11 枯れない花
女神の呪いよりも強い魔力を有する場所。
女神といってもその力の強さは様々なので、人間が絶対に敵わないという事もない。
もちろんそれは、英雄と呼ばれるような、対人間レベルであれば敵なしというくらいでなければ釣り合わないだろうけれど。
愚行の女神の力は、神々の中でもそう強い方ではない。やらかす事件が多いのはその性格によるものなので、力の強さとはあまり関係がない。
迷宮街において、それに匹敵するほどの強い魔力のある場所はそうあるものでもないと思っていたのだが、モーリスには心当たりがあるようだった。
「ある」
「え、どこにあるの、モーリス?」
モーリスは黙って親指を下に向けた。
「おう嬢ちゃん、そりゃどういう……」
「地下ね!」
「なんだよ、地下がどうかしたのか?」
「ここの地下は、特に五階より下は凄く特殊な空間なのよ。何十年も維持されているのよね。そこなら、あるいは……」
「そうか、うっかりしてた」
確かに旧図書館なら、この呪いに対抗出来る可能性があるかもしれない。
思い出すきっかけとして、彼女の姿を見て、声を聞けば、あるいは。
ただし、それには最下層付近まで降りる必要があるだろう。
「さすれば、愛の力で記憶を、ロールさんを取り戻せるかもしれません」
「なんでいきなり愛なんだよ!」
唐突に愛なんて言い出したせいで、ロックさんが顔を真っ赤にして絡んできた。彼にしてみれば名前も顔も覚えていない女性のことで愛とか言われても、そりゃあ困るかもしれないが。
「指輪を贈ろうなんて考えてた相手に愛がなかったなんて、そんな事、本当に思ってる?」
「左の薬指ですからね」
「そ、それは……俺もなんか、そんな気はしてたんだけどよ」
「どこまでの関係だったのよ?」
「お、覚えてねえって言ってんだろ!」
「呪いの言葉の中に、試練というものがありました。女神は、この指輪を付ける人を試しているのかもしれません」
「永遠の愛を享受するに値するかどうかって事かしら」
「お前が言うなって感じだな……」
愚行の女神は、とにかく沢山の男性、男神に惚れていったと言われている。時には同時に複数と関係を持つこともあったというから、惚れっぽい性格だったのかもしれない。
そんな彼女だからこそ、一人の相手と添い遂げようという気持ちが本当にあるものなのか、試してみたくなったのかもしれない。
この指輪の呪いを乗り越えて、二人の強い愛の絆を見せつけてやれば、解消するかもしれない。
「てことは、二人でこの図書館の地下に降りていけばいいって事か?」
「確証はありませんが、それで二人が再び邂逅出来る可能性が高まります。しかし……」
「モンスターが出るとか色々言われてるわよね、最下層」
「図書館じゃないのかよ!」
「モンスターに関しては、僕は一度も出会った事がないので大丈夫だとは思います。ただ、空間が若干不安定なのは間違いありませんし、見えない人をずっとエスコートするのも、とても難しいかとは思います」
灯りも何もない空間で、あやふやな目的地を、見えない人と歩く。
これをやってみろと言われたら、よほどのことがなければ僕は断る。
「元々周りが見えないんだから、相手が見えないなんてそんなに関係ないだろ。大丈夫だよ」
「それはそうですけど」
「モンスターだのなんだのは、まあ俺は逃げるプロだから大丈夫だ」
盗賊と呼ばれる人たちは、罠や危険を誰よりも早く察知して解除する技術を持っている。余計な音を出さないように、金属製の装備品は極力つけず、周囲の音にも常に敏感だ。逃げるプロだなどと謙遜しているが、通常はそれらの技術を駆使して、常に戦闘でも優位に立てるように立ち回る。
最初から出るかもしれないと警戒さえしていれば、彼と一緒に歩いている方が安全と言えるかもしれない。
「なあ、そこにいるかい?」
「ロールちゃんよ」
「その、ロール? 俺が、連れてってやるから、付いてきてくれるか」
ロックさんが右手を前に伸ばす。ほんの少しの間をあけて、その右手が一瞬下がった。
ゆっくりと右手を閉じると、その手が何かを握ったような形になる。
「絶対に離さないからな。何かあったら、すぐに俺にしがみついてくれ」
そういった直後に、ロックさんが姿勢を正した。右手はそのままで脇を急に絞めて、直立不動の姿勢から動かなくなってしまった。顔を真っ赤にして軽くもがきつつも姿勢を崩すことなく立ち尽くし、呼吸まで不規則になってきた。
新しい呪いの効果が出てきたのか?
