04 思い出せる人、思い出せない人
「忘れたら、だめ」
そう言われて思い出せれば、それほど楽なことはないのだけど、残念ながら僕らは何を忘れたのか思い出せていない。
ただ、ギリギリの所で「忘れている」という自覚は持てた。
本当に怖いのは忘れている事すら覚えていない状態で、そこまで行ってしまったら、モーリスの言葉も全く響かなくなってしまっていただろう。
「教えて、モーリス。私達が忘れてしまった事を」
「……見えない?」
僕らには何かが見えていないらしい。
周囲を見渡すけれど、人の出入りの少ない図書館では、他に人影もない。
「何も見えないわ」
「諦めない」
その言葉は誰に向かった言葉だったのか。
誰でもない方向を向いて、誰に言うでもなく、モーリスは呟いていた。
まるでそこに人がいるかのように。
モーリス達エルフは、人に視えないものが見える。エーテルを直接視る事が出来るため、それに関連した「人の目に映らないもの」を視る事が出来るからだ。
彼女は今、僕らに見えない何かを視ているのかもしれない。
「見えない……僕らにだけ、見えないもの」
モーリスはそれ以上は何も言わなかった。
言ってはしまえば何かが終わってしまうかのように。もしかしたらとても脆い薄氷の上を歩いているのかもしれない。
時折、彼女は僕らの表情を伺いつつも、別な方向を見て頷いたりもしている。
やはり何かがいるのだろうか。
僕らが忘れてはいけない、何かが。
「ねえ呪い屋さん、モーリスは、ヒントをくれているのよね、きっと」
「僕もそう思います。あえて答えではなく、ヒントを」
モーリスが提示した言葉は、
「忘れたら、だめ」
「見えない?」
「諦めない」
この三つだ。
元々無口なので余計な事を全く喋っていないのは、今日に限っては大変ありがたい。
「忘れちゃいけないのは、そのままよね。これはヒントじゃなくて、私達を引き留めてくれた言葉」
「諦めない、というのも、元々僕らに向かっていった言葉じゃありませんからね」
「どこかを視ていたわよね」
やはり見えないという言葉が一番ひっかかる。
確かに僕らは何も見えていない。
何が見えていないのかもわからない。
「あれは、問いかけではなかったとしたら」
「見えないという事が、私達が今日ここに来た理由だということなら……」
「そう。その言葉そのものがヒントだったんですよ」
「呪い屋さんなら、視えるんじゃないかな。今、視ようとしていないだけで」
言われてすぐに意識を集中させる。
方向は、モーリスの視線の先。
視線の高さはほとんど上下に動かしていなかったので、見えないものが人であるならば、だいたいリトさんと同じくらいの身長だろう。
ゆっくりと視線を動かして、周囲を警戒するように目を凝らしていく。
やがて、一つの光の塊を見つけた。
その光はエーテルが発する光の帯が収束したもので、いつも僕が仕事で見つけているものと、おおよそ同じ。
そして、その中にあったのは、一人の女性だ。
その人と目が合った。
優しい目で、微笑んでくれた。
そうだ。
僕とリトさんが、ここまで連れてきた人だ。
「すみません、なんで忘れちゃったんだろう……。ロールさん」
「ああ……そうだったわね。さっきまで、ずっと手を繋いでいたのにね……」
リトさんが自分の掌をじっと見つめた。ま彼女の手のぬくもりの記憶はまだそこにあったのだろうか。
「これが、呪い」
「自分たちで思い出せなければならなかったんだね、モーリス」
彼女は黙って頷いてから、、ロールさんの方へ向き直して微笑んだ。
「ありがと、モーリス。信じてくれて」
モーリスが諦めないと言ったのは、僕らが思い出してくれる事を疑わずにいてくれた事、そしてそれをロールさんに伝えようとしてくれたのだろう。
「姿が消えるだけじゃなく、周囲の人が忘れていくんだね」
「見えない上に誰も覚えてくれていないんじゃ、それはもう……」
「もう、忘れない」
