04 帰らない人
「リト達を、置いてきた」
攻略派の中心人物であり、今回の攻略でもリーダーとして動いていたマウジが、顔を伏せたままそう言った。
言っている意味が理解出来るまでに数秒かかり、次の言葉を口にするまでには軽く数十秒かかってしまった。
一生懸命言葉を選んだつもりだ。
彼に悪気や落ち度があったとは思えないし、リーダーとしての苦渋の選択があったに違いない。彼については、この状況下においてもそう思えるだけの実績と信頼があった。
出来るだけ、冷静でいようと心がけてはいた。
「説明しろ。何があった?」
「ちょっと、彼も疲れてるんだから、そんな言い方……」
メリトに窘められてしまう程度には僕は冷静ではなかったらしい。
「いや、いいんだ。説明する」
「疲れているんだから、明日でも……」
「手遅れになったらどうする!」
思わず声を荒げてしまい、周囲の視線を集めてしまった。そこまで大きな声を出したつもりもなかったのだけど、遠くの人までこちらを見ているし、なによりメリトが一瞬でも驚いた様子を見せていたので、相当大きかったのだろう。
実際の所、すぐにでも対応しなければならない事態であるのなら、明日などと悠長な事は言っていられないかもしれない。マウジには悪いが、説明だけでもしてもらいたい。
「なんでそこまでカリカリしてるの? ちょっと変よ?」
「僕は冷静だよ。事実を確認したいだけだ」
「リトちゃんが心配なのはわかるけど、ちょっと落ち着いて」
「落ち着いてるって言ってるだろう!」
「ちっとも落ち着いてないじゃない!」
僕は、冷静に、事実が知りたいだけの、はずだ。
ダンジョンにおいて、探索者が帰還出来なくなるような事態が発生してしまった事に対して。
大きな事故などの可能性を考えて。
それだけの、はずだ。
だから僕は、冷静だ。
少し心臓の動きが速くなっているような気もするが、脳に血を多く送るためにそうなっているだけだろう。
少し、息苦しいような気がしてきた。
呼吸をしてもなんだか足りない気がして、息を吸う回数が増えている。
「リトちゃんは大丈夫だよ、きっと。だから、落ち着いて」
「リトさん……」
そうだ、リトさんが帰ってきていないのだった。
だから、その理由を聞かなければならないのだった。
あれ、それはさっき聞いたような気がする。
いや、聞く前にメリトに止められたんだっけ。
「ダメか……ごめんね、カル」
なんでメリトが謝るのか。
僕は、冷静だし、メリトに何もされていない。
そう言おうと思ったところで、彼女は何かを呟いて、両手を僕の顔に近づけてきた。
温かい両手に顔を包まれて、こわばった全身がほぐれていくような気分になった。
ゆっくり、ゆっくり氷が溶けていくように、体の中にあった、何か固くて冷たいものが少しずつ消えていく感覚が、体の奥から感じられた。
ああ、あの呟きは呪文だった。
おそらくは【正気】の魔法だ。
本来は魔法で混乱してしまった人の正気を取り戻すための魔法だが、そんなものを使われなければならないほど僕は取り乱していたということだろうか。
優しく覆っている手に自分の手を重ねて、目を瞑り、ゆっくりと息を吐いて、吸った。
何度か深呼吸を繰り返して、目を開けた。
目の前には、メリトが優しく見つめてくれていた。
「……もう大丈夫。すまなかった」
「こんなに取り乱した姿を見るの、何年ぶりかしら」
「……もういいか? 二人とも」
顔を合わせたまま二人で苦笑していたら、周囲の視線を集めたままであった事を知った。
あわてて互いの手を離して、姿勢を取り繕った。
ああ、穴があったら入りたい気分というのはこういう事か。
穴なら目の前にあるなあ。今すぐダンジョンの入り口に駆け出してしまいたい。
「す、すまなかった。説明を、お願い出来るだろうか」
「俺も頭が冷えた。ちゃんと説明させてくれ」
お互いに冷静さを取り戻せたという事で、改めてリトさんの件について説明をしてもらう事にした。
「八階に降りた俺たちは、降りる階段を探すためにパーティごとに散っていた。お互いの位置が確認出来る程度の距離を維持しつつ、壁や床を少しずつ調べていったんだ」
「人海戦術でしらみつぶしにしていったのか」
「一年近く見つからない理由がわからないから、とにかく一度全てまっさらにして、ゼロから始めようとしたんだ」
