05 集結

 いつまで待っても、リトさんは戻ってこない。

 日の影が短くなって、また伸び始めても、入り口から出てくる気配はない。

 いつものように探索者の集団は何人も出入りしていくけれど、その中にはリトさん達は含まれておらず、たまに声をかけても中で見かけた人もいなかった。

 やがて日が落ちてきて、周囲が紅く染まり、影が入り口に落ちてきても、リトさんたちのパーティは帰ってこなかった。


「一旦帰ろう? ね?」

「……」


 メリトに引かれるままに入口を後にして、首無し美人亭まで戻って来た。

 黙って席に着いて、メリトが適当に注文をしているのが聞こえたが、何を注文していたのかが理解出来なかった。特に何か食べたいという欲求もなかったのだけど、テーブルに並べられたスープの匂いが鼻に届いた時に腹の音が鳴った。

 そういえば、今日は朝から何も食べていないのだった。


 薄く切ったパンをスープに浸しながら、ダンジョンにいるリトさん達のことばかり考えていた。


「腹空かしてないかな」

「今回は食糧を多めに用意していたそうだから、大丈夫よ、きっと」

「そうか……」


 日帰りが基本のダンジョン探索には、かさばるという事もあって、あまり食糧は持ち込まない。

 もちろん、運動量が多いので休憩時には食事を摂るが、それも干し肉や干した果物をかじる程度で、本格的な食事とはちょっと違う。調理などしていれば匂いでモンスターを呼び寄せてしまう事もあるし、場所によっては火を使う事そのものが危険な行為となる。


 温かいスープや柔らかい肉、みずみずしい野菜や果物といったものは地下では縁のない物だと思った方が良いし、夕方の宿屋が賑わうのは、ダンジョン内でそういうものに飢えた探索者が殺到するからだ。


「早く、温かいスープとか食わしてやりたいな」

「変わらないね、君は」

「何が?」

「いっつも人の事ばかり心配してる。自分のことは棚に上げるくせに。まあ、そんなだからあのパーティは皆付いてきてたのかもしれないけどね」

「付いてくるって、リーダーはマリクだっただろ」

「最初にまとめたのは、君だよ」

「……そうだっけ」


 いつの間にかあの六人でつるんでいたので、どういう経緯で集まったのかまでは覚えていない。マリクが最後だったというのだけはかろうじて覚えているのだけど、あとは最初の出会いもろくに覚えていない。過去の因縁があったりもしないし、劇的な出会いがあった訳でもなかったと思う。

 こんな店の一角で声を掛け合って六人かき集めるという、この街での探索者の一般的なパーティ編成に倣って作られたものだったはずだ。


「あの子の無茶な提案も、君が全部フォローしてくれていたから、みんな安心して動けていたんだよ」

「最終的には、マリクや皆の判断や行動の結果でしかないさ」

「そういう所も変わらないなあ。あの時だって、君がすぐに決断してくれたから、皆が助かったんだよ?」

「大崩壊の話? あれは、だって他に選択肢がなかっただけだろ」

「ほら、そういうところ。……そうか、あの時の子だもんね、リトちゃん」

 

 お腹をさすりながら誤解を招く言い方をしないで頂きたい。

 隣の席の探索者が驚いた目でこっちを見ている。

 単純に大崩壊の時の帰還時に、まだ小さな子供だったリトさんを助けたというだけの話なのに……。

 それだって、実際に助けたのはメリトとマリクの二人で、僕は何もしていなかった。


「誤解を招く言い方はよせ。お腹をさするなお腹を」

「あはは。でも大事にしたい気持ちはちょっとわかるかな。不思議な縁だけど」

「最初に見かけた時はほんの小さな女の子だったのになあ。おぼろげにしか覚えてないけど」

「今じゃ攻略派の重要人物よ」

「子供はでかくなるの早いな……」

「ほんと、育ち盛りだからね」

「年取ったもんだなあ……」


 十代前半の五年と二十代後半の五年では、その流れの重みが全く違う。成長の度合いや経験の差、体感的な時間の流れの早さすらも比べ物にならない。リトさんの成長に比べて、僕の停滞ぶりはどうだろう。


 子供の頃に接していた三十代なんて、別次元の人物かと思うほどに大人だと思っていたものだけど、いざ自分がその年齢に達してみたら、案外中身は子供の頃とまるで変わっていないなと思う事はよくある。成長しているつもりでも、根っこの部分は変わっていなくて、特に探索者を引退してからはあまり変化のない日々を送っているせいか、その辺りは自分でも変化を感じない。


「なんだか今日はやたら優しいな」

「だって君、昨日寝てないでしょ」

「ベッドには潜ってたはずだけどな」


 いきなりメリトが僕の顔に手を伸ばした。避ける間もなくその手は頬や額、まぶたを優しくなで回し、手の平や指が視界を覆う。

 温かい手に包まれているのは、意外と心地よい。人と直に触れ合うなんて、なんだか随分久しぶりな気がする。


「ほら、すんごい荒れてる。お肌は正直なのよ。もう年だから」


 人の事は言えないけどと自嘲気味に笑いながら、最後に頭をなでて手を戻した。最近はあまり落ち着いて話す機会もなかったので、彼女のこんな優しい笑顔を見るのは久しぶりだ。