呪いの力を克服出来た僕らは、もう忘却の呪いは適用されなくなるという事か。
モーリスがいなければどうなっていたか……。
「モーリスは、この呪いを知っていたの?」
「見たことある」
一言そう言うと、例の金属の板を取り出した。
「照会。指輪……女神……嫉妬」
随分な単語で照会を始めてしまった。恐らくは彼女の中では答えがあって、あとは本の場所を探すだけだったのだろう。あっという間に場所は特定された。
「地下五階、八の二の六」
「五階……旧図書館側か……」
「何かあるの?」
「少し時間がかかるかもしれません」
この図書館は、実は空間を少しいじって作られている。
特に地下階については、純粋に穴を掘っているのではなく、魔法で狭い空間を無理矢理広げて使っている。
そのため、地下五階以下は少し特殊な空間となっていて、若干存在が不安定になる事がある。
大切な蔵書を守るための空間が不安定というのは実に本末転倒な気がするが、そうでもしないと大量の蔵書が収まりきらなかったのだろう。
「モンスターが出たりとかはしないわよね」
「最下層にまで行くと可能性があるという話もありますが、五階ならきっと大丈夫です。ただ、意識をしっかり持たないと危ない事が……」
「本借りるだけなのにそんな決死の覚悟で行かなきゃいけないの……」
「五階以下はもう、探索者くらいしか用の無い情報が多かったりしますけどね」
今回の呪いに関する情報も、探索者でなければわざわざ調べようとも思わないものだろう。
「伝承、神々の伝説の項」
「そういう所ね……。確かに変わり者か探索者しか読まないわねえ」
本来、口伝で残していくべきものを、この街では全て書面に起こして本に残している。いつか伝承者が途絶えてしまう事を危惧したものなのか、当時の領主の趣味によるものなのかはわからないが、情報が一カ所に集中してくれるのは僕のような人間には大変助かっている。
ある程度分散しておかないといざという時に全滅しやすいという短所はあるものの、この図書館はその辺もちょっと考慮してあるらしい。
「とりあえず、時間もないので行ってくるけど、ロールさんの事はモーリスに任せてもいいかな」
「大丈夫」
「私も言って良いかしら!」
実に好奇心に満ちた目で僕を見つめながら言われると悪い気はしない。
とはいえ、状況はそれなりに特殊なので、あまりに気楽に同行されても危険が伴う。その程度には危険な場所なのだ。
あとで怒られるのも嫌なので、先に念を押しておく事にしよう。
「中で起こる事に対して後で怒らないでくれますか?」
「怒らないで済むような事なら怒らないわ」
「それは怒るって事じゃないですか」
「いいじゃない、何事もなければ怒らないわよ」
水掛け論。
地下五階程度なら、何事もない可能性の方が高いので問題はない、はずなのだけど。余計なところに行ったり、関係ないものに触れたりとか、そういう事がなければ。
あの好奇心に満ちた目が、周囲の視界に入るものに対して興味を持たない方がおかしい。普段ならばそれで罠を見分けたり、隠された扉や財宝を見つけるヒントを得られたりするので、探索者の鏡と誉め称えるべきところなのだろうけれど、何の装備もない状態でのそれは、場合によっては命に関わる。
そうはいっても置いていけば後で何を言われるかわからないし、最悪の場合後から単身乗り込んでついてくるという可能性もある。
慣れない人が一人で行動すると帰って来られない可能性もあるので、それなら最初から同行してもらった方が安心だ。
……若干不安が残るけれど、時間もないのでモーリスにランタンを借りて二人で降りることにした。
「じゃあ、すぐ戻るから待っててね、モーリス、ロール!」
「気をつけて」
後ろで、かすかに挨拶の言葉が投げかけられたような気がした。
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