02 借りてきた猫

 気がついたら外から陽の光が差し込んでいた。

 店の中で寝てしまっていたらしい。

 変な場所で寝てしまったせいか、妙にだるい。何となく熱もある気がする。

 熱のせいか、動く気になれない。


 店の中で寝たということは、リトさんが帰った時のまま、鍵もかけずにいるという事になる。呪い屋という通称と噂のおかげで誰かが盗みに入るという事はないとは思うが、今客に来られた時には対応出来そうにない。せめて鍵くらいはかけに行きたい。


 しかし心とは裏腹に体は全く動こうともせず、ただ椅子の上で丸くなったまま降り注ぐ陽の光を浴びていた。そろそろ春も終わり、暑い季節の片鱗が陽の光からも見えてきているが、朝のこの時間はまだ直接浴びていても心地よい。

 毛布もなしに、こうして光を浴びながらうとうとしているだけで十分な幸せを感じられてしまうのは、最近ずっと時間の余裕がなさ過ぎた反動だろうか。


 そうはいっても、店の中でいつまでも自堕落にしている訳にはいかない。現実逃避もいい加減終わらせて、朝の準備をしよう。

 しかし残念ながら、言う事を聞かない体よりも先に店の扉を開ける人が現れてしまった。

 扉を開ける音が、静かな店内に大きく響き、そのまま足音がゆっくりと近づいてくる。


「ああ、すみませんまだ開けてないんですよ」


 そう言って来店した人に謝ろうとしたのだが、どうも喉の調子が悪いのか声が出ていないようで、足音はそのまま進んで角を曲がり、このテーブルの所まで来てしまった。


「んー?」


 足音の主はリトさんだった。

 こんな時間にやってくるのは最近では珍しいが、今日はダンジョンに行く予定はなかったのだろうか。


「こんな所でどうしたのー? 気持ちよさそうだねー」

「リトさんこそどうしたんですか?」

「んー。というか不用心ねえ。鍵もかけないで」

「いや、うっかり寝てしまいまして」

「何処行ったんだろうねえ」


 何処に行った?

 誰かを探しに来たのだろうか。

 とはいえ、ここにいるのは僕しかいないし、他にこんな時間に立ち寄るのはリトさんくらいのものなんだけど。


「しっかし君はどこから入ったのかにゃー? 玄関開いてたから入っちゃったのかなー?」


 もしかして僕の視界の外に誰かいるのだろうか、と思ったがリトさんは確実に僕の目を見て話をしているし、そう考えている間も近づいてきて、僕に手を伸ばしてきている。

 そのまま、リトさんは僕を抱き上げた。

 いつのまにそんな豪腕になったのかは知らないが、実に軽々と持ち上げられてしまった。


「もしかして猫の手も借りたいって言ってて本当に猫借りてきたんじゃないでしょうね」

「さすがにそこまで寝ぼけてはいませんよ。というか離してくれませんか……」


 なぜか軽々と僕を持ち上げて、僕を見つめている。あまり視た事のない無防備そうな、ちょっとしまりのない笑顔を見せてくれたのが意外だった。

 視線は僕の全身をくまなく見つめていて、次第に下に降りていく。


「おや、君はオスなんだねー! 可愛いねー!」

「いや、ちょっと?」


 何を見ているんだろうか。というかオスって何ですか。可愛いって何ですか。一体僕の何を見たというのですか。

 可愛いはどこにかかっている言葉なんですか。

 ようやく椅子に降ろされてリトさんから解放されたが、何というか精神的に陵辱されたような気分になってきた。裸で寝ていたつもりはないのだけど……。


「呪い屋さんは何処に行ったのかな。君は知らないかなー?」

「いや、何を言ってるんですか?」

「知らないよねえ」


 さっきから会話が成立していない気がする。

 そもそもリトさんは僕の姿を認識していながら僕の存在を認識していない。完全に矛盾する状態なのに、彼女はそれに気付いていない。

 僕に向かって話しかける口調ではないし、可愛いなんて事は前後不覚になるほど酔っ払うか誰かに操られているかでもなければ言わないだろう。今の彼女の状態はどう見てもそのどちらでもない。

 こんな猫なで声が出せるのかという程に普段のリトさんの態度とは剥離しているのがとても気にかかる。


「まあ、まだ時間あるし、少し待ってようかな。君がいれば退屈しないかもしれないし。ねー」


 さっきからずっと、彼女は笑顔を絶やさない。その笑顔はずっと僕に向けられているのだけど、普段はもちろんこんなに愛想良くしてくれる人ではないし、僕も彼女にそこまで笑顔にさせてあげられる程の甲斐性もない。

