12 永遠の花嫁


 光も届かず、音もない空間に長い時間居続けるのはあまりよろしくないらしい。

 精神的にかなりダメージを受けてしまうという。

 探索者がダンジョンに潜っている時間が、地上における日中の、それも半日程度で終わるようになっているのは、そういった部分も配慮されて決まっていった事かもしれない。

 などという知識を、光も届かず、音もない図書館で本を読んで得ていたりする。


 ロックさんとロールさんが地下五階に降りていってしばらく経つ。時計がないので正確な時間はわからないが、めくったページの厚さから考えれば、そろそろ最下層から折り返している辺りだろうか。

 もちろん何事もなく移動が出来ていればという条件が付くのだけど。

 とにかく僕らはここで二人の帰りを待つしかない。


「なんでここで待つって言っちゃったんだろう……。上でも良かったよね、別に」

「それは僕もちょっと後悔していますけど、成功したなら彼らも早く誰かに伝えたくなるじゃないですか」

「この辺にある本、医術系のやつが多いからあんまり面白くないのよね」

「いや、そこは普段なら得られないような知識を吸収するチャンスということで」

「世の中の人間が全員新たな知識を得ることに喜びを感じると思わない方がいいわよ」


 それを言われてしまうと図書館にいるという事の意味そのものが消失してしまう。

 リトさんは本棚にある本を適当に取ってパラパラとめくっては戻す行為を繰り返していて、読む本が定まらないまま時間を持てあましているようだった。


 彼女は決して本を読まない人ではなく、むしろ同年代の人と比べれば多くの本を読んできた人だと思う。神話に関しても詳しかったし、騎士道物語の話題になれば様々な人と話を合わせられるほどに多くの作品に触れている。

 単純にこの辺にある本の大半が、知らない人が初めて知識を得ようとするには向かない文章のものばかりなのが要因だと思う。


「二人、そろそろ着いたかしら」

「そうですねえ。何事もなければ、今頃上って来てる頃だと思います」

「愛の力は呪いに勝てるのかしら」

「今回はほぼ憶測だけで動いてますから、正直あまり自身はないんですが……。信じるしかありませんよね」

「神は達成出来ない試練は与えないとかいう人もいるけど、どうかしらねえ」

「神の目線で考えた難易度ですから、当てにならないんじゃないですか」

「しかも愚行の女神だものね……」


 若干悪い雰囲気になりかけた時に、ふいに昇降機が振動を始めた。

 こちらからは操作していないので、下から昇ってきている事になる。

「帰ってきた!?」

 予想より大分早い。

 昇降機の中にいるのは、何人だろうか。

 振動と共に大きな音が下からゆっくりと突き上げるように近づいてきて、おおよそ目の前の高さまで上がってきた辺りで止まった。

 動きが収まってしばらくしてから、ゆっくりと扉が開いていく。

 隙間から漏れてくる光は、やがて僕ら二人を眩しく照らす。


「お、二人とも待っててくれたのか」

「リトさん!」

 昇降機の中に立っていたのは、しっかりと手を繋いだままの、ロックさんとロールさんだった。


「思い……出せましたか?」

「ああ、完璧だ」

「本当に、ありがとうございます!」

「まあまあ、とりあえず暗いから上に上がりましょう。もうここ飽きたわ」


 リトさんの一言で、感動の再会的なものも省略されて、まずは地上のモーリスがいる所まで戻る事になった。誰もがもう暗い通路に見飽きてしまっていたので、誰も不満を漏らす人はいなかった。


「ダンジョンだとここまで飽きるって感じはないのは何故かしら」

「何かしら目的があるものですからね、ダンジョン探索は」

 彼ら二人はともかく、僕らは完全に見送りと出迎え以外に目的がなく、ダンジョンのような緊張感もほとんどなかった。時間の流れが遅く感じてしまうのも致し方ないかもしれない。

 



