02 ひび割れていく器
最近では怪我や病気は、よほど重篤でなければ魔法でなんとかなる事が多い。
特に迷宮街で一番大きな寺院は大地の女神を祀るもので、ここは昔から魔法による治療技術の研鑽が最も盛んだと言われている。
探索者が日々ダンジョンに潜っては怪我をして帰ってくるこの街では寺院の存在が非常に大きい。
通常、怪我や病気になった時は、寺院に行くことで大抵の事はなんとかなる。金はかかるけれど。
ダルトの連れてきた女性も、見た限りなんらかの病気に冒されているのは明白であり、通常であれば寺院に連れて行くものだろう。特に彼の立場と財力を考えればどんな治療でも受けさせられるだろうし、それくらい彼でも理解しているはずだ。
それを踏まえてなお、この店にまず彼女を連れてきたという事は、この店でなければわからない何かがあるという事なのだろう。
「身に覚えがないのか?」
「昨夜から調子が悪かったみたいだったけど、ここまで酷くなったのは今朝になってから急にだな。家にずっといただけだし、理由なんて見当も付かねえ」
女性に改めて目を移す。肩ほどまで伸びた金色の髪が汗で額や肩に張りつき、乱れたままになっていた。
ほとんど意識を集中させるまでもなく、彼女の体からエーテルの光が見えた。全身からかすかに漏れるように光るそれは、彼女の生命を焼べて輝いているようにも見える。
普通の人間はエーテルを体から発散させるような事は出来ない。明らかに、何らかの異常か、もしくは何らかの魔法や呪いによるものであると考えるべき状況だ。
もう少しよく見てみなければ原因の特定までは出来そうにない。
「椅子を並べ替えて横になって貰って……」
「そうか。よし、お前そっち持ってくれ」
「……ねえ、ちょっと待って」
ダルトが椅子を持ってずらしはじめた所で、リトさんから声が上がる。
「原因より、彼女の容態がどんどん悪くなっていく方が問題じゃないの。まずは寺院に連れて行くべきじゃないかしら」
「しかし原因がわからない事には」
「熱を抑えるとか、体の負担を軽くするだけなら何とかなるでしょう? 今ここにはそういう魔法が使える人がいないんだから、とにかく彼女の体を優先するべきよ! このままじゃ呪い以前に死んじゃうわよ!」
言われてから改めて彼女を見れば、確かに顔色も悪いままで、ともすれば悪化しているかもしれない。汗は相変わらず止まらず、呼吸も荒い。
呪いの正体がわかった所でそれまでに彼女の体力が持たなければ意味がない。応急処置とはいえ、治癒の魔法を駆使して時間を稼がなければ、リトさんの言う通り手遅れになる可能性もある。
リトさんの指摘した通りに今この場にいる人間の中に回復魔法を仕える人間がいない。僕はもちろん言うまでもなく魔法全般が使えないし、リトさんもまだ魔法に関しては全くの素人と言って良い。ダルトは攻撃魔法なら多少の心得があるものの、回復や治癒の関係は全くの門外漢であったはずだ。
どちらにせよ、解呪のために寺院の力を借りなければならないのならば今のうちに言っておいた方が早いという事もある。
「やっぱりメリトの所までいこう。ダルト、悪いが鑑定はその後だ」
「よっしゃ寺院だな!」
「僕のことは放っておいて先に行ってくれ。しかしあまり揺らさないようにな」
ダルトもリトさんも、本気で走れば僕など追いつくことも出来ない速度が出せる。僕もそれほど遅い方ではないのだけれど、何分体力が持たないので、最終的には相当な差が出るはずだ。彼の力ならば、女性を抱える程度がハンデになる事もないだろう。
そして実際にダルトは女性を抱きかかえたまま全力で寺院まで走り出した。一応、酒樽を抱えて走る時と同じような姿勢なので、一応は彼なりにあまり揺らさないような配慮をしているのだろう。
「リトさんも先に行ってもらえますか。鍵を閉めてから追いかけますから」
「そうね、気になるから先に行っておくわ」
***
寺院は街の中心部の区画にあり、図書館とも比較的近い位置にある。どちらも大きく、荘厳な作りになっているために、地元の人以外はどちらが寺院なのかわからずに間違えてしまう事も多いという。
戸締まりを終えて寺院に入ると、すでにメリトが対応してくれていて、女性は奥のベッドで横になっていた。呼吸も落ち着き、かなり容態も安定したように見える。
「ああ、もう何とかなったのか。ありがとう、メリト」
軽い気持ちで礼を言ったのだが、その場にいた三人の表情は予想以上に暗かった。そんなにおかしな事を言ったつもりはなかったのだけど。
「早く連れてきてくれた事は正解だったと思うわよ」
「ああ、やっぱりそうだったのか。本当にありがとう」
「解決したわけじゃないんだけどね」
