えないわけで。

 普段いじられている意趣返しが出来た事にご満悦のメリトはとりあえず置いといて、やりとりを聞いておろおろをし始めた。


「ダルトはともかく、彼女が可愛そうだろ、メリト」

「俺はいいのかよ!」

「まあ、日頃の行い、的な……」

「もうお前の店で鑑定頼まねえからな」

「近衛騎士団の悪い噂を広めてやる」

「悪質だこいつ! くそ、じゃあ俺は……」


 話がお互いの仕事への嫌がらせという、果てしなくどうでもいい方向に脱線してしまった。もちろんお互いに実行するつもりはない。と思う。思いたい。これでも長い付き合いなので、お互いにこの程度で本気になる事はない。と思う。思いたい。


「可愛そうなのは、どっちかというと未だに名前がわからない事の方かも」

「リトちゃんの言う通りかもね……」

「喋れないとなると、名前を聞くのも大変だなあ。何とかならないかな、メリト」

「なんで私に聞くのよ」

「消去法で」


 何のことはない、この中でまともに魔法が使えるのがメリトだけだからだ。ダルトはどうにか出来るならとうにどうにかしているだろうし、リトさんにこの手の問題を聞いても仕方がないだろうし。

 適当に振ってみたのだけど、言われてからしばらく黙って考え込むメリト。

 何か覚えがあるのだろうか。


「ねえ、少し手を出してくれる?」

「……?」


 彼女が言われるがままに右手を伸ばすと、その掌にメリトが自分の手を合わせる。そのまま目を瞑って呪文を唱え始めた。

 その呪文は、聞くまで僕も思い出せなかったくらい、滅多に使われない珍しい魔法だった。


「何? メリトさん、それってどういう呪文?」

「これで話は出来ると思うよ」

「そんな魔法があったんだな! カルも知らなかったのかよ!」

「すっかり忘れてた。【念話】だな」

「お前昔司教やってたくせに思い出せなかったのかよ」

「うるさい。何年前の話だと思ってんだ」


 現役から退いてもう何年も経つ。ダンジョンで毎日のように使っていた呪文ならともかく、これほどマイナーな、めったに使われない呪文なんてそうそう思い出せるものでもない。自分自身でも使った事は一度か二度くらいしかないと思う。

 

「ダンジョンではほとんど使われないからね。口がきけないほどの重傷の探索者に使ったりするの。相手の考えてる事が聞こえる魔法ね」

「便利な魔法があったもんだな!」

「高度な会話は出来ないし、相手に触れないと話が出来ないんだけどね」

「高度な会話?」

「まあ、試しに話してみるのが早いと思う」


 そういうとメリトはダルトの腕を取って、彼女の掌に重ねさせた。二人とも突然の事で驚いて強ばるが、やがてお互いに落ち着いた様子を見せた。ダルトの顔は赤いままだけど気付かないふりをしておこう。


「俺は、普通に話せばいいのか?」

「何でも良いから話してみて」


 何でも良いと言われてすぐに話が出来るようなタイプなら、今頃独り身ではいないという気がするなあ、と思っていたら案の定何も話せずまた固まってしまった。

 他人事ながら、メリトやリトさんの視線が痛い。

 それでも何も言葉を紡ぎ出せずに単音でうなるような声だけを延々と上げ続け、最終的に出てきた言葉が


「げ、元気か?」


 というもので、それを聞いた女性陣二人が、調味料を盛大に間違えた料理を食わされたような渋い表情をしていたのが印象的だった。

 どういう方向から突っ込めばいいのかわからない珍妙な挨拶だったのだけど、言われた方は言われた方で、一瞬きょとんとしながら、力強く何度も首を縦に振っており、実にお似合いというか、微笑ましいというか。


