03 忘れる人、忘れない人


 図書館の入口の前には見事な花畑がある。

 季節の移り変わりに合わせて、咲く花が変化していくなど細かな手入れが行き届いている。

 ほとんど人の出入りのない施設だが、リトさんが知り合いに薦めたおかげで女性の来客が少し増えたらしい。

 そのおかげか、司書であるモーリスもその美しさから密かな人気になっているのだとか。


 人気になったことと関連しているかどうかはわからないが、僕への応対は以前にも増してぞんざいになっている気がする。

 今日はリトも一緒なので、それほど酷い扱いは受けないだろうと思ったのだが、そもそも席にいなかった。


 司書のいる部分は受付も兼ねているため、通路の延長のような感じであまり広くはないのだが、彼女がそこにいないだけで随分と空虚で広い空間に感じてしまう。


「どこかでお茶でも頂いてるのかしら」

「それなら誰か代理がいるでしょう」


 モーリスは日中に食事を採らない。

 それがエルフの習性によるものなのか、個人的なものなのかはわからないが、食事は朝と夜だけで、図書館内での飲食はしない。何となく理由を聞いた事もあったけど、疑問に思われる事が理解出来ないという風な返答で、結局理由はわからなかった。彼女にとってみれば、それはそういうものだとしか言いようがないらしい。


「……!」

「ん、机の上?」

「私何も言ってないけど?」

 かすかに女性の声がした、気がした。


 声の指示に従って机の上を見ると、そこには離席中と書かれたプレートが置いてあった。余白には戻る時間が書かれていて、奥の柱時計を見る限り、間もなく戻る予定になっていた。


「すぐ戻るみたいですし、少し待ちましょう」

「いいけど、さっきの声は何だったのかしら」

「ああ、そうでし……」


 言いかけて、リトさんの方を見てちょっと驚いた。


「どうかしたの?」

「リトさん、ずっと彼女の手は握ってますよね?」

「当然でしょ」

「後ろ見て、何か変化はありますか?」

「……うわ」


 どうも、この変化は彼女にも同様の効果があるようだ。

 見えない彼女のいる所が、何も意識を集中せずに視認出来るようになっている。

 さすがに姿がはっきり見えるわけではないものの、そこに人がいて、リトさんと手を繋いでいる事が分かる程度の像は結んでいる。


「なんかこの辺にぼーっとした光みたいなのが見えるわ」

「……さっきから女性に対して失礼な態度ばかりとってますね……。すみません」


 リトさんからは姿までは見えず、ただそこに在るという事だけがわかるようだ。普段エーテルの光も見えない人がそこまで見えているというのは、それだけでも十分凄いのだけど。


「これって私が何か新しい力に目覚めたとかそういう事?」

「残念ですが……。ここはもともと特殊な力場なので、たまにこれくらいのちょっとおかしな事は起こるんですよ」

「残念ね……。でもまあ、ここに居る限りは手を繋がなくても場所がわかるからいいわね」


「……リト?」

 図書館の奥から、モーリスがやってきた。位置的には僕の方が近いはずなのに声をかけるのはリトの方だけなのか。


「モーリス! 久しぶりね!」

「待ってた」

 久しぶりに娘に再会したかのように、モーリスを見るや否や飛び出して抱きついて、頭をなでていた。

 年齢的には完全に逆だけど。


「今日は、仕事?」

「そうなの! モーリスの力を借りたいのよ」

「うん……」


 モーリスのはにかんだような笑顔は初めて見た。甲冑を外して以来、結構な頻度で遊びに来ているとは聞いていたけれど、何というかとても仲睦まじい。何も知らなければ本当に親子とか、それに類する関係に見えるかもしれない。

 リトさんの探索者としての経歴では、実はここには入れないのだけど、ヴェレント家の娘という事で入っているのだとか。さすがの名家である。


「……この人?」


 モーリスが、例の彼女の方を見てすぐに気付いたようだ。予想通り、何もしなくても彼女の事が視えている。僕よりもさらにはっきりと見えているようで、人である事をまず疑っていないのは話が早くて助かる。


