05 旧図書館に至る道程

「うわー本当に本しかないのねえ」

「図書館ですからね」

「暗いし、音もないし」

「本ですから、光は入らない方が良いんですよ」


 図書館の地下階に降りてすぐに、リトさんは軽く興奮気味に話しかけてきた。それほど面白い光景とも思えないのだけど、見るモノ全てにいちいち反応して話しかけてくる。

 普段ここに入る時は一人でいるので、ここまで誰かの話し声が聞こえてくる図書館というものは初めてだ。これはこれで、案外悪くはないかもしれない。

 普段の、心臓の鼓動すら聞こえてきそうな静寂も嫌いではないけれど。


 最初の内は変わらない光景そのものを面白がっていたリトさんだが、地下二階に降りてしばらくすると、もう飽きてしまったようで口数は極端に減ってしまった。

 普通の建物のように、階段がずっと下まで連続して続くような構造になっておらず、下の階に降りるためにはある程度その階層を歩いて階段まで行かなければならないので、何階も降りなければならない場合は意外と移動距離が長い。

 それすらも喜んで歩いていたのはせいぜい二階の途中までで、あとはもうほとんど黙って付いてくるだけだ。

 愚痴を延々と聞かされないのはありがたいが、微妙なこの空気はちょっと勘弁して欲しい。


「今何階だっけ」

「四階ですよ」

「もう一つか……案外長いわね」

「この後は、ちょっと面白いですよ」

「何かあるの?」

「もう少ししたらわかります」


 四階から五階への移動は、少し特殊なものになる。

 事情により、通常の階段が存在しない。


「……なにこれ」

「昇降機ですね」


 地下四階の通路の奥の突き当たりの部屋は、昇降機になっている。魔法や人力で部屋ごと上下に動かして移動出来る便利な装置だ。

 ダンジョンにも昇降機は存在し、複数の階層を一気に通り抜けるためによく利用されるのだが、この図書館の昇降機は、単純に五階に降りるためだけに使われる。


「……なんでここだけ昇降機なのよ。他は階段なのに」

「この真下にしか穴が掘れなかったらしいですよ」

「……穴?」


 訝しがるリトさんを連れて昇降機に入ってスイッチを押すと、ガタガタと派手に揺れながらゆっくり降りていく。しばらくすると壁がなくなり、急に灯りの届かない開けた空間の中を下がり始めた。


「え、何これ? どこに向かってるのよ」

「ですから、地下五階ですよ。下に灯りを向けてみてください」


 リトさんが言われるがままにランタンを傾けると、光に反射して見えたのは、何かの建物の屋根だった。

 地下において屋根があるというのはおかしな表現かもしれないが、そこにあるのは間違いなく、何らかの建造物の、屋根だ。

 移動中の昇降機から見ると、上の建物が浮いていて、下に同じような建物が埋まっているようにも見える。周りがもっと明るければ、空を飛んでいるような気分になれるかもしれない。


「ちょっと、どうなってるのよこれ!」

「面白いでしょう」

「怖いわよ!」

「地下五階からは、古い方の図書館に移動するんです」


 街が出来た当初の図書館は地上三階、地下二階の建物だったという。

 街の記録を全て残すという方針が続いたため、いつしか本は収まりきらなくなり、やむなく増築という事になったのだが、この時に行われた施工方法が、当時の図書館を地下に沈めてその上に新たに図書館を作るという力業だった。


 そのために大がかりな魔法が使われ、当時の図書館……今では旧図書館と呼ばれている部分は、特別に圧縮された空間に押し込められている。

 厳密に言うとこの昇降機が通っている穴も普通の空間とは違うのだそうで、わざわざ旧図書館の外見が見えるように調整され、昇降機自体にも壁を排して見えやすくしているのだとか。


 この空間を作ったのが、公表はされていないが、例のダンジョンの賞金首の魔法使いである。


「要するにこの凄い工事を自慢したかったからこんな昇降機にしたってわけね」

「そういう部分は、あるでしょうね……」

「絶対そうよ。間違いないわ」


 地下五階から下が特殊な空間だというのはこういう理由なのだった。

 しばらくすると昇降機は屋根の穴に入っていき、動きを止めた。

 扉を開けると、今までと同様に長い通路が広がっていき、本棚が整然と並べられている。


「雰囲気はそんなに変わらないわね」

「こちらの建物を参考にして新しい方も建てられたそうなので、構造も意匠もほとんど同じらしいですよ」


 目当ての本の場所は八の二の六。

 この昇降機からはほぼ対角線上に反対側なので、まだ歩かなければならない。


「もう少しね。さすがに飽きたわ」

「モンスターの一つでも出ればよかったですか?」

「なんでそう極端なのよ」


 さすがにこの階層では何も出てこないが、下に行くほど空間が不安定になっていくらしく、モンスターが出てもおかしくはないという。

 そもそもの施工による影響の他にも、最下層付近に収められているのが古代の魔導書やそれに類する本だったりするので、それらも何らかの力を発揮している可能性が、ないとは言えない。