「昇降機を降りた途端、もう空気が違うというか、変化を感じたんだよ。あそこは、なんつうかやべえな」

「張り詰めた空気というか、ちょっとした圧を感じました」

 地上への道すがら、ロックさんから旧図書館での出来事を説明してもらっていた。

 二人とも、あの場の違和感を肌で感じられていたらしい。

 本来は、異質な空間である事は感じさせないように出来ているはずなので、そこまでの違和感を覚える事はあまりない。

 今の二人だからこそ、敏感に何かを感じる事が出来たのだろう。


「モンスターとか出たりしたの?」

「いやあ、何もなかったよな?」

「わたしは、何も見てないです。ロックが事前に避けてくれていたなら、わからないですけど」

「モンスターに関しては、今の所は出所不明の噂話ですから……」


 若干つまらなさそうな表情のリトさんとは対照的に、ロールさんの表情はとても安らかだ。視線はずっとロックさんに向けられていて、その手も繋がったままだった。

 もう繋いでいる必要はないのだろうけれど、より深く絡むように繋がった手が、二人の距離を示しているように感じられて、とても微笑ましい。


「見取り図の通りに歩くだけだったし、別に本を読むわけでもないだろ。歩いてる間は話し相手もいなかったしよ。退屈だったぜ」

「ずっと話しかけてくれてたんですよ、歩いている間も。返事の代わりに強く握ってくれって言って、お話してました!」

「おい、馬鹿そういうのはさ……」

「あら、いいじゃない。素敵よ」

「ロックさんまで黙って歩いていたら、静かすぎておかしくなっていたかもしれませんよ」


 心配していた道中も、特に問題はなさそうでなによりだった。

 一度でも手を離してしまったり、はぐれてしまうと大変な事になるかと思ったが、今なお繋がっている二人の手を見る限りはそのような心配は無用だったようだ。


「どの辺りで進展がありましたか?」

「し、進展なんて、そんな、何も……なあ?」

「四階くらい降りた辺りで、わたしのことが見えるようになったみたいです」


 顔を赤くするロックさんと、冷静に説明するロールさんが面白すぎる。何の進展だと思ったんだろうか。

 四階分降りるというと地下九階。ほぼ最下層に近い。その辺で指輪の呪いが上書きされ始めたという事で、迷宮街の大罪人である魔法使いが作った空間は、堕ちた女神の呪いを凌駕するということが判明した。


 二人がようやく再開し、それと同時に蓋がされていたロックさんの記憶が解放された瞬間の事については、ロールさんが話し始めた途端にロックさんがそれを制止してしまった。


「ふぅん」

 リトさんの、全てを察した不敵な笑顔が、恐らくはロックさんにとって今日一番のダメージになったのではないだろうか。

 ロックさんはその後しばらく沈黙し続け、以後はロールさんの適切な解説に切り替わった。

 彼女の姿が見えるようになった所でロックさんの記憶は完全に解放され、全ての記憶を取り戻した事で本当に呪いは消え去ったという。

 右手のぬくもりだけがお互いを感じる唯一の拠所であったものが、全身でそれを感じられるようになったというロールさんの詩的な表現と全身で表した喜びの感情が、色々な事を示し、同時にロックさんは考えるのをやめたかのように前だけを向いて、黙って歩き出した。


 指輪を見せて貰ったが、既に役目を終えたという事なのか、エーテルの光は全く見えなくなってしまっていた。


「そもそもロックさんは、どうして魔女に指輪探してこいって言われたの?」

「いや、それは、その……」

 さらに追い打ちをかけていく姿勢のリトさん。やめて差し上げて。

 とにかく二人の愛が女神の呪いに打ち勝ったという事でこの話をやめてあげないと、いい加減ロックさんが死ぬ。


 ちなみに、この呪いの指輪はミスリル銀で作られているので下手な結婚指輪の数十倍という価値がある事を二人に伝えると、お互いに目を合わせて苦笑していた。

「元々、手放すつもりもなかったけど、何というか皮肉な話だな」

「結果的には永遠を誓う指輪になりましたね」

「そこまでのハードルが高すぎだろ……」


 ロックさんに絡めた腕をより強く握り、二人の距離はさらに近づく。

 地下一階まで上がると、地上階への怪談から差し込む光で、ランタンの力を借りる事なく十分に前が見える。

 差し込む光がまっすぐな帯となって赤い絨毯を浮かび上がらせ、二人を祝福するウェディングロードのように伸びていた。


 後は最後の階段を上れば地上へ戻る事が出来る。

 足取りも心なしか軽くなり、最後の段に至っては全員で一斉に飛び乗って、仲良く同時に地上へ到着した。

 四人で顔を合わせて大笑いして、花嫁の帰還を喜び合った。


 ひとしきり笑い合った後で、出口の方からパラパラとまばらな拍手が聞こえて来た。

 モーリスにしては品のない行為だなと思って音の方を見ると、そこに立って僕たちを迎えてくれたのはモーリスではなく、見知らぬ女性だった。


「いやあおめでとう! 信じていたよ、ワタシは!」

「……西の、魔女……!」


 ロックさんが憎々し気に、その軽薄そうに話す女性の名を呟いた。

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