第三章 永遠の指輪

01 指輪と浮気と見えない何か


「ねえ、この指輪、どうよ」

「……呪われてはいないみたいですね」

「そうじゃなくて、綺麗でしょう?」


 鑑定屋の狭い店内で、いつものようにリトさんが居座っていた。

 カウンターに肘をついて左手をくるくると動かして、薬指に収まっている指輪を見せてくる。銀色に光る指輪には、小さな宝石が複雑な紋様に絡まるように並んでいた。

 指輪を見る表情がどことなく嬉しそうで、その顔を見るのが、どういう訳か少し抵抗を覚えていた。

 彼女の顔から視線をわざとそらして指に集中し、エーテルを視てみたが、特に反応はないようだ。


「まだ早いかと思いましたが、名家の一人娘でしたね、そういえば」

「なんの話よ?」

「いえ、ですから、ご結婚されるのでは?」


 自分で口にしてから、何となく、腹の底に何か澱のように淀む物を感じた。少し語彙がきつくなってしまっただろうか。

 特に何を感じているわけでもないのに、何故かそんな態度を取ってしまっている自分に、少し驚いている。


「なんでよ!」

「そういう意味で指輪をおつけになったんじゃないんですか……?」

「あ。いや、これはッ、そういうのじゃ、なくて……」


 その指輪に他の意味があるというのか。まさかその指にはめることの意味をわからないという事もないと思うのだけど。

 バツが悪そうに指輪を外し、カウンターにそっと置いた。ほんの一瞬の静寂の中で、指輪が置かれた時のカチンという音が妙に響いて聞こえた。


「ちょうど嵌められた指がここだったの。結婚とかするわけないじゃない!」

「……そうですか」

「なによそのがっかりしたみたいな顔。とっとと嫁にでも行ってくれればいいとか思ってたわけ?」

「いえ、そういう訳じゃありませんよ」


 がっかりしては、いないと思う。今の自分の表情はよくわからないけれど、どちらかというと、ほっとしたような感じがしている。


 まあ、嫁に行けば、こんな所にはもう毎日来る事もなくなるだろう。

 ……そう考えると、腹の奥の澱が若干沸き立つような妙な感覚を覚えた。

 なんだかわからないが、あまり考えない方が良いのかもしれない。


「でさ、これ実際良いでしょう。よく見てくれない?」

「鑑定の依頼と解釈しますよ?」

「……うふふ、そうね。お願いするわ」


 指輪を彼女から受け取り、ルーペを利用して細部まで細かく確認していく。

 宝石の質、紋様のデザインライン、裏側の刻印の有無など。

 通常の宝飾品とはちょっと違い、おそらくは魔術的な装備品として作られたもののようだ。


「……これは、本当にいいものですね。ミスリル銀ですよ」


 やけに軽いのが気になったので金属の比重を計算してみると、これは銀ではなく、ミスリル銀で出来ているようだ。


 ミスリル銀はドワーフだけが掘り出して精錬することが出来るという希少な金属で、鋼のような硬さと、羽のような軽さを併せ持つと言われている。

 武器や防具として使えば非力な者でも強力なものを持つ事が出来るし、黒ずみや曇りが発生しないという特性のために装飾品としても人気が高い。


 また、魔法使いにとっては鉄と違ってエーテルとの親和性が高い金属という事で、宝石と組み合わせて魔法を使う為の補助道具などに使う事がある。


