03 たらくだ猫の隣歩き
どれくらいの時間気を失っていたのか、正確な所はわからないが、店内を見渡して特に荒らされた跡がないところを見ると、そこまで長くはなかったのかもしれない。
気がついたときには店のいつもの椅子の上に、昨日と同じ格好で座っていた。
もしかしたら猫になっていた事そのものが夢だったのかもしれないと最初は思ったのだが、左手の人差し指にはぶかぶかの指輪がはまっているし、座っている位置が昨日の作業時と違う。この位置は、普段ならリトさんが座っている位置であり、猫の時に最後に座っていた場所と同じだ。
指輪を外して意識を集中して視てみると、エーテルの力は既に失われてしまっているようで、光の環は見えなくなっていた。細かく調べようとしたものの、その後すぐに客が入るようになってしまい、指輪は夕方近くまで放置することになった。
指輪は気になるが、客を優先せざるを得ない。次々来店してくる客に応対し、店内の未鑑定アイテムは更に高く積まれていく。通常のアイテムは可能な限りその場で調べてしまい、少しでもエーテルの反応のあるものだけを選んで積んでいくようにしているのだが、それでも少しずつ増えていく。
ダンジョンで新たな階層に降りられるようになると、いつもこういう状態になるので覚悟はしていたのだが、それにしても今回は特に客が多いし、曰くありげなアイテムも多い。売り上げ的には良い話ではあるものの、何かしようとするには時間が足りなさすぎる。
結局客足が落ち着いたのは夕方に近くなった頃で、その頃になってようやく指輪をじっくり調べる事が出来るようになった。
指輪の材質はミスリル銀のようで、宝石は小さなルビーが二つ付いている。このルビーはちゃんとした本物で、魔力を失った現在でも、指輪の宝飾としての価値は失われていない。
さらに指輪の意匠は最近何度か見たものに非常に似ている。
リトさんやロールさんが持っているものと同じタイプのデザインだ。あの二つには宝石ははめられていなかったものの、彫られている紋様はとても近い。効果は違えどデザインラインはほぼ同一だ。
つまり、これもまた、例の女神の制作したアイテムという可能性がある。
呪いも解けてしまったようだし、依頼主にも単なるミスリルの指輪として渡してしまっても良いのだけれど、呪いにひっかかってしまった事に対する悔しさと、本当に呪いが解除されたのかが気になる。
少し遅いが、図書館に行ってみることにした。
+++
夕焼けに照らされて、バラやツツジの色の赤がより鮮麗に見える。
庭はいつものように手入れが行き届き、季節の花が咲き誇る。
最近はまた忙しくなってしまった事で立ち寄る頻度はかなり減ってしまっていた。今見ている花も、今日初めて見たものだ。
また機嫌を損ねていなければ良いのだけど……と思いながら、ゆっくりと扉を開ける。
奥にはいつものように椅子に座って本を読む少女がいた。
銀色の髪も、真っ白な肌も、部屋のささやかな灯りでその美しさが一層引き立つ。
入り口の扉が開こうとも全く意にも介さず本を読む手を止めない所はいつも通りだ。すでに目の前まで来ているのに顔を上げようともせず本を読み続ける所も、いつも通りと言えるだろうか。
こういう時に気の利いた言葉をかけられる能力が欲しいものだけれど、あいにくそんなものは持ち合わせていない。
「バラが綺麗に咲いたね」
「もう終わる頃」
言葉の選択は正解とは言いがたいものだったらしい。
「最近はまたちょっと忙しくてね」
「別に、いい」
「来なくても構わないって?」
「……そこまで言ってない」
若干機嫌は損ねていたようだけど、最近では大分マシな方か。ここの所遊びに来る人も増えたようだから、僕がそこまで通わなくても寂しくなくなったのだろう。ちょっとだけ意地悪な聞き方をしてしまったので、後で何か埋め合わせをしておきたい。
「また指輪が出てきたんだ。もう力は失われているんだけど、調べておきたい」
「見せて」
ポケットから例の指輪を取り出して、モーリスの小さな掌の上に乗せた。
僕の人差し指でも余るほどの大きさなので、彼女の掌に載せると随分大きく感じる。小指なら二本くらい入りそうだ。
