02 見える人、見えない人
「人が、います」
「普通の人? 死んだ人とかじゃなくて?」
「動いてるから普通の人じゃないですかね。手足は全部揃ってますし」
とにかく集中していないとすぐに見えなくなってしまうので、何もない所をにらみ付けている謎の人が爆誕しているが、それはさておき、この見えない女性のことをどうしようか。
一生懸命喋ってくれているのだろうが、何しろ声が聞こえてこない。歩く音や衣擦れなどの音も全くないので、この光に包まれた状態では外部に音が漏れないのだろう。
しかしそれでは彼女が何を訴えかけているのかわからない。
「何か喋ってくれているみたいなんですけど、聞こえないんです」
「聞こえないならこっちから聞けばいいんじゃないの?」
その発想はなかった。
「こちらの声は、聞こえますか? あなたの声が聞こえません。首を縦か横に振って応えてください」
見えない女性は首を縦に大きく振って、こちらの声に応えてくれた。
「聞こえてるそうですよ!」
「もうちょっと話進展させてから報告してよ!」
「何を聞いたものやら……」
「あるでしょ、何をしに来たのかとか、何が困ってるのかとか」
「ハイかイイエで答えられる質問にしなきゃいけないじゃないですか」
「あ、そうか……」
リトさんと話していると、時折凄く冴えてるなと思う時と、凄く間が抜けているなと思う時が来る。まさか同時にそれを感じる時があるとは思わなかったけれど。
「そういえば、私の声も聞こえてるのかな」
光の中の彼女は首を縦に振った。何度も振ってくれているので、多分外の音は普通に聞こえているという事を指してくれていると思う。
「大丈夫みたいですね。何か聞いてみますか?」
「うん。えっとね、呪い屋に来たのは、ここが呪い屋だから?」
色んな意味で酷い質問だけど、彼女はこれにも大きく首を縦に振った。
呪い屋で通じてしまっているのはちょっと問題があるのだけど、しかしいくつかの質問を飛ばすことが出来るので、その点については助かった。
何らかの理由で彼女は呪われてしまい、それについて調べる、または解除するためにこの店を頼ってきたという事で間違いない。
「ここを頼ってきたようですね……」
「……ねえ、顔色悪いけど大丈夫なの?」
先ほどから少し、頭痛がする。
目の奥が熱い。どちらが、というのでもなく両目の奥が熱い。
集中の時間が長すぎるかもしれない。
普段は、あまりここまで長く商品を見続けたりはしない。
「多分、大丈夫でしょう」
「いや、もう真っ青よ? 休みなさいよ。ほら、座って」
思ったより消耗していたらしく、彼女の言うがままに応接用の椅子に座り、集中を解いてしまった。当然、彼女は見えなくなってしまう。
「そこにいる貴女、とりあえずその椅子に座って頂戴。彼の対面よ」
リトさんはそういって見えない彼女にも指示を出し、自身は僕の隣に座ってきた。
依頼者との話を聞く、いつもの位置といえばそうなるが相手が見えないし、話も一方通行だ。
「お茶淹れてくるから、ちょっと休んでて。貴女も、悪いけど待っててね」
勝手知ったる何とやらで、店の奥に入ってお茶を淹れに行ってしまった。調子が戻らないので視る事も出来ず、動作に関して音も聞こえないので本当にそこに座っているかはわからないが、多分待ってくれているだろう。
「今は、あなたが見えないので返答は不要です。この店に来てくれたのは、街での評価を頼りにしてきてくれたのだと思います。できる限りの事はしたいと思っていますから、今は安心して休んでいてください」
誰からも視る事が出来ず、行動の音を聞かせることも出来ない状態で外に出るというのは危険極まりないという事に今気付いた。
僕自身もさっき扉でうっかりぶつかってしまったけれど、街の往来であれば、もっと沢山の人が歩いている。その隙間を、誰にもぶつからずに歩く事など困難だし、相手が知らずにぶつかってきた場合は実はかなりのダメージを負う。
昔、ダンジョンで見えない壁に気づけずに歩いてしまい、そのままぶつかったことがあるのだが、障害を認識していない状態の移動速度は案外速い。そしてその状態での衝撃はかなりのものになる。
外で通行する人の数を考えたら、ダンジョンを歩くよりも危険性は高いだろう。
どれくらい外を歩いてきたのかはわからないが、心身共にどれほど消耗しているのかは計り知れないものがある。
「ウチは鑑定屋ですが、呪いのアイテムに関しての知識と対処してきた件数は、迷宮街では右に出る者はいないでしょう。きっと何とかしてみせます」
とにかく、今は心を落ち着かせて欲しい。どれくらい頼りになるかはわからないが、できるだけ不安がらせないようにはしておきたいと思う。
相手の表情も何もわからずに虚勢を張っているだけのようにも見えて一見滑稽ではあるけれど、意味はあると信じておく。
「呪い屋さんの方がよほど休まなきゃいけないでしょう」
そう言いながら、リトさんがポットを二つ持ってきた。わざわざ二つお茶を分けて淹れてくれたのか。
「こっちは呪い屋さんね。頭痛に効くって効いたことがあるから、飲んでみて。貴女にはこちらを。気が落ち着くと思うわ」
カップに注がれたお茶からは、スッと鋭くスパイシーな香りがした。
一口飲んでみると、香りの強さほどは味は癖が強くなく、後味も悪くない。