「私には、実は視えないの。ここだとちょっとわかるんだけど、普段は全然見えないし、声も聞こえない。モーリスなら、もしかして声が聞こえたりするかしら」

「……ロール?」

「ロールって言うの? この方」


 やはり彼女の……ロールさんの声が聞こえているようだ。

 人によってここまで認識に差が出るというのは、単純に姿が見えなくなるとか、声が聞こえなくなるとか、そういう事ではない、もっと難しい呪いなのかもしれない。


「話、聞く?」

「ああ、僕らの質問の答えを、代わりに聞いて、教えてもらえるかな」

「わかった」


 一旦カウンター側に戻って椅子に座り、足下から本と金属製の板を取り出した。

 金属製の板は、以前も本を探すときに使ったアイテムだが、本の方は何も書かれていない真っ白なページが延々と続くだけのものだった。机の隅にあったペンを引き寄せて、会話の記録を残そうという事らしい。


「聞いて」

「じゃあ、ロールさん、改めてよろしくお願いします。まずは、その姿になった経緯を教えて欲しいです。何がきっかけで、姿が見えなくなったのか、わかりますか?」


 呪われた人の中で半分くらいは、何が原因なのか自分でわからない。

 戦利品をまとめて使ったり装備してしまったりして、原因となるアイテムの特定が出来ない人や、呪われるに至った経緯の自覚がまったくない人など理由は様々だが、病気の原因が自分では完全に把握しきれないのと同じようなものだと思っている。

 これからお前を呪うと宣言されたり、とてもわかりやすい変化が訪れれば原因も特定出来るだろうが、むしろそういう方が少数派と言えるかもしれない。


 モーリスが黙ってロールさんの方を見ながら本に何か書き記している。

 本を読んでいる姿以外ほとんど見たことがなかったけれど、文章を書く速度が意外と速い。そういえば街の記録係というのが本職なので、当たり前といえば当たり前かもしれない。


「指輪」

「指輪を付けてからってこと?」

「これ」


 書いていた本をひっくり返して僕らに見せてきた。

 そこにはロールさんが話していた内容がそのまま記載されていた。話し言葉特有の「えっと」とか「その……」とか、そういう間をつなぐ言葉まで全部記録していて若干読みにくいが、おかしな翻案が入るよりはよほど正しい情報が得られるので、この場合はありがたい。


 ロールさんがこうなった経緯については、その指輪を貰ったところから始まるらしい。

 結論から述べればとある知り合いの男性からもらった指輪をもらい、指にはめて以来どんどん姿が見えにくくなっていき、一週間程で完全に誰からも見えなくなってしまったという。

 モーリスの手記からはその男性との馴れ初めから始まりつつ、あくまで知り合いの男性であるという事を強調するくだりまで冷静に書き留められていて、何というか察するに余りあるものがある。


 また、姿が消えていく様についても事細かに説明されており、相手の男性であるロック氏のリアクションの差異を一日毎に描写していた。

「この下り必要ある……?」

「いや、意外と大事かもしれません。三日目からは会話が通じなくなってますし、初日であんなに頑張って解決策を探していた彼が、最後の日には存在を忘れたかのように振る舞っています」


「凄く強い呪い」

「最後の、忘れたようにっていうのが気になるわよね」

「姿が見えなくなる、声が聞こえなくなるだけならまだしも、ここなんですよ」


「このままだと、この人消える」

「消える?!」

「見た事ある」

 モーリスがそう言ったのと同時に柱時計が鳴り出した。


 時の経過を、ゆっくりと低い、しかし大きな音で、十二回かけて。

 特に珍しいものでもないのだけど、何故かここの時計の鐘の音は皆が黙って聞いてしまう。リトさんも同様のようで、話しかけていた言葉を飲み込んで、柱時計の方を見ていた。


「……何が消えるんだっけ」

「あれ、なんでしたっけ?」

 さっきまで大事な話をしていた気がするのだけど、急に忘れてしまったらしい。


 消える?

 ここには僕と、リトさんと、モーリスの三人がいる。

 誰も消えていない。


 そもそも図書館には何の用で来たのかが思い出せない。花が変わる前には来るという約束はしていたものの、それだけのためにリトさんまでつれて来る理由にはならない。

「何しに来たんだっけ……。それも呪い屋さんと二人で」

 リトさんも覚えていないらしい。

 一生懸命思い出そうとはしているようだけど、一向に思い出せる気配がない。


「思い出せないって事は大した事じゃないのかもしれませんね。また思い出したら来ましょうか」

「そうね。そろそろお腹も空いて来たし」


「だめ」

 帰ろうとする僕らを、珍しくモーリスが引き止めた。

 滅多に聞かない強い口調と大きな声は、僕らに何かを伝えようとしているのか。

「忘れたら、だめ」

 やはり僕らは、忘れては行けない事を、忘れてしまっている。

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