「心も傷つくんだよ。それを魔法で直すのはすごく難しい事なの」

「え、傷ついてるの? 僕が?」

「ほんっとに君は自分の事に無頓着だよね!」


 優しくされたり貶されたりを繰り返されている気がする。特にそれで腹を立てたりする事もないのだけど。誰に対しても、率直な意見は言うけれど、それで人の神経を逆撫でたりするような事もないのは、彼女の人徳とでも言うべきだろうか。


「明日の朝に帰って来なかったら、救出に行きましょう。きっと、待ってる」

「大丈夫なのか、仕事は」

「私は今でも一応探索者枠だから。融通は利く方よ」


 寺院の僧侶や司祭の中には探索者として動いている人がいて、そういう人はダンジョンで人を救う事が、寺院としての務めであるという事になっている。他の僧侶達に比べて、申請すればダンジョンには比較的自由に行くことが出来るし、そのための準備などの時間を取ることもたやすい。


「そうはいっても、悪いよ。何とかするさ」

「『何とか』の中に私を入れなさい」

「なんだよ、急に」


 メリトは普段は物腰は柔らかい方なのだけど、急に語気を強くしてくる事がある。昨日のダンジョン前でのやりとりもそうだった。まっすぐ目を見て、ちょっと大きな声で言われると、【誓約】の魔法を掛けられたかのように、有無を言わさず従わされる強さがある。


「私達はね、君に返しきれない程の恩があるの。わかってる?」

「なんで恩がある方が強気なんだよ」

「君は自分の事に無頓着過ぎるから」

「そうかな」

「とにかく、明日の朝。君が来なくても私は行くからね」

「二人で行く気か?」

「そうなるかもしれない」


 怪我人や、場合によっては死者を連れて帰らなければならないので、初対面の相手では少し危険性が高い。出来れば何度か同行した人だとありがたいのだけど、残念ながら僕の仲間は全員多忙でこんな事に気軽に付き合ってもらえるとも思えない。

 そうはいっても、さすがに戦力にもならない一人を含めた二人というのはちょっと無謀にも程がある。せめて盗賊はいないと今のダンジョンの構造や罠に対応出来そうにないが、デュマを連れ出すのは難しそうだ。

 心当たりを考えてはみるが、皆引退していたり忙しい身になっていたりして、急に声をかけて集まってもらえる自身がない。

 二人で悩んでいると、ふいに後ろから声を掛けられた。


「なあ、盗賊の助っ人はいらないか?」

「魔法使いも、どうですか?」

「君たちは……」


 後ろに立っていたのは、以前仕事の依頼者になった、ロックさんとロールさんの二人だった。

 愚行の女神の作った指輪を付けてしまったことで、姿が見えなくなってしまったロールさんと、彼女を救うために奔走したロックさん。

 西の魔女というある意味強大な敵と初めて対峙した事も記憶に新しい。


「どうしてここに?」

「デュマ様から連絡を受けたんだ。今、きっと盗賊と魔法使いが必要になっているはずだから、力になれって」

「あいつは本当に何でも知ってるな……」

「デュマ様から、これを預かってきました」

「手紙?」


 ロールさんからしっかりと封蝋された小さな封筒を受け取り、中を開くと、手紙は確かにデュマのサインが書かれていた。

 

「えっと……『本来なら、真っ先に自分が行かなければならない事態である事は承知の上だが、もはや衰えた私が出張るより、現役の人間を遣わした方がきっと役に立つだろうと考え、彼らを選んだ。健闘を祈る。私はいつでも君たちを見守っている』だそうだ」

「デュマで衰えたというのなら、私なんてどうなるのかしら」

「それを言い出したら僕の方がね」

「四人いたら何とかなるかしら」

「そうだなあ。……どうにかなるかもしれない、かな」


 積極的に戦闘を行わないように進めていくとしても、全てを回避出来るというわけでもない。魔法使いと僧侶と盗賊という構成では、いざという時には心許ない。

 ここは戦士や騎士といった前線で戦えるタイプの人が一人はいた方が良いだろう。


「せめてダルトがいてくれればな」

「今、街を出てるのよね……」

「ふふふー。お困りのようだねー!」

「……何してんのお前」

「うわーひどいー! せっかく格好良く登場したのにー!」


 二人の後ろで腕を組んで、本人的にはとても格好良く控えていたらしい女性が、間の抜けたテンポの口調で話しかけてきた。ロックさんやロールさんにしてみれば後ろから話しかけられて大層驚いているのだが、僕の位置からしてみれば、ちょっと前から黙って近づいて立っていたのが丸見えだったのだ。いくら狭い店内で人が多いとは言っても、それくらいの識別は出来るし、彼女はそれくらい目立つ存在でもある。


 それにしても本来なら、こんな所にいる事自体が珍しい人物なのだが。相変わらず突拍子もない行動だけは変わらないらしい。


「まさか手伝いに来たとか言うんじゃないだろうな?」

「こんな時に会いに来て、他に用事があると思うー?」

「本当なら、これほど心強い助っ人はいないわ。ありがとう!」

「えへへー。どーんとまかせてよね!」


 のんびりした口調が緊張感を若干削ぐものの、彼女の力は冗談抜きで百人力と言えるだろう。これなら無理をしなければ捜索もなんとかなりそうだ。


 立っていたのは、迷宮街の聖騎士の一人であり、僕やメリトと共にかつてダンジョンに潜っていた探索者の一人でもある人物、マリクだった。

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