呪いが解けた訳ではないだろうから、解決はしていないだろうとは思っていた。しかし現にこうして彼女の容態が回復したのなら、何も問題はない。後はゆっくりと呪いの原因を究明し、解決していけば良いだけの話だろう。
そんな事を思っていると、急に女性が苦痛の声を上げ始めた。
さっきまで穏やかな顔で寝ていたはずなのに、表情は険しく、顔色も悪くなっていた。
すかさずメリトが魔法を使って症状をやわらげる。まるでそうなる事がわかっていたかのように見事なタイミングで、しかも使った魔法は【大治】という治癒系魔法の中ではかなり上位に位置するものだった。
魔法を使って容態が落ち着いても、彼女らの表情は明るくなることもなく、むしろ改めて落胆したような雰囲気にも見える。
「穴の開いた桶に水を入れさせられている気分ね」
「……何度もやってるのか」
「最初は【封傷】をかけてみたんだけど、数分でまた容態が悪くなるもんだから、少しずつ魔法のレベルを上げていた所なの」
「じゃあ、これで三回目……」
メリトが黙って頷いた。
ダルト達が寺院に到着するのと僕が到着するのでは三十分くらいの差があったと思うが、その間で既に三度も魔法をかけていなければならないというのは尋常ではない。
「この魔法でどれくらい持つのか……」
「メリトは、この人をどう見る?」
「普通に考えられる病とは全く別物ね」
多くの怪我人、病人を診てきた彼女が、ほぼ即答でそう断言する辺り、ダルトの最初の見立ては正しかったようだ。そういう観察力や勘の良さは相変わらずらしい。
「表現するのが難しいんだけど……。誤解を恐れずに言うなら、寿命を迎えている人というのが一番近いかもしれないわ」
「じゃ、じゃあ、死んじまうのか? マジかよ……!」
「普通の寿命とはちょっと違うんだけど……生命力がどんどん抜けていく感じなのよね。穴の開いた桶とか、グラスに入れたままの酒とか、そういうような」
「その穴を塞いでやらないと、危険だって事か」
「穴というかひび割れのような感覚ね。しかも魔法をかけるたびにそのひびが広がっているんじゃないかしら」
無理にひび割れを塞いでいっても、決壊する度に余計にひびが広がっていく。魔法の効果がそのように段々と低下していくというのなら、その終局は想像するまでもない。
「何とかならねえかな……カル……」
「何とかするために、僕らはついてきたんじゃないか」
「すまねえ……」
深々と礼をする前のダルトの表情が、先ほどまでと比べも大分和らいでいたように見えた。
何も進展はないのだけど、少しでも安心してくれるのなら、悪くない。
「……で、今更なんだけど、この子はどういう関係なわけ?」
さすが、リトさんはこういう時に聞きたいことをスパッと口にしてくれる。
「そうだったな……」
「え、誰も知らないの?」
「いきなりこいつが店に連れてきて助けてくれとか言い出したもんだから聞きそびれたんだよ」
「まさかメリトさんはご存知だったとか、そういう事は」
「三人とも何も言わないから、てっきり知ってる間柄なのかと……」
「何も言わずに奥まで通してくれたもんだから、私はむしろメリトさんの知り合いなんだと思って……」
宿屋で騒いでいたらいつの間にか知らない人が紛れ込んでた時みたいな気まずさがある。
もちろん、お互いの事を信用しているからこそ、何も聞かずに友人の頼みを聞いてあげようとしてくれたのだ。
そういう事にしておこう。
それから今後はもうちょっと身元の確認はしっかりしておく事にしよう。
「じゃあ、改めてこの方のご紹介を、どうぞ」
「そう言われると言いづらいな……」
後ろ頭を掻きながら、照れくさそうに視線を泳がすダルトというのもまた、滅多に見られない。付き合いはかなり長い方だが、彼と女性がらみの話題をした記憶がほとんどない。店にいる時も、外に飲みに行くときも、話題の大半は武器や鎧の話題ばかり。こうして改めて話を聞くのは、おそらく初めてのことだろう。
「出会いの経緯からでも何かヒントはあるかもしれない。出来るだけ細かく教えてくれないか」
「言ってることは正しい気がするけどなんでお前の目が笑ってるのか説明してくれ」
「僕はいつだって……真剣だ」
「吹き出すの堪えてんじゃねえよ」
「そんなに前の話じゃないわよね?」
「ああ、そうだな」
メリトが話題を切り替えてくれたおかげで矛先が逸れた。
その後、ダルトは覚悟を決めたようで、少しずつ彼女の事を説明してくれた。
何がヒントになるかわからない。聞き漏らしのないように、今度こそ本当に、真剣に耳を傾けた。
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