「現役時代は最下層まで行ってたんですよ。読みたいものがその辺にしかなくて」

「何か出た事あったの?」

「僕は遭遇した事はないですね。上がってみたら三日経ってた事ならありましたが」

「帰りたくなってきた」

「もう少しですから」

「大人のもう少しほど当てにならないものはないわよね」


 僕としては実際に程なくして、といった程度で到着したつもりだったのだけど、リトさん的には長い長い行程をはるばる歩いて来たような、そんな疲れた表情をしていた。


「さて、八区画はここだから、……あの辺だな」

「早く持って帰りましょうよ」

「この辺の本、面白いんですよ。興味ありません?」

「とりあえず、今日はいいわ。なんだか気が滅入りそう」


 慣れない暗い空間に居続けて、ちょっと調子が出ないのかもしれない。普段なら好奇心の塊である彼女が、まるで興味を示さないということは考えにくいところだ。

 モーリスが照会の際に使っていた単語である、嫉妬や女神から、関係のありそうな本を適当に取り出してみる。

 女神に焦点を絞って紹介している本がいくつかあり、その中でも嫉妬の女神と呼ばれている女神を取り上げているものを読んでみた。


 浮気の絶えない夫があちこちで子供を成してしまうため、それに対して毎回何らかの制裁や呪いをかけていくという事で、神話上でも出番が多く、そしてあまり人気がない。

 ただ、この女神、神話の中でも中心に近い位置にいるため、今回のような呪いのアイテムに関わるような事があるのだろうか、という疑問は湧く。


 実際、この女神に関する本をざっとめくっていっても、指輪に関する話で該当しそうなものがない。

 他に誰かいたのだろうか。

 一度同じ呪いを見たことがあると言っていたモーリスが照会のワードに使っていたくらいだから、間違いはないのだろうが……。


「リトさん、嫉妬の女神と言われて思いつく女神はいますか?」

「有名じゃない方なら、アテっていうのがいたわね」

「名前だけは聞いたことがあるような」

「人を堕落させる女神よ。理性を失わせたり、思いもかけない愚かな行動をさせたりすると言われているわ」


「そうか、堕落の神というのなら聞いたことがあるかもしれない」

「有名な方の嫉妬の女神にいちいち告げ口してたのもこの女神。行動がとても感情的で神話上の大きなトラブルの発端はほとんどこの女神のせいだって言われてるわね」


 その名前で本を探してみると、一冊だけ見つかった。他の女神に比べても本の数も厚さも若干少ないあたり、確かに有名ではなさそうだ。


「大暗黒に至る事件で、道化の神を焚きつけたのが彼女だと言われているのよね。道化の神がやらかした事が大きすぎてあまり表に出ないけど」

「リトさんて神話詳しいんですね」

「母が好きだったのよ。小さい頃はお伽噺として毎晩聞いていたわ」


 大暗黒というのは、この世界で一度地上から光が失われたという事件である。太陽神が道化の神の悪戯で死んでしまい、黄泉の国に逝ってしまったことから地上には光が差さず、暗く凍える時代があったのだという。

 嵐の神などの力ある神々が協力して黄泉の国に降りて太陽神を生き返らせるというのが神話の中でも大きなクライマックスとして人気のあるエピソードだ。


 僕もこの話くらいは知っていたものの、影にそんな話があったのは知らなかった。

 本を見ると、確かにその話が載っていた。


「嵐の神が太陽神を生き返らせてから、地上に追放されたって話じゃなかったかしら。女性が嫉妬深いのはそのせいだ、なんて酷いこじつけがされていたわ」


 リトさんの解説した通りの流れが本にも書かれている。

 本の真ん中くらいで地上に堕ちていて、そこからは地上でやらかした事が事細かに記されていた。人だけでなく動物にまで裏切られて逆恨みしている話まであるのはちょっと面白い。


「ねえ、そんな所で読みふけってないで帰りましょうよ」


 面白くてうっかり読んでしまった。


「すみません、目的の項目もありましたんで、戻りましょう」

 ついでなので、知らない名前の神が書かれている本をもう二冊ほど持って帰ることにした。たまにはそんな楽しみがあってもいいじゃないか。


「ただいまー! あーもう疲れちゃったわ」

「……おかえり」

「おかえりなさい!」

「えっ?」


 地上のモーリスの所に戻ってくると、知らない人の声が聞こえてきた。

 声の方を見ると、椅子に座っているモーリスの他に、もう一人、見知らぬ女性が立っていた。

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