07 市場から図書館へ
ダルトの家にやってきた女性の名前は、アンナに決まった。
本当の名前を聞いてあげる事は出来なかったけれど、ダルトに付けられた名前を気に入ってくれたようで、ここに来てから初めて笑顔を見る事が出来たような気がする。ずっと辛そうな顔しか見ていなかったという所も大きいけれど。
メリトのかけた【快癒】の魔法の効果は大した物で、一度使っただけで今まで全く体調が悪化するような兆しも見えない。
願わくば、このまま笑顔が絶えないでいて欲しいものだけれど、おそらくそればかりは叶いそうもない。
しかしこれで、ようやく本題に入れるというものだ。
「さて……まずは指輪を見せて貰うことにしようか」
「最初に観てなかったか?」
「隅々まで視ておきたいからね。ダルトはアンナさんの手を繋いでおいてくれ」
「なんでだよ!」
意外とウブな反応をするダルトがちょっと面白い。弄りたくなる気持ちを抑えて話を進めていこうかなと思ったら。
「あら、いいの? アンナとカルが何の会話してるのか全然わかんなくても」
「そっか。アンナの声は触れた人にしかわからないんだ!」
女性陣二人が煽る。
そんな所に気を回したつもりはなくて、単に片手を繋いだままだとやりにくいだろうなあと思っただけなのだけれど。
面白いから流れに任せよう。
「そ、そうだな……しょうがないな。俺がアンナの返事を聞かせてやればいいんだな?」
「ああ、頼むよ。じゃあ、アンナさん。左手を見せてもらえますか?」
「ん……」
おずおずと左手を差し出してくれたアンナさん。指輪がよく見えるように何度か角度を変えてもらう。端から見ると指輪を自慢されてしげしげ眺めているおっさんだ。
しかしおかげで見られなかった角度から見る事が出来て、隠れてよく見えなかったルビーの数や位置なども確認する事が出来た。
改めて、意識を集中させて指輪を視る。今なら、寝ている時には視られなかった裏側も確認出来る。
相変わらずエーテルの輝きは彼女全体から発せられているけれど、指輪の部分はさらに強い光で覆われている。
「魔法の効果は高いけど、やっぱり解決したわけじゃないんだな」
「な、なにかあったのか?」
「エーテルの光、まだ彼女からも見える」
「あれでもダメなのか……」
体調が崩れていないだけでもかなりのものだろうけど、【快癒】は普通の怪我や病気であればほぼ完治させられるだけの効果を持つ魔法なので、僕らとしてもかなり予想外だ。
これからどのような変化が起こるのかちょっと予想がつかない。出来るだけ誰かがそばにいて看ている必要がありそうだ。
「指輪の方はどうなの?」
「魔法の指輪なのは間違いないですね」
「文字が読みやすいんだっけ」
「そうです。どうも内容だけみると呪いと区別が付きませんけどね」
「どんな事が込められてるんだ、カル?」
「えーっと、『成就』と、それから『変貌』、『吸収』かな。やはり指輪のせいで体調が崩れているのかもしれないなあ」
指輪を付けた相手の体力を奪い、痩せ衰えた姿にしてしまうとか、そういうような効果をもたらすのではないだろうか。
「吸収っていうのが、体力を奪わせてるの? 成就というのがよくわからないけど」
「成就という呪言は解釈の幅が広いです。付けた人の願望を叶えるという場合もあれば、作った人の願望をかなえさせるという事もあるので」
「今回は、後者って事か」
「付けた本人が望まない効果である事を考えると、おそらくは」
アンナさんは話を聞いていても、特に表情を変えることがなかった。無反応というか、話を理解していないような雰囲気がある。時折首を傾げたり、何か考えたりする素振りは見えるので、話そのものがわかっていないのか、身に覚えがないだけなのかがわかりにくい。
もう少し詳しく意思の疎通が出来れば話は早いのだけど、こればかりは仕方がない。
「ある程度は絞り込めたので、図書館に行ってきます」
「モーリスの所なら、わたしも行くわ」
「俺は、どうしようかな……」
「ダルトとメリトはここに居て欲しい。アンナさんが何かあった時に困る」
「それじゃ、何か食べるものを用意してくるわ。何かあったらすぐに誰かを呼んでね、ダルト」
「もうそんな時間か?」
「ここに来た時にはもう昼に近かったからね。特にアンナさんは何か口にした方がいいと思う」
「呪い屋さんと私は、図書館に行くついでに何か食べてくるわね」
「市場も近いし、そうしましょうか」
寺院から図書館まではそう遠くはない。市場を経由するには若干の遠回りが必要となるが、他に食事の摂れそうな場所もないので、このルートで移動することにした。
以前もリトさんに連れられていったサンプソンのパンを買う。最近ではタフトンの屋台の燻製肉や野菜などをパンに挟んだ物を売るようになっていて、いちいち周囲の屋台を回らなくても良くなったのがありたがい。
「これ、やっぱりうまいですね」
「でしょう? 屋台の人たちに声をかけて、最初から色々挟んでもらうようにしてもらったの! 結構人気あるのよ」
「歩きながらでも食べられるのは、かなり嬉しいですね」
「ダンジョンにも非常用として持って行けるから探索者にも人気よ」
パンに様々な他の食材が加わる事で一食分の満足感も得られる上に、片手ですぐに食べられるパンの手軽さが損なわれていないのは、僕らのような人間にも大変便利だ。普通の街なら品のない事だと毛嫌いされる所だろうが、迷宮街では幸いなことにあまりそういった事にうるさくないらしい。