「幻の金属じゃない!」

「今ではほとんど産出されませんからねえ」


 昔はドワーフが管理する鉱山で掘り出されていたが、掘りすぎて地下の強大な悪魔か何かを呼び覚ましてしまい、今は鉱山に入れなくなってしまったらしい。

 他の鉱山ではほとんど出ないため、こんな小さな指輪程度の大きさであっても黄金を軽く凌駕する値段が付く。


「ついでに言うと、魔法のアイテムにする前の段階という珍しい状態の指輪です」


 複数の小さな宝石の配列と、そこに連なる紋様は、恐らくは魔法を封じ込めて使うタイプの模様だ。正しい手順で施術すれば、永続的に魔法の効果を持たせる事が出来るだろう。

 しかも、この指輪にはまだそれが施されていないので、何の効果もない。いわば何も描かれていないまっしろな本のようなものだ。

 どこかでまとめて作成した物が流出でもしたのかもしれない。


「それはもしかしてすごいお宝だったんじゃ……?」

「ちゃんとした魔法使いに直接交渉すれば、相当な値段で引き取ってもらえるでしょうね」


 今となっては、これを作るだけでも結構な金額と労力がかかる。それでいて封じ込められる魔法のレベルもそれほど高くないので、現在では研究のため以外ではほとんど作られることはないと聞く。


「いいものもらっちゃったなー」


 やはり誰かにもらったのか。

 結婚はないにしろ、指輪をもらえるような相手がいたというのは意外だった。


「ち、違うってば! こないだ行った時のダンジョンの戦利品だから!」

「そうでしたか」


 別にそこまで必死に否定しなくても、何もしないのだけど。

 しないとは思うのだけど、何となく心が落ち着いたような気がする。


「それにしてもさー、結婚とか考えた事ある?」

「……ありませんね」


 探索者にしろ冒険者にしろ、そういう危険に飛び込むことを生業にしようとした段階で、伴侶を求めようという気は持たなかった。いつ死ぬかもわからず、それを伴侶に伝えることが出来るかもわからないような、そんな状況では怖くてとてもやってられない。

 そのような事を説明すると、リトさんは意外な返答をしてきた。


「へえ。案外優しいんだね」

「……?」

「自分が死ぬことよりも、それで置いていく人の事の方が気がかりなんでしょう?」

「……ああ、言われてみれば、そうですね」

「自覚なかったの?」


 さっきまでちょっと感心していたような顔だったのに、結局呆れたような表情をされてしまった。

 そうはいっても実際に言われるまでは本当に気付かなかった。ダンジョン内でも自分が生き残る事が最終的にはパーティの全滅を防ぐ最良の方法である、と教わってきたので、その延長で考えていただけなのだけど。


「でもさ、探索者同士の結婚って、結構話聞くわよね。女の子の探索者少ないからすぐ噂広まっちゃうんだけど」

「ダンジョン内で、緊張と恐怖を長時間共有すると、それが恋愛感情だと勘違いする事があるらしいですよ」

「このドキドキはもしかして……恋? みたいな?」

「確かに色んな意味で心臓は常にバクバクいってますけどね」


 ダンジョンなんて歩いているだけでも罠の存在やモンスターの強襲など、常に緊張し続けなければならない。戦闘ともなれば運動量は相当なものだし、中にいる間は心を落ち着かせて休憩出来る場はほとんどない。