指輪を右手でつまんで、色々な角度から眺めている。あまり表情が変わらないので、興味があるのかどうかはわかりにくいが、顔を近づけたり遠ざけたりと、とても熱心に見ている辺りは結構興味があるように思う。
「愚行の女神の作ったものなんじゃないかと思うんだけど」
「たぶん、そう」
指輪を僕に返して、傍らに置いてあった金属製の板を取り出した。条件を絞る事で図書館内の膨大な蔵書の中から場所を特定してくれる。ロールさんの件で見た本にも記述はあったので、同じような場所だろうとは思っていたが、やはり予想通りだった。
「あれ以来愚行の女神に関わる事増えたなあ」
「写本する?」
「暇が出来たら考えるよ」
この図書館にある本の、その中でも特に僕が資料として閲覧するものはほとんどが市販されていない。この街の、この図書館のために書かれたものばかりだ。
もちろん持ち出し禁止の一点モノなので、情報を外に持ち帰るには写本するしかないのだが、必要な部分だけを書き写すだけでも結構な時間がかかる。
時間が出来たら、改めて写本について考えよう。そうやって実行した事はほとんどないけれど。
モーリスに魔法のランタンを借りて、光の差さない空間へ降りる。地下五階まで降りなければならないが、一度行ったところなのでそれほど大変でもない。
先日、本物のダンジョンに久しぶりに行ったことでこちらの地下の歩きやすさと構造のわかりやすさを改めて実感している。いくらダンジョンのような図書館だと揶揄されても、本物のダンジョンの「侵入者を足止めさせる構造」にはなっていない訳で、ただ歩いていればたどり着けるという事がどれほど楽かという事を再認識した。
何しろあちらのダンジョンには落とし穴だの回転する床だの転移する罠だのが点在しているので、一度歩いたルートであっても気が抜けないし、モンスターの存在については言うまでもない。
先日のダンジョンでは地下四階に降りるだけで半日近くかかってしまったが、こちらは地下五階まで小一時間もかからず到着した。
区画は八の二の六で、以前に一度見たことがあったし、そもそも愚行の女神の本は一冊しか存在しなかったので、すぐに見つける事が出来た。
愚行の女神は呪いの指輪を多数作成している。多分本人は祝福のつもりで作っているものもあるのだろうけれど、大半のアイテムが装着者にろくな恩恵を与えないのでまとめて呪いのアイテム扱いしてしまっている。
今回僕が着けたのは「変化の指輪」というもので、本によれば着けた人の願いを一つだけ叶える指輪、という事になっている。願いを叶える指輪なのに、何故変化の指輪と呼ばれているかというと、願望に対して与えられる恩恵が「装着者の姿を変えることで願いを叶える」からであるという。
一回読んだだけでは全く意味がわからなかったので何度か読み返したが、「願望を叶えるために姿を変える」という部分は、そういうものだと思うしかないらしい。
確かに僕もあの時猫の手も借りたいと思っていたが、本当に猫がいても困るし猫になりたいと思っていた訳がない。
要するに彼女なりのジョークグッズなのだろう。
全く洒落になっていないが。
この指輪の唯一の恩恵は、使って呪いが解けた後の指輪が高く売れる、という所だろうか。今となってはミスリル銀の価値は当時と比べものにならないほど上がっているので、皮肉な事にどんな効果よりもありがたい恩恵と言える。
呪いを解く方法は異性からの接吻と書かれており、姿を変えられる呪いを解く方法としては実に定番なものだと言える。
お伽噺や騎士道物語でも、何らかの呪いで変身させられる話は多く、その解決策が異性のキスというものも多い。眠ったままのお姫様は白馬に乗った王子様のキスで目覚めるし、カエルや化け物になってしまった王子様はお姫様のキスで元の姿に戻る。
さらに遡れば神話の時代から変身譚は数多く、月桂樹に化けたり、何らかの罰で蜘蛛に変えさせられたり、浮気のために雄牛に化ける嵐の神がいたりしたという。
本によるとこの指輪はかなり初期に作られたもののようで、お伽噺の変身譚でキスによる復活というのはこの指輪が元ネタだったのかもしれない。