このパンはかなり売れているそうで、サンプソンだけでなく食材を提供している他の屋台も随分儲かるようになったという話だ。
リトさんはやっぱり商売人の娘なんだなあ、と改めて思ったりした。
多分、言っても喜ばないだろうから黙ってるけれど。
***
市場を過ぎて、パンも食べ終わってしまった頃。
もう少しで図書館の建物が見えようかというタイミングで、リトさんが話しかけてきた。
「絞り込めたって言ってたけど、何か思い当たる節でもあるのかしら」
「確証はありませんが」
「最初からあまり迷っている感じはなかったから、知っていたのかなとは思っていたんだけどね」
「相変わらず勘の鋭いことで」
「知っているけれど、どこかひっかかっているような感じがあったのは、どこかにおかしいところがあったの?」
そこまで読み取れてしまうのか。
もう、リトさんにはあまり隠し事は出来なさそうだ。
「少し、気になる事があるんです」
「指輪の事?」
「例の女神の指輪である事は、おそらく間違いないと思うんです」
何故そう思うのかについてはちょっと黙っておく。勘の良い彼女に話すと、色んな事に気付いてしまいそうな気がする。
「そこに疑問がないとしたら、どこに?」
「強いて言えば、効果について、というべきでしょうか」
「確かに、あの女神の作る物としては、なんというか普通よね」
「そうなんです。何のひねりもなく、他者に害を及ぼすだけなんてものを作るものだろうかと」
「例えば、痩せる指輪とかそういう触れ込みのものだったら?」
「何かしらそういう要素があるんじゃないかと思います。副作用含めて資料に何か載っていればいいなと思っているんですが」
指輪の文様を見るに、僕が猫になってしまったあの指輪と同じようなタイプのものであろう事は予想が付いている。しかし僕の場合は彼女のように体調不良には見舞われていない。
その違いが、指輪の違いによるものなのか、装着時間や装着者の条件の違いなのかは、確認のしようがない。
「あとは、アンナさんはどうもダルトを知っていたっぽいのも少し気になるんです」
「彼に近づくメリットって何かあるの?」
「近衛騎士団長という立場の人間ですから、それは色々とあるかと思いますが」
「それについてはリスクが高すぎるから気にしなくても良いんじゃないかしら。そもそもダルトなんて奇跡の生還者にして近衛騎士団長よ。この街では有名人なんじゃないのかしら?」
「そうかもしれません」
話しているうちに図書館の建物が見えてきた。
門を抜ければ、相変わらず見事な花々が迎えてくれる。
「いつ見ても、素敵な中庭ね」
「一人で管理しているそうですから、大変だと思います」
「土いじりをしているモーリスというのも、なんだか想像付かないわね」
「いつ見ても司書のブースに座ってますからねえ。いつやってんでしょうか」
もしかしたら何らかの魔法で加工している可能性もあるけれど。
というか、同じ場所で季節ごとに、それも特に移行期間もなしにまったく違う花を咲かせている段階で通常の造成ではない。
それこそモーリスの言う「そうなって欲しいと思ったら、なった」というものかもしれない。
「魔法だとしても、モーリスがずっと庭を気にかけて、来てくれる人に少しでも楽しんでもらいたいと思ってくれている事は変わりないんじゃないかしら」
「なるほど。確かにそうですね」
意外と来客に対する細かな心遣いがあるのかもしれないな、と感心しながら正面玄関の大きな扉を開けて中に入った。
建物の中はあまり光が入らないために外よりも少し肌寒く感じる。
歩くのに支障がない程度の灯りが廊下を照らし、少し先にある司書のブースの中には、いつものように小さな少女が大きな椅子に座って本を読んでいる。
ちらりとこちらに視線を向けて、リトの姿を確認するとゆっくりと椅子から降りた。
「リト?」
カウンターから乗り出すようにこちらを見て、ちょこちょこと歩いて通路に姿を現した。僕一人で来た時だと視線を向けた後はまた普通に本を読み始めるので、えらい違いがある。
リトさんも足早に彼女の元へ駆け寄り、ぎゅっと包み込むように抱きしめた。
「久しぶりモーリス! 元気だった?」
「変化はない」
「そっかー! 最近忙しかったから全然来られなかったけど、また遊びに来るからね!」
「待ってる」
モーリスが相手だと、なぜかリトさんがやたら高揚する。デュマ相手の時の高揚とはまたちょっと違って、娘との久しぶりの再会のような雰囲気がある。
モーリスもカウンターから出て来て迎えてくれるので、抱きつかれたり頭を撫でられたりとされるがままだ。
もちろん年齢的にはモーリスの方が親なのだけど。親とかそういうレベルじゃないくらいの年の差があることは黙っておこう。
ひとしきりリトさんがモーリスを可愛がったのを見計らってから声をかけた。途中で声をかけようものならリトさんに何を言われるかわからない。
「モーリス、すまないが例の本を出してもらえるかな」
「わかった」
「あれ、地下にはいかないの?」
「最近使用頻度がやたら高いんで、司書室に確保しておいてもらってるんです。本当はダメなんですけど」
少しして、モーリスがカウンターの奥の部屋から一冊の本を持ってきてくれた。革張りの厚い本の表紙には、ここ最近ずっと縁のある、あの女神の名前が書かれていた。
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