 僕が現役時代は幸いにして女性メンバーに対してそういう感情には至らなかったし、メンバー同士でも全くそのような話は出てこなかったので、実感は全然ない。


 ちなみに探索者同士で結婚すると、それによって奮闘出来るタイプと、完全に引退してしまうタイプに二極化する。女性の探索者は特に引退する事が多い。


「探索者同士の結婚ってさ、浮気した時が怖そうだよね」

「これは聞いた話ですけど、浮気の制裁に雷撃の魔法を食らわせる元魔法使いの奥様というのがいるそうで……」

「それでも命がけで浮気する旦那も凄いわね」


 本当に雷撃の魔法なのかは怪しいところだけど、探索者時代に培った技術を活かした夫婦げんかというのはちょっと見てみたいかもしれない。


「神様でも浮気をするそうですから、ある種の性のようなものなんですかねえ」

「嫉妬の女神なんてのがいたわよね」


 夫である神が、散々他の女神や人間との間に子を成してしまうため、その度に子供や浮気相手に制裁や呪いをかけていくという女神がいる。

 夫が浮気さえしなければそんな事をしなくて良かったのだから、そんな不名誉な呼び名を付けられてしまっては当人にとっては迷惑な話である。


「さてさて、なんだか良いもの手に入れたみたいだし、今日は帰るわ。なんだか客もこなさそうだし」

「鑑定料は明日にでも請求しますから」

「じゃあまた明日来るわね……って、あれ」

「どうかしましたか?」


 帰ろうと踵を返したリトさんが、急に歩みを止めた。

 カウンターの奥からでは、彼女の視線の先にあるものが見えないので、その理由がわからない。


「店の扉って、私、閉めたわよね?」

「来店時ですか? 閉めた音を聞いた気がしますが」

「……なんで開いてるのかしら」


 カウンターから出て、入り口の方を見ると確かに扉が開いている。

 閉じるときには大きな音が出やすいので気付かない事はないが、開けるときはもしかしたら気付かず話に夢中になってしまう事も、まあないとは言い切れない。


「まあ、閉めるときの力が弱かったとかじゃないですか」


 この建物もそれなりに年数が経っているので、それくらいはあるかもしれない。


「いや、確かに閉めたわ。ひとりでに開くような扉じゃないもの!」

「じゃあ、ちょっと見てみましょうか……あ、すみませ……ん?」

「え、なに?」

「……何かにぶつかったような……」


 扉に近づこうとした所で、肩に何かがぶつかったような感傷があった。何かというか、人とぶつかったような、微妙な柔らかさというか、硬さというか。


「何もないわよ……? 真っ昼間から怪談とかやめてよね」


 いや、何かがいる。

 何かが、扉を開けて入ってきている。

 具体的にそれが何なのかはわからないが、周囲に微妙な違和感がある。


「聞こえませんか?」

「何が?」

「かすかに、声のような……」

「ちょっとやめてよね」


 悪戯や冗談ではなく、実際に何かがいる。

 音がする方を見ても、相変わらず何も見えない。リトさんも気味悪がって店の奥に下がってしまった。帰るんじゃなかったのか。


 見えないのは、僕らの目の限界なのかもしれない。

 通常の目では、そこにいる「何か」を視認出来ない。

 つまり。


 意識を集中して音があった方を見る。

 普段は手元のアイテムを見る時にしか使わないが、がんばれば周辺のエーテルの流れを見るくらいは出来る。


 場合によってはこれでダンジョンや宝箱の罠を見抜く事も出来るが、いかんせん視る事に集中しなければならないために他の行動も移動も出来ない。

 危険なダンジョン内で呆然と立ち尽くす事など、よほど安全が確立していないか、背中を確実に預けられる人がいなければ無理だし、大抵は盗賊がいれば事足りるので滅多にやらなかった。


「こっちの方で聞こえたような……」

 ゆっくりと視線を動かしていく。店の奥の方にある、まだ未検証だったり買い取って放置している商品の光が色々と視界に入るが、それは無視する。


「悪意がないのであれば、そして僕の声が聞こえるなら、動かないでください。危害は加えません」

「誰に言ってるの」

「いるであろう、誰かにです。見えないだけの人かもしれない」

「魔法か何かで……」

「あるいは、呪いで」

「呪い屋の本領発揮ね」


 あまり早く視線を動かせないので、ゆっくりと回していくと、半周もしないうちにエーテルの光の塊を発見した。

 光の帯が複雑に絡み合い、渦巻いて何かを包み込んでいるように見える。大きさは、リトさんと同じくらいだろうか。

 その光をさらに集中して視ていくと、ようやくその光の奥の存在が形作られていく。


「何か見えた?」

「……もう少しで。おそらくは、人だと思うのですが……」

「普通の人なの?」

「見えない事以外は、きっと……」


 やがて、光の中の像が形作られていく。

 そこには、一人の女性が、必死な表情で何かを訴えかけていた。

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