 やはり僕は今、僕でない何かになっている可能性が高い。

 今頃気がついたけれど、視線が妙に低い。椅子に寝そべっているから低いという認識はしていたのだけど、そもそも丸くなって寝そべる事が出来るほど、この椅子は大きくない。

 そしてどれほど豪腕であろうとも、リトさんがあんなに簡単に成人男性を持ち上げられるとは思えない。

 会話が成立していないのは、僕が発していると思っている言葉が、実際には僕の口からはそのように発せられていないのだろう。内容は全くかみ合っていないが、それでもお互いに交互に声を掛け合っている辺り、何らかの声は出していると思う。


 改めて自分の姿を確認すべく、両手の状態を確認する。水かきだのうろこだの生えていたら嫌だなと思いつつ、そんな姿だったら彼女が悲鳴の一つも上げるだろうから、それはないはずだ。

 意を決して両掌を見ると、予想以上に小さな手に、丸い肉球が付いていた。周囲には真っ白い毛が生えていて、小さな爪がちょっとだけ顔を出している。

 異様に柔らかくなった体をくねらせて全身を眺めると、毛は全身に生えていて、体は小さく、長い尻尾が生えているのが見えた。

 首には何かが巻かれている感覚はあるので、おそらくは首輪が付いているのではないかと思う。

 椅子に丸くなれる程度の大きさで、肉球や尻尾のある四足の動物。

 家の中にいても怒られず、可愛がられる動物。

 自分が今どうなっているのか、ようやくわかった気がする。


「明日からまたダンジョン潜るんだよー。また来られなくなっちゃうんだよー」

「ああ、今日は準備の日だったんですね」

「潜るのは楽しいけど、忙しいのはちょっと嫌だねー」


 聞き慣れない口調のリトさんに返事をするが、おそらく言葉の意味は通じていない。

 さて、何が起こったのか考えなければならないだろう。このままでいるわけにもいかない。


「猫ちゃんはいいねー。のんびりしてるねー」

「にゃー」


 やはり僕は今、猫になってしまっているらしい。

 手元に鏡がないので自分の姿を映すことは出来ないが、全身白い毛で覆われた猫なのだろうと思う。

 さっきからかみ合わないなりに会話が出来ていたのは、話をしているつもりでずっとニャーニャー鳴いていたのだろう。

 オスだと判別されてしまったのは、猫なので仕方がないという事にしておこう。可愛いという言葉も、猫である自分の今の姿にかかっているものだと思われる。


 こうなった原因は、昨日最後に触った指輪のせいだろう事は想像に難くない。すっぽりと入ってしまった指輪から漏れたエーテルの光に包まれてから記憶がないが、そこで猫に変化させられた、といったところだろうか。

 

 眠くてうっかりしてしまったとはいえ、鑑定中の商品を見ていて自分が呪われてしまっていては商売にならない。

 よりによって人ではない姿にさせられてしまっては、元に戻る方法を探すのも大変になってしまう。

 意識が人である事を維持出来ている事が不幸中の幸いというべきだろうか。

 とにかく、元に戻る方法を考えよう。


「んー、来ないねえ、呪い屋さん」

「にゃー(いるんですけどね)」

「知ってる? ここのお店はね、呪い屋さんって言うんだよ」

「にゃー(鑑定屋です)」


 リトさんが急に近寄ってきて、また僕を持ち上げた。

 一度顔を近づけて無防備な笑顔を見せてから、僕のいた椅子に腰を下ろす。


「よいしょ。君も一緒に呪い屋さん待ってくれるかにゃー?」


 そう言いながら僕を膝の上に乗せて、背中をなでる。

 柔らかく暖かな腿と、優しくなでる掌が心地よい。

 暖かな日差しと彼女の温もりが合わさり、もうこのまま猫でいてもいいんじゃないかと思えるほどに安らかな気分に浸りかけた。

 そういう訳にもいかないのだ。


「んー! 君は良い子だねえー! 全然嫌がらないんだねえー! んにゃー!」

「にゃっ!(いや、それはちょっと!)」


 僕をひっくり返しておなかに顔をうずめてきた。さすがにそれはくすぐったい。身をよじらせながら抵抗するも、人の力に抗えるはずもないし、うっかり手を出して爪で傷つけてしまうのも怖かったので、完全になすがままにされてしまっている。