おおよそ予想通りの内容ではあったが、仮定が確定した事で安心は出来た。そろそろ腹も減ったし、早めに帰ることにした。
帰りはさらに楽になるので、感覚的には行きの何割か短い時間でモーリスの元へ戻る事が出来た気がする。
「あったのか」
「おかげさまで。写本についても真面目に検討しておこうと思うよ」
「わかった」
既に解決済みの案件なので、本を読んだからどういう変化があるわけでもないのだけど、少なくとも安心して依頼主に説明が出来るのは大きい。ともすればより高く取引出来るようになったかもしれない訳で、決して損はさせていないだろう。
今回の件で学んだ事は、眠いときに無理はしないという事だ。偶然解決出来たから良かったものの、リトさんが立ち寄らなければ、彼女が猫好きでなければ今も猫のままでいたかもしれないし、店もどうなっていたかわからない。
色々な意味で彼女に礼を言うわけにもいかないのだけど、何らかの埋め合わせは考えていきたい。
+++
「あら、今日はいたのね」
「お久しぶりです。今日も無事でなによりです」
「最近はあまり焦ったり無理したりしないようにしてるわ。それで効果が出た事もないし」
「万全の状態でも事故が起こることはありますからね」
「呪い屋さんも忙しいみたいだけど、あまり無理して体壊さないでね? うっかり自分が呪われたりとかも気をつけないと」
見てたのかと一瞬どきっとしたけれど、特に深い意味はなかったらしい。
あの猫の正体を知っていてこの態度が取れるなら、探索者より役者か詐欺師の方が向いている。
「そういえば、これを受け取って欲しいんですけど」
リトさんが来る前に用意していた小さな箱を取り出すと、何故かリトさんが身構え、半歩ほど後ろに引いた。
「えっ! ちょっと、急にそんな、困るわよ」
「いや、色々と考えて、リトさんしかいないと思ったんです」
「うん、それは、とても嬉し……いや悪い気はしないけれど、もうちょっと場所とか雰囲気とか……そういう……」
リトさんが顔を真っ赤にして箱を受け取ろうとしない。場所も何もこのタイミングでなければ渡す日がまた遠のいてしまうかもしれないので、ここで受け取って欲しいのだけど。
「困ったな。またダンジョンに行かれる前に渡したかったんですけど」
「……そうね。いつ事故があるのかわからないものね。わかったわ」
そういうと目を瞑って両手を前に差し出した。
掌の上に小さな箱を乗せると、リトさんはおずおずと箱を開き、中を見ると、それまでの嬉しそうな表情から一変して、急に顔をしかめてしまった。
「……なにこれ」
「鍵です」
「それは見ればわかるわ」
「この店の鍵ですよ」
「え?」
「リトさんが仰るとおり、何があるかわからないですから、念のために鍵を持っていてもらえれば、何かあった時に店に入れるかなと」
猫になっていた時に言われた事なのだけど、それは言えないのでおかしな流れになってしまった。掌に載るような小さな箱では大したものは入らないから、リトさんにも高額商品だと勘違いされずに済むかと思ったのだけど、どうにもうまくいかないもので。
「そ、そうね。あれば何かと便利よね! し、仕方ないから預かっておいてあげるわよ!」
「ありがとうございます。もちろん事故のないように努めますけど」
「当然でしょう!」
最初は大分不機嫌そうだったリトさんも、結局鍵を眺めながらちょっと嬉しそうにしているように見える。別に呪われたりもしていないのだけど、随分長く鍵を見つめていた。
「それにしても、どうして急に合鍵なんて用意しようと思ったの?」
「ああ、それは……」
一瞬、どう答えたものか考えてしまった。リトさんに言われたとは答えられないし、何の理由もなければかえって怪しく感じてしまう。あまり長考するのも怪しくなってしまうので、とにかくすぐに返答しなければ、と思うと考えが上滑りしてしまう。
こういう時に気の利いた言葉をかけられる能力が欲しいものだけれど、やはりそんなものは持ち合わせていない。
「その、猫に聞きましてね」
「はあ?」
やはり今回も言葉の選択は正解とは言いがたいものだったらしい。
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