今までは、大体半年に一度くらいのペースで各階層を踏破していた。大崩壊によって一度やり直しになったものの、それからも同じくらいの速度だったので、八階だけが一年近くかかってしまっていた事になる。
「結局、見つからなかったのか?」
「その前に、アラームの罠に引っかかった奴がいた。今までなかったタイプの罠で、現れたモンスターも初めて見るタイプだった。真っ青で屈強な体をして、大きな角と翼を持ったモンスターが何匹も押し寄せてきたんだ」
通常は各階層にいるモンスターは大体決まっていて、その顔ぶれに大きな変化はない。
一年近くも停滞していた八階で、今更見たこともないモンスターに遭遇する事など少し考えにくいが、アラートの罠の中には召喚魔法が閉じ込められているものがあるという話を聞いたことがあるので、もしかしたらそういう事かもしれない。
「そいつはあまりに強くて、魔法も使ってくる上に仲間を呼んで数まで増えていった。最初に対峙したパーティだけでは抑えきれずに周囲のパーティも合流したが、それでもじわじわと押されていった」
「今の迷宮街の精鋭揃いでも太刀打ち出来なかったのか? そんな奴がいるのか……」
「突然現れて浮き足立っていた、というのは言い訳にもならんかもしれないが……。万全の状態で戦えていれば、もう少し善戦出来たんじゃないか、とは思う。とにかく全員が混乱してしまっていたからな」
パーティでの戦闘は、個々の戦闘能力よりも全体の連携がどれだけ取れているかの方が重要だと言われている。お互いの行動を見て、今すべき事、相手が望む事をどれだけ把握出来るかで総体としての戦闘能力は大きく変化する。
不意打ちを食らったときに崩れやすいのは、隊列を崩される事以外にもそういう部分が大きいとも言われている。
ましてやそれが見たこともない敵で、見たこともない攻撃をしてこられては、致し方ない部分もあるだろう。
「劣勢だった所に、リト達のパーティが合流してくれて、彼女が他のパーティを一旦離脱させたんだ。体勢を整えてから帰ってきてくれと」
「無茶な!」
「俺もそう思って断ったが、数分持ちこたえるだけで、倒すつもりはないから早く帰ってきてね、と言われてな……」
「任せたのか、リトさんに?」
「このままじゃどちらにせよ危なかったんだ。賭けに乗るしかなかった」
「それで、そのまま逃げたのか……?」
「それは違う」
「何が違うんだ? 今、こうして実際に……」
「落ち着きなさいよ、カル。最後まで話を聞いてあげて」
メリトに肩を掴まれて、また声を荒げそうになるのを抑えられた。
どうにも、今日はなんだか変だ。
「リト達のパーティは俺たちを離すためにじわじわと下がりながら防戦に徹していた。魔法の効果が飛び火しないようにしたのか、奥の袋小路に入っていった。俺たちは一旦離れて、体勢を整えるために回復魔法を使ったりしていたんだが、突然戦闘の音が止んだんだ」
「音が……?」
「慌てて小路に向かうと、そこにはもう、誰もいなかった。モンスターだけじゃなく、リト達パーティ六人とも、いなくなっていた」
「移動魔法で逃げたとかじゃないの?」
「俺たちもそれは考えた。だが、それで地上に上がってみたらいませんでした、では話にならない」
「実際いなかったけどな」
空間を移動する魔法はいくつかあるが、ダンジョン内で使用する場合、座標を正確に指定出来ないと壁の石の中に飛び込んでしまう事があるため、注意が必要だ。戦闘時などの集中出来ない場面で使おうとすればその危険性は飛躍的に高まるため、よほどの緊急事態でなければ使う事はない。
もう一つ、違う魔法で移動する事も出来るが、これは裏技に近い上に別なリスクを伴う。今の所本当に使ったのは僕だけで、その結果が知れ渡っている現在は、使う人はいないだろう。
そもそも仲間が控えている状態なのだから、その場を離れる必要はほとんどないはずで、魔法による移動をしたとはちょっと考えにくい。
彼女の性格的にも、そこで他の人を置いていくような真似はしないはずだ。
しかし、だとしたらどこへ行ったのだろうか。
「しばらく俺たちも必死になって探した。小路だけじゃなく、周辺の通路も探し、上の階層も改めて探した。しかしどこにも見当たらなかったんだ」
「現状で地上に上がっていない事を考えれば、彼女らはまだダンジョンにいる可能性が高いな」