「ちょ、お、おい!」
「だ、大丈夫!?」
「問題ない」
モーリスが平気だと言って直後にロックさんの症状は改善され、肩で息をするほど消耗していたものの、外傷もなく、大きな問題もなさそうだ。
突然の症状だったので対処も出来ず、見守るしかなかったのが辛い。
「ロックさん、大丈夫でしたか。少し休みますか?」
「い、いや、行こう。大丈夫だ」
「まだ顔赤いですよ? 呼吸もちょっと荒いですし」
「大丈夫だって! ほら、行くぞ!」
もう一度ロックさんが右手を軽く差し出して、何かを握る。今度こそ離さないで欲しい。
ロックさんの言うとおり、真っ暗な空間では相手が見えようが見えまいが同じではあるが、少なくともロールさんが彼を見つけやすいようにはしておかなければならない。
「あー、大丈夫だわ、あれは」
「何か、わかったんですか?」
「うん。さっきのはロールちゃんのおまじないだったんだよ、きっと。熱いね!」
「うん?」
分かっていないのは僕だけらしい。
とにかくロックさんとしては問題ないようなので、準備をしよう。
まずはロックさんの腰に魔法のランタンを装着し、片手を常に開けられるようにする。何かを持ち帰ったり運んだりするわけではないので、見取り図を取り出して旧図書館の最下層までのルートを確認する。
「地下四階までは同行しますし、待ってます。そこからは……」
「ああ、試練だっつうなら二人で行かないと意味がないだろうからな。後で変な言いがかりつけられても困るし」
「それじゃあ、行きましょうか」
モーリスを除く四人で階段を降り、光の差さない地下階へ。
三人のランタンが前方を照らすため、普段よりよほど明るい。足下以外が照らされる事のなんと安心な事か。
足音も三人分ともなると、そのリズムも何もない変拍子が気になる所だが、心臓の音すら聞こえてきそうな普段の静寂と比べれば、むしろ頼もしくすらある。
「手、繋いでる?」
「ああ、大丈夫だ」
「無理やり引っ張って転ばしたりしないでよね」
「これくらいの速度で歩けば平気なはずだぜ」
「へえ、覚えてるんだ」
いつもの悪戯そうな笑顔でロックさんに絡み出した。話の流れで少しでも彼女の事を思い出してくれればありがたいので、これは良い考えだと思う。
「あ、いや、そういえばそうだな……」
「普段から手を繋いで歩いてたってことかしら!」
「そ、そんな恥ずかしい事往来でやるはずがイテテテテ強く握るなよ!」
呪いが解けたらロックさんは尻に敷かれるタイプかもしれない。
手を握るだけでも、少しずつ何かを思い出しかけているようで、時折何かロールさんに向かって話しかけている。確定した思い出を語るのではなく、こんな事があった気がする、この記憶はもしかしたら彼女との記憶に関連しているかもしれない、といった風な内容だ。もちろん、僕らが聞いても全くわからない内容だけど。
話しながら歩いているうちに、四階の奥まで到着した。
「この先を二人で行けばいいんだな」
「見取り図の通りに進めば、それほど時間はかかりません。少なくとも、体感上は」
「モンスターが出たら逃げてね! とりあえず危険だったら戻って来てね!」
「時間もないみたいだし、行ける所まで行くわ」
右手の感触を確かめてから、ロックさんが扉の横に付いている昇降機のボタンを押す。
ガタガタと振動しながら扉が開く。
ここから先は二人だけで進まなければならない。大きな危険はないはずだけど、それでも何が起こるかはわからないので、安全の保証は全くない。
ロックさんは特に躊躇する事もなく、扉が開いた途端に部屋の仲へ入っていった。見えないロールさんを丁寧に引き寄せて、しっかりと中へと導きながら。
彼にだけは実はもう見えているのではないかと思うほど、その動作は自然だった。
「それじゃ、行ってくるわ」
「気をつけてね! 絶対に離しちゃだめだからね!」
「わかってるって」
「あの、ロックさん。今更なんですけど、伺ってよろしいですか」
「ああ、何だよ」
聞こうかどうか迷ったのだけど、せっかくなので聞いておく事にする。
「無茶な事を頼んだのは僕らなんですけど、それでも、何故そこまで僕らを信用してくれたんですか?」
「本当に今更だな!」
「すみません……」
「あんたの持ってるその、デュマ様の紋章は、赤い花だったよな」
ロックさんに初めて会った時に、信用してもらうために出したお墨付きのペンダントの事だろう。あれは確かに赤い花だ。
「そうですね。本人から貰って、大事にしています」
「赤い花の紋章は、この国で……いや、この世界に五つしか存在しない。他は全て色はついていない、ただの鉄の花だ」
「それは……初めて聞きました」
「赤い花の紋章を見せられたら、デュマ様からはある指示を受けている。おそらく構成員は全てたたき込まれているはずだし、裏に暗号でも書かれている」
ペンダントを取り出して裏を見ると、確かに読めない文字で何か書かれていた。そんな所まで確認した事もなかったし、これがそこまで特別なものだとも思った事はなかった。
ロックさんがこれを見た時の驚き様がちょっと大げさだったのは、それが原因だったという事か。
「どんな指示なんですか」
「『何があろうと、最優先でその人を信じて、従え』 ……その、決して枯れない花にはそういう意味が込められている」
そこまでの意味が、このペンダントにあるとは思わなかった。
滅多に使わなかったけれど、使う時には本当に誰もが全力で協力してくれていた事に、一切の疑問や疑念がなかったといえば嘘になる。
「デュマは、誰よりも目端が利いて、誰よりも、……そう、おせっかいなんですよ」
とても彼女らしいな、と思った。
渡す時はとても大雑把に投げてよこして、いかにも大した事のないものに見せておいて、実際の効果は絶大。そんじょそこらの呪いのアイテムなんかより、よほど強いし厄介だ。
「あの方がそこまでいう人なんだぜ、あんたは。だから俺も、あんたを信じる」
「ありがとうございます。本当に、お気をつけて」
「次に上がってくる時には、二人で上がってくるだろうよ」
「僕たちも、信じています」
「言ってくる」
昇降機の扉がしまり、壁の向こうから大きな振動と音が伝わってくる。
音はどんどん下へ遠ざかり、やがて振動とともに何も聞こえなくなった。
「あとは、二人が来るまでここで待ちましょう」
「どれくらい待つのかしら」
「ただ歩いて帰ってくるだけなら一時間もかかりませんが、さて……」
幸いにして、ここは図書館だ。
暇をつぶす為の本ならいくらでもある。
「ま、ちょっと読書には暗過ぎるかもしれないけどね」
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