「言葉のチョイスはともかくとして、わかった?」

「……なんか、はいって言われたような気がした」

「それは言われなくてもわかった気はするが」

「そうじゃねえんだ、頭の中で、はいっていうか……とりあえず肯定されたというか、そんな感じのイメージが頭に浮かんだんだ。お前らは何か聞こえなかったのか?」

「何も」


 触れないと何も聞こえないと言われていた通り、僕には何も聞こえなかった。当然のように他の二人にも聞こえていないようで、リアクションはほぼ同じだった。


「あくまで相手の感情や意思を言葉に訳してくれる程度だから、細かい話は出来ないのよ。ご飯を食べたいかって質問なら聞けるけど、食べたいメニューまでは聞き取れないって感じかな」

「ダルトの質問が悪すぎたな」

「うるせえ。そんな急に気の利いた会話が出来るか」

「ですよねー」

「だよな!」

「そういうとこだけ意気投合しない」


 こういう所の発想が同じなので、多分僕とダルトはだらだらと腐れ縁でいられるのだと思う。いつも気が合うとか何かにつけて同じものを選ぶとかそういう事は全然ないし、毎日つるんでいる訳ではないけど、根底の譲れない線の部分が近いと思う。

 別に、いちいち確認している訳ではないけれど。


「さて、これで少し話も出来るようになったわけだけど」

「結局これでは名前はわからないのよね」

「あまり進展してないな」

「ここまででわかった事って、【快癒】の効果が抜群だってことだけじゃない……?」


 無駄な話が続く中で、それでも彼女の体調が崩れないという事が今の所唯一の朗報と言えるだろうか。そんな事が朗報でいいのだろうか。


「うーん、本人が良しと言えば……だけど、もう仮に名前をつけてあげた方がいいかも。本当に話しにくいよね」

「名前か……。何かないか?」

「付けるなら、ダルトが付けてあげなきゃ」

「そういうの苦手なの知ってるだろ!」


 絶対知っててダルトに振っている。その証拠に、もはや邪悪な笑顔を隠そうともしていない。悪戯っぽいなどという可愛らしい表現はすでに似つかわしくない。

 ダルトがさっきのようにうなりながら考え込み始めた。

 心配そうに見ているのは当事者の彼女だけで、メリトは完全に喜んでいるようにしか見えない。リトさんは一緒に考えてあげているようだが、結局決めるのはダルトだという事は同意しているようで、あまり口を挟まない。


「何かないか?」

「だからお前が考えてあげなきゃ意味がないだろ」

「……うぅ。お前らいつか混沌に飲まれろ」

「なんでもいいだってば。お母さんの名前とかでも」

「付けるかそんなもん!」

「ありきたりな名前にしておけばいいんじゃないのかしら。変に凝った名前にしたところで、本当の名前がわかったら使わなくなるんだし」

「わかれば、ですけどね」


 今の所は名前を知る術はないに等しい。

 数日のうちにどうにかなるものでもないだろう。それをわかっているので、ダルトも悩んでいるのだと思う。


「よし、決めた」


 ダルトがそう言ったのは、そろそろ誰か他の奴が付けた方がいいんじゃないか、と誰ともなしに話し始めた頃だった。魔法の効果は聞いているとはいえ、時間が限られていることには変わりがない。話の進展を早めるためにも……と思っていたが、ようやく決めてくれたようだ。


「お前の名前は、アンナだ。いいか?」

「ふっつうー」

「うるせえよ!」


 アンナと今名付けられた彼女は、ダルトの手を取って、何度も首を縦に振った。

 わざわざ手を取らなくても全て伝わりそうなほど、満面の笑顔だった。

 逆にダルトはその笑顔から顔を背けてしまっているが、あれだけ顔を真っ赤にしていれば、アンナにもその意味は伝わるだろう。


「メリト、確か【念話】は、呪文をかけられた方から伝えるしか出来ないんだよな」

「そうね、残念だけど」


「も、もういいだろ、な。手を、その……な?」


 ダルトの声も無視して嬉しそうに掴んだ手をぶんぶんと振るアンナの姿を微笑ましく思いつつ、僕はそろそろ次にすべき事を考えていた。

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