「ここはねー。呪われちゃった人を何とかしてくれるお店なんだよー。すごいねー」

「にゃ?(アイテムの鑑定をするお店ですからね?)」

「私もここで助けてもらった客の一人なのだにゃー」


 僕のおなかから顔を離すと、さっきまでの笑顔とは打って変わって、少し寂しそうな顔で見つめてきた。


「うん、ただの……客」


 その声は、僕に聞かせるつもりなのかわからない程に小さな呟きだった。


「あ、でもね。私がダンジョンに取り残された時は、呪い屋さんすっごく慌ててくれたんだって!」

「にゃにゃっ!(だ、誰がそんな事を言ってたんですか)」

「後でメリトさんに教えてもらったんだけどねー。嬉しかったなー」


 言い終わる前にまた僕の腹に顔をうずめる。どうもこれが気に入ったらしい。どうにもむずがゆいようなくすぐったい感覚に襲われるので勘弁して欲しい。

 それにしても意外とメリトの奴はお喋りだな……。あまり変な事を口走らないようにしておこう。

 

「……うん、嬉しかったんだ」

「にゃ?(どうしたんですか?)」


 顔をうずめたまま、また小さな声で呟いた。

 その時だけは、猫なで声でもなく、赤子に話すような口調でもなかった。

 顔を上げたときに見せた表情は、いつも見せるような笑顔のようでいて、どことなく寂しそうにも見える。

 そう見えるのは、いつもと違った角度から見ているせいだろうか。


「呪い屋さんの周りの女の人、みんな綺麗で素敵な人ばっかりなんだよね。すっごく仲良さそうだし。メリトさんとかお似合いだなって思ったりもするんだけど」

「にゃー?(そうですか?)」

「実際の所、私の事はどう思ってるのかなーって。ちょっと、気になったりする事もあるんだよ? 君、知らない?」

「にゃー」

「あはは、知ってるわけないよねー! んー!」

「にゃーっ!(顔うずめるのやめてもらえませんかっ!)」


 しばらくは背中をなでたり顔をうずめたり、持ち上げて空中でダンスを踊らされたりと、散々いじくり回された。

 少しずつ慣れていった事もあり、同時に抵抗する気力もいつしか失われていった。もともと大した抵抗はしていなかったのだけど、最後には特に鳴くこともなくされるがままにいじられていた。

 慣れてしまえば痛みがあるわけでも、特に不快というわけでもなかったので、それで彼女の気が済むのなら、と受け入れていた。


「あ、そろそろ行かなきゃ。来なかったね、呪い屋さん」

「にゃう(いるんですけどね)」

「今度鍵を預かっておこうかな。不用心なんだから、困ったねー?」

「にゃー(考えておきましょう)」

「それじゃあ、ごめんね? 変な人がいたら、顔をひっかいちゃってね!」

「にゃっ(多分届かないと思いますけどね)」

「お話聞いてくれてありがと! んっ!」


 最後に持ち上げて、顔をすっと近づけてきて、僕の唇に優しくキスをした。唇といってもこちらは毛で覆われていて、だいぶ感触は違うものではあったけれど。

 それよりは目を瞑った彼女の顔が眼前に広がる、その光景が脳裏に焼き付いて離れない。


「じゃあね!」


 呆然としていた僕を椅子に降ろして、リトさんは僕に手を振りながら店を出て行った。鼻歌を歌いながら、とても楽しそうに。

 出て行ってからもしばらくは彼女の顔のことが頭から離れず、呆然としていた。

 リトさんの事をどう思っているのか、と彼女は気にしていた。

 ただの客、というほど薄情でもないつもりだけど、だからといって特別な扱いをする訳にもいかないだろうから、出来るだけ普通に接してきていたつもりだった。


 もちろんダンジョンにおいて行かれた事を知ったときは慌てたし、心配もした。何を置いても助けに行こうと思い、実際にそうした。

 ただ、それがもし他の常連客であったならどうしただろうか、と考えた時に答えが出ない。

 仮にあの時の対象がロックさんだったとしても、きっと助けには行っただろう。

 ただ、あそこまで必死になって助けに行ったかというと、ちょっと自信はない。

 そういう意味では、僕の中では他の客や友人とは違う位置にいる、のかもしれない。


 そんな事を考えていると、突然目の前が真っ白になった。

 意識を失いかけているのではなく、近くで何かが強く輝きだしたようだ。光源は目線より下で、おそらく首輪が光っているのではないかと思う。

 もっとも、冷静に考えられたのはそこまでで、その後は本当に意識を失い、視界から何もかもが失われていった。

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