06 愚行の女神

「おかえりなさい!」

 図書館の地下五階から帰ってきて、出迎えてくれたのはモーリスともう一人の女性だった。

 最初はまったく聞き覚えのない声に驚いたが、その外見はどこか見覚えがあるような気がするのだけど、どうにも思い出せない。

 長い黒髪が腰まで伸びていて、若草色の法衣を纏っていた。

 年は、リトさんより少し年上だろうか。顔立ちはとても可愛らしく、幼さすら感じられる程だが、その落ち着いた雰囲気がどこか大人びて見える。


「……誰?」

 リトさんにも全く見覚えがないらしい。


「ロール」

「ええっ?!」

 声に聞き覚えがあるはずがなかった。

 今まで一度も声なんか聞いたことも無いのだ。

 しかし、何故今になって姿が見えるようになったのだろうか。


「呪いが解けた……なんてことはないわよね」

「モーリスさんが、ここにいる間だけは見えるようにしてくださったんです!」

「そんな事出来ちゃうのか」

「ここにいる間だけ」


 エルフは、よく妖精に分類される事があるが、どちらかというと神に近い。そもそもエルフという名前の語源は神の子という言葉であり、太古に地上に堕ちた神々の子供がその発祥であるという説がある。

 人間の中にも神との間に出来た子供というのは昔からいたが、今ではその血も力も薄まってしまい、特殊な能力を持って生まれる子供というのは滅多に存在しない。


 そんな中でもエルフは、今でも魔法に関しては人間が遠く及ばない程の力を持って生まれてくる。

 何しろ願っただけでエーテルが反応するので、ちょっとした事なら呪文を唱える必要もない。ロールさんの件も、単純に彼女がそう願ったのだろう。狭いこの空間限定とはいえ、実現してしまっている事は凄いし、我々としてもありがたい。

 もしかしたら毎回通訳するのが面倒くさいとか、そんな理由で願ったのかもしれないが。


「じゃあ改めて。初めまして。リトよ」

「お店では色々とありがとうございました。またこうして人とお話が出来るなんて、夢のようです!」

「呪い屋さんなら、きっと何とかしてくれると思うわよ。今の所何とかしたのはモーリスだけど、根本的な解決ではないものね」


 気楽に言ってくれるが、まだ呪いの質もレベルもわかっていないのだ。

 わかっているのはこのままでは存在が消えてしまうという事だけ。

 それも一度僕らですら存在を忘れさせられるという事態になっているので、おそらくあまり時間がない。


 持ってきた本に、どれほどの情報が記されているのかわからないが、何とかして対処出来ればよいのだけど。

「とにかく、調べてみましょう」

「どういう女神かは、下で説明した通りよ」


 聞いた話を踏まえて、ざっと本を読んでみる。

 リトさんが説明してくれた通りにこの女神、ろくな事をしない。この本では愚行の女神と呼ばれているので、以後その呼び名を使うことにする。


 まず、太陽神が一度死んでしまう原因を作った張本人である。

 そして、嵐の神の妻を嫉妬の女神と呼ばれるようにしてしまった張本人でもある。


 そもそも嵐の神の妻は豊穣の神であり、大地の女神である。その性質は今でも変わらないのだけど、嵐の神の浮気現場を見つけては逐一報告するという謎の行動によって、豊穣の女神は浮気相手に制裁を加えるようになったのだった。


 この浮気の話とその制裁については件数が多すぎる上に本筋と関係ないので割愛する。

 浮気する嵐の神が一番悪いのは間違いないのだけど、この愚行の女神がいなければもう少しこの二柱は夫婦円満でいられたのかもしれない。


「ここだけは、ちょっとだけ愚行の女神の味方したいかなあ」

「わ、わたしもです! こんなの浮気する方が悪いに決まってます!」

「問題なのはそれを知った後の豊穣の女神の制裁の内容だよね……」


 話の筋とは全然関係ない方向にずれてしまっているのに、僕もうっかり火に油を注ぐような事を言ってしまった。

 僕の発言を聞いた後の二人の目は、若干だけど敵を見る目になっていたと思う。

 敵という言葉が適切でなければ、異教徒を見る目、だろうか。この男に思い知らせてやらなければならない、という強い使命感をその目から感じてしまった。

 

「でも、夫には何も責任を追及しないで浮気相手を責めてるのは、夫への愛じゃないですか?」

「たぶん、ここは男女で意見が分かれちゃうと思うんですよね。僕は根本的な解決がなされない事に対して不満を持ちますし」

「それは男は責任取らなくていいからでしょ! された方の身になって考えなさいよ! 待っている側がどれだけ辛いと思ってるのよ!」

「いや、あの、すみません……」

「なぜ謝る」


 二対一では男の側の意見が劣勢のままだ。モーリスが完全に中立というか全く意見を言わないところが有り難いが、それでも数の上で不利なのは変わらない。

 これ以上は、特にリトさんがどんどん感情的になってきているので、最終的には何を言っても無駄な所まで行き着く可能性が高い。

 いや、そもそも今は浮気の是非を問う討論会ではない。


「すみません、とりあえず本の話に戻りますね……」


 大暗黒から光を取り戻すための軍勢を集める係に何故か起用され、若い男の神を沢山連れてきたものの、何故かその神々が仲違いしはじめて脱落していき、最終的に今言われている人数に絞られる事になってしまったという。