「ローズマリーですね。ありがとうございます」
「ハーブティの在庫が豊富で面白いわね、この店。あ、貴女のはカモミールよ」
お茶は効能を頼りにしている部分と、その話をする事で話題を逸らす効果を頼っていたりするので、結構重宝している。まさか自分がその効果に頼る日が来るとは思わなかったけれど、リトさんが的確に選択出来たことにもちょっと驚いた。
「なによ、変な目で見ないでよね」
「リトさんて、お嬢様なのにお茶とか淹れられるんですね」
「今はもうただの探索者よ。一人で暮らすのになんでも出来なきゃやっていけないでしょう?」
「そういえば家を出て暮らしていたんでしたね」
「まあ、朝はお店に行って食べてるけどね……」
この街では探索者が多いことからか、食堂や屋台がかなり多い。値段もかなり安いので、今では探索者だけでなく職人なども利用するようになってきているという。僕は単に金がないのでほとんど自分で作っているけど。
それはさておき、せっかく淹れて貰ったので温かい内に頂くことにしよう。
「さあ、あなたも、どうぞ」
そういった次の瞬間、テーブルの上のカップが消えてしまった。
「うわ、なくなっちゃった!」
「いや、これは多分……」
目の前に視線を集中させると、カップを持った女性が驚いた様子でこちらを見ていた。持っているカップはリトさんが出したもので間違いない。
「この方が持つと消えちゃうみたいですね……」
女性が持っていたカップを恐る恐るテーブルに置いて手を離すと、それは普通に目に見えるようになった。
「すごいわね、これ」
「これは、透明になるのではなくて、見えなくなっているだけのようですね」
「どう違うの?」
「見えなくするだけなら、こうしてすぐに元に戻せるでしょう。透明な物体に変更させるというのは、かなり大掛かりな術式になると思いますし」
どちらにせよそう簡単なものではないのだけど、周囲の認識を変えるだけだというのなら、彼女の存在であるとか、その組成であるとか、そういうものは変わっていない可能性が高い。
「という事は、呪いが解ければこの人はすぐにでも元に戻れるかもしれないと。ちょっと希望が見えて来たわね!」
おそらくそこにいるであろう方向に向かって、リトさんが話しかける。今は見えていないが、きっと嬉しそうに首を縦に振っているだろう。
「ちょっと、握手してもらえますか?」
少し身を乗り出して、右手を差し出してみた。
少し間があって、右手の平に柔らかく温かい感触が伝わって来た。軽く握り返すと、確かにそこには相手の手がある。
「何してるの、どさくさにまぎれて」
「人が触ったくらいでは、消えないようですね。物を持ったりするのとは扱いが違うようで」
それがわかれば、ここから連れ出す事もそれほど難しくはない。むしろ一人で出歩かせるより余程安全に移動が可能だ。
「僕では意思の疎通に限界がありますから、もっと楽に視られるだろう人の所に行こうかと思っていた所なんですよ」
「手を引いていってあげれば、そこまで安全に移動出来るわけね。もう少し休んだら、私が手を引いていってあげるわ」
お茶を飲み終わってしばらくすると、少しずつ頭痛も治まって来た。
待っている間中、暇だろうからとリトさんが一方的に彼女に向かって話し続けていた。この店の事、自分が初めてきた時の事など、よくもまあ次から次へと話が出来るものだと感心する。
もう少しといいつつお茶を勝手に追加して来てまで話を続け、二杯目が尽きた頃にようやく話を切り上げた。
「もう顔色も良くなったみたいね。じゃあ行きましょうか」
リトさんが手を差し伸べ、その手に握られた感触を確認すると、ゆっくりと歩き出した。僕もそれにあわせて移動し始める。
昼を少し回ったくらいの時間では、街の道は人の行き来が多い。仕事のため、生活のため、様々な人たちが思い思いの速度や方向で歩き回っている。
今はリトさんが前に立って、その後ろで引かれて歩いているので誰もぶつかってこないけれど、この中をぶつからずに歩くというのは不可能に近い。
「店まで来るの、大変だったでしょう。怪我とかしていたら、あとで教えてね」
リトさんも同じ事を考えていたようだ。
普段よりも若干ゆっくりとしたペースで歩き、曲がり角などでは後ろにいても気付きやすいように大きく曲がるなど、かなり後ろを気遣っているのがわかる。
そういえば、僕はどこへ行くとは全く口にしていなかった気がするが、彼女は何も聞かず、何も迷わずに歩いている。どうやら目的地は間違っていないようで、しばらくするとその建物が見えてきた。
「あそこにいる人も、きっと貴女の力になってくれるはずよ。入りましょう」
大きな門を超えて、花々が美しく咲き誇る庭園を抜け、図書館にたどり着いた。
司書のモーリスなら、おそらく何もしなくても彼女が視えるだろう。対処の仕方についても相談に乗ってもらえるかもしれないし、なんならそのまま蔵書を使って調べれば良い。
「モーリス! ちょっと視て欲しいんだけど!」
「……いませんね」
扉を開けた先にある司書の席には、いつもなら小さな少女が座って本を読んでいるのだが、今日に限ってその椅子の主はおらず、部屋は静まりかえっていた。
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