「そうだ。俺たちもギリギリまでは探し続けたが、もう体力も限界に近い上に、魔法も使い切ってしまって、怪我を治す事もままならなくなってきた。全滅だけは避けなければならなかったから、俺は探索を打ち切って、全員でダンジョンを上がってきた」
時間や体力は有限で、一部を助けるために全部が犠牲になることは本末転倒だ。
彼の判断は正しいと思う。
僕がリーダーをやらされていたとしても、同じ判断をしたと思う。
頭ではそれは理解出来ている。
マウジを責めてはいけないし、ここにいる誰にも責任を負わせてはいけない。
だけど。
「なんで……リトさんなんだよ……」
「彼女らしいじゃない」
「すまない……」
「謝る必要はないわ、マウジさん。よくその状態から死者を出さずに帰還させられたと思うわ。さすがね」
「四階まで上がれれば、昇降機が使えるからな……」
それでも、八階から四階まで、これだけの人数をまとめて移動させるのは難しいだろう。モンスターの襲撃にもそなえなければならないし、怪我人も守らなければならない。
士気も最低、足並みを揃えるだけでも難しいであろう状態で、マウジのパーティがどれほど頑張ったのかは想像に難くない。
だからこそ、リトさんのパーティには、何か出来ることがあったのではないかと考えてしまう。
「とにかく、今日はゆっくり休みましょう。何らかの移動手段があったのなら、明日には上がってくるかもしれないわ」
「楽天的すぎるだろう、いくらなんでも」
「今は、それくらいにしておかないと、心も安まらないわ」
リトさんの救出に行こうと思っても、ここにいる探索者は動けない。どちらにせよ、彼らには休息が必要だ。特に、マウジには。
そろそろ宿に戻ろうと探索者達も立ち上がり始め、撤収する流れになってきている。
「ちょっと、いいか」
そのタイミングで声をかけてきたのは、マウジのパーティの盗賊だった。
「ヒントや気休めになるかわからないんだが、あそこで見つけた事があるから聞いて欲しい」
「何でも良い。少しでも手がかりがあれば」
「あのパーティが入っていった袋小路には、突き当たりの壁にプレートが貼ってあったんだ。そして、そこには文字が彫られていた。今回始めて気付いた事ではないんだが、関連するかもしれないから伝えておきたいんだ」
「何が彫ってあったんだ?」
「『覚悟のある者だけが、通る事を許される』と」
「覚悟……」
ダンジョンに潜っている段階で、探索者は誰もが覚悟を持って挑んでいる。
何を持って覚悟と称しているのかはわからないが、やはり何か特別な条件を要求しているのだろう。
その条件は、この情報だけではなんともわからないが。
「彼女らはそこでどこかに通れたのかもしれない」
「そこで無事にいるかもしれない?」
「そうだと思いたい」
「ありがとう。少し気が楽になった」
「俺たちにとっても命の恩人なんだ。助かって欲しいと思っている」
やがて、ダンジョン入口にいた探索者と、それを迎えに来ていた人達は少しずつ立ち去り始めた。一人、また一人と人数は減り続け、最後に残ったのは入口を監視する兵を除けば僕とメリトの二人だけになった。
「私達も帰りましょ。リトちゃんだって無事なら今は休んでいるはずよ。ね?」
やさしく袖を引っ張られるが、足がどうにも動かない。
ここに居た所で状況が好転しない事はわかっている。入口には常に兵が常駐して見張っているので、彼らに任せておけば出入りの確認は出来る。
しかしそれでも、足はむしろダンジョンの方へ向かおうとすらしていた。
「明日。何かしようというつもりなら休みなさい。万全の状態でなければ、成功する物も成功しないわ」
「……そうだな。すまない」
「明日、私もまたここに来るから。まずは、待ちましょう」
手を引かれるまま、僕らはダンジョンの入口を後にした。
ベッドに入ってから、夜が明けるまで、ずっと起きていたような気がするし、眠っていたような気もする。
いつの間にか夜が明けていたのですぐに家を出てダンジョンの入口に向かい、待った。
昼前にメリトがきて、ただ黙って待ち続けた。
二人で会話もなく、出入りする探索者を目で追いながら、待った。
結局、ダンジョン入口に街の影がかかっても、リトさんは戻って来なかった。
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