「なにこれ。この女神何したの」

「むしろいない方が良かったんじゃ……」

「神の考えは理解出来ませんけど、僕が考えるに、この女神を若い神々が取り合ったんじゃないかなと」

「うわ……最悪ね」


 愚行の女神はとても美しい女神であったと言われている。あまりに美しかったために生まれた時からもてはやされて、あんな性格になってしまったという説もあるようだ。

 若い神々にどんな勧誘をしたのかは知らないが、探索者の間でも女性がらみでパーティが崩壊するという話を時折聞くので、きっとそういう事なんじゃないかと思う。


「人知を超えた神々が、人間のような低俗な考えと同じとは思わないんですけど」

「でも嵐の神が浮気の常習犯よ。若い神ならそれくらいあり得ると思うわ」

「きっと、すごく、すごく綺麗な方だったんでしょうねえ」

「顔でつられてやってくる奴なんてろくな奴じゃないわよ。そんなのいなくても戦力の差はないから大丈夫」


 呆れた顔で辛辣な事を言うリトさん自身、とても綺麗な人なので、探索者になって色々あったのかもしれない。そもそもが蒼の貴婦人という呼び名で有名だったところにその素顔が皆の想像を超えたところにあった訳で、素顔を晒した頃に流れていた探索者の噂話は本当に彼女のことばかりだった。


 実際のリトさんを知らない男性探索者の妄想は実に面白……いや、夢を見ることは悪い事ではないな、と聞いていて思ったものだった。

 とにかく見た目の良さだけでなく、育ちと外面も抜群に良いのだ、彼女は。


「ふうむ、そういうものですか……」

「ロールさんだって綺麗なんだから、気をつけた方がいいわよ」

「わ、私は、そんな……!」


 そろそろ本題に戻りたい。


 嵐の神の子である英雄達が何人かいるが、そのどれもが過酷な運命と試練に立ち向かっているのだが、これも結局は嫉妬の女神による制裁の結果であり、つまり愚行の女神がその原因となっている。

 神話の中で最も新しく、最も有名な「十二試練の英雄」については、嵐の神を直接たぶらかした結果生まれた試練である。嵐の神はこれによって大いに怒り、女神を地上に堕としたとされている。


「たしかその英雄も嵐の神の息子よね」

「母親も夫が別にいたはずなんですよね……」

「その浮気の行為には、愚行の女神は別に関与していないみたいです」

「だから男って!」

「えっと、その、すみません」

 

 これは本の内容とは関係ないが、地上に堕ちた神というのは結構多い。

 嵐の神など、力ある神々に負けたり、怒りを買って堕とされたりした神もいれば、気まぐれに自分から降りてきて帰れなくなった神もいたそうだ。

 その頃は神々は世界への干渉を直接行っていた時代でもあり、神々はそこら中で地上の人間達と子を成していた。

 それによって神になった人もいれば、地上に残る人もいた。

 しばらくは神と人との区別が曖昧になるほどの時期もあったようだが、大暗黒を超えてしばらくして、神々が地上への直接干渉を禁止する事になって以来、しだいにその血は薄まっていったという。


 それでも時折凄い力を持って生まれる子がいたりする。

 今でも大きな国の王族は、その頃の神の子の末裔であるという事になっていて、その血を絶やさない事を第一義としている。


「そういえば、この街の今の領主も神の子だって噂があるわよね」

「伝説級の武勲ばかりですからね。どこまで本当かはわかりませんが、それでも普通の人間とは思えないですよね」

「御本人は否定も肯定もしていらっしゃらないんですよね。肯定した方がいいと思うんですけど」

「まあ、領主なりに何か考えがあるんでしょう。それこそ神の子の考えが、低俗な僕らなんてお呼びもしないものを持っていてもおかしくはありませんし」


 話を戻すと、愚行の女神は地上に降りてからは、誰にも邪魔される事なく、適当に男を騙したり、寄り添ったりして暮らしていたという。地上への干渉を禁止するという規則についても、彼女だけは全く守らなかった。


 自分自身がそもそも理性的な性格ではなかったため、複数の男性と同時に関係を持とうとしたり、人間関係で余計な問題を頻発させたりと、人間相手でも全くやってることが変わらなかったらしい。

 地上において、嫉妬や浮気などが絶えないのは、彼女が未だに力を持っているからだという。


「しかし、ここまで堕ちてきたことのメリットがない神も珍しいかもしれないなあ」

「ありがたみは全然ないわね……」

 神のもたらすものが嫉妬では、誰も喜ばないだろう。


「で、ここまでが前振りです」

「本題はここからだったわね……。指輪については何かわかったの?」

「情報がかなり分散しているので、ちゃんと読まなければならないのですが、結論だけ先に言うと、あと数日でロールさんはこの世から消えます」

「どういうことよ!」

「よく調べてみないといけませんが、恐らくはこの指輪が、永遠の指輪と呼ばれるものなのだと思います。これが、彼女が消えてしまう原因です」


 永遠の指輪は、愚行の女神が悪戯に作った呪いのアイテムの中でも、最も悪質なものの一つとされている。

 しっかりと調べて対策を取らなければ、ロールさんは本当に数日以内に消えてしまうだろう。

 モーリスにお茶を出して貰い、情報の収集を急ぐことにした。

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