09 赤いゼラニウム

 魔女というのは、謎の多い存在だ。

 長い時を生きるため、一カ所に定住することをしない。

 時には魔女である事を隠して暮らしている事もあるそうで、何も知らずに近所づきあいをしていたという人もいるようだ。

 僕自身、直接会ったこともないし、今まで何らかの形で関わった事もないので、どういう存在なのかが全く分かっていない。


「魔女の事? 別に詳しくはないぜ」

「覚えている範囲で構いません」

「そうはいっても、俺も一度話をしただけで……」

「どういうきっかけで話をしたんですか?」

「……なんなんだアンタ」


 少し躍起になりすぎたのか、すっかり怪しまれてしまった。質問の内容が既に怪しまれても仕方がないと思ってはいたけれど。


「ちょっと、最初からそれじゃやばいんじゃないの……」

「……仕方がないですね」


 リトさんにまで心配されてしまっては立つ瀬がない。あまり使いたくはなかったけれど、彼に信用して貰うために、懐からあるものを取り出して彼に見せることにした。


「……これをご存知ですか?」

「……なんなんだアンタ!」

「ただの鑑定屋ですよ」


 こっそり出したペンダントを見た途端ロックさんの表情が青ざめ、態度が急変した。

 さっきまでの訝しげな表情は吹き飛び、一転して若干こわばったものになっている。


「ちょっと、何見せたのよ……」

「デュマのお友達ですよっていう印です」


 ロックさんに見て貰ったのは、デュマのお墨付きという奴だ。

 盗賊ギルドのマスターや幹部から認められている人には、それぞれの人物を示すマークの入ったペンダントが与えられる。彼女のマークは赤い花だ。たしか、ゼラニウムという花だったと記憶している。

 ギルドの力が及ぶ場面であれば、これを見せれば信用度は格段に上がる。一般の構成員であるロックさんからしてみれば、僕の方が立場が上という事になってしまう。

 場合によっては効果が出すぎる事もあるのであまり使いたくはないのだけど、今回は時間もないので仕方がないだろう。


「呪い屋さんって、コネだけはもの凄いわよね」

「ようやく僕の凄さがわかってきましたね、リトさん」


 こういう仕事には、ある意味では最も大事な力とも言えるのだ。過去の栄光にすがるという訳ではなりけれど、今まで培ってきた成果でもあり、力の一端とも言えるので、必要な時には活用させて頂いている。


「目的はなんなんだよ。指輪が欲しいわけじゃないんだろう?」

「僕たちは、あなたが忘れてしまった事を思い出して欲しいのです」

「忘れた事……?」

「忘れた事すら、忘れてしまう前に」


 ロックさんが何か思い当たることでもあるのか、フォークを置いて、しばらく黙った。

 次の言葉を待って僕らも声を発せずにいたために、僕らの一角だけがちょっと異様な静寂の間となってしまったが、それが破られるまではそう時間はかからなかった。


「やっぱり俺は、何か忘れてるのか?」

「残念ながら」

「どことなく、引っかかりは感じていたんだ。記憶の中に、突然切れ目が入ったような、串焼きの真ん中の肉だけ抜かれてるような、そんな違和感を」

「今なら、取り戻せます」


 彼の目を見ると、先ほどまでの猜疑心に満ちた視線は消え失せて、迷いのない強い光を感じた。そのまま黙って頷き、テーブルに銀貨を数枚置いて立ち上がった。


「付いてきてくれ。歩きながら話そう」


 宿屋を出て、外周に向かって街を歩く。

 魔女は西の外れに部屋を借りて住んでいたというので、おそらくはそこに向かっているのだと思うのだが、歩き出してしばらくは黙ったままだったため、目的はわかっていない。

 そろそろ目的地を聞こうと思った所でロックさんの方から口を開いてくれた。


「魔女に会ったのはそんなに前じゃない。指輪を手に入れる一週間くらい前だったと思う。何か大事な決心をした時に、あの宿屋で出会ったんだ」

「その決意の内容が……」

「ああ、完全に抜け落ちてる。あんたらに会うまではその辺の下りすら忘れていた」


 一人の人間のことを忘れるというのは、出会うに至る経緯だけでなく、その人に関連した全ての事象を忘れてしまうという事なのか。少しでも関連した事があれば、その部分ごと強引に欠落させられてしまっている。

 ただ、他の記憶への改竄がされずに抜け落ちているだけなので、場合によってはそこに違和感を覚え、思い出すきっかけになり得る。


 彼の、ロールさんへの記憶は消されたというよりは、何か蓋をされてしまったような、そんな印象がある。湧き出る湯気を止められない鍋の蓋のような、そんな不安定な、だけど誰にも触れない蓋。

 噴き出す蒸気を閉じ込める事をしていないのは、仕事が杜撰なのか、それともわざとなのか。

 それこそ女神の考えなんてものは、理解しようとするだけ無駄なのかもしれない。


「もう細かくは覚えてないんだが、とにかく西の魔女にこの指輪を探してみろって言われたんだ」


 指輪は彼の左手にはめられたままだ。

 彼にとって、それがどういう指輪なのかはいまいち理解していないはずなのに、時折それを見つめたり、愛おしそうに弄ったりしている。

 知っている側からすれば、それがなんとも物悲しく見えてしまう。

 リトさんも、その視線や表情から、同じような感想を持っているように思う。


「指輪はダンジョンにあったんですよね」

「魔女に言われるままに、四階の北西の隅にあった。何もない通路の途中で、壁の石を外すと奥に小さな箱が隠されていた」

「言われなければまず見つけられないような隠され方ですね……」

「それって、魔女がわざわざ隠したんじゃないの?」

「その可能性も、ちょっとありますね。なんでそんな手間のかかることをしたのかはわかりませんけど」

「そうか……魔女の持ち物ならその場で渡せばいいんだよね」

「魔女の考える事なんて、僕らには計り知れないものがあるんでしょうけど」


 話している内に、建物の前にたどり着いた。

 三階建てのアパートメントが密集している地域の、その一棟だ。

 普通に探索者や鍛冶屋などが暮らしている、ごく一般的な賃貸住宅。必要以上に荒れたり空き部屋だらけだったりもしておらず、カーテンなどの状況を見るに殆どの部屋が埋まっている。


「二階の、真ん中。あそこに、前は住んでいたんだ」


 ロックさんの言う通り、今はその部屋には誰もいないらしく、他の部屋と違ってカーテンもなく、そこからのぞき見える範囲には天井以外何も見当たらない。


「では、もう街には……?」

「街を出たかどうかは聞いていない。まだしばらくいるとは言っていたが、もう姿を変えているかもしれない」

「なんで姿を変える必要があるの?」

「魔女は見た目が変わりませんからね。あまりに長く居ると周囲の住人から怪しまれたりするんですよ」

「近所のおばあちゃんは、わたしが小さい頃からおばあちゃんだけど」

「大抵の魔女は若い姿を維持しますからね」


 うっかり吹きだしてしまい、リトさんから軽く睨まれた。

 言われてみれば、人間は老いた姿で生きる時間の方が長いような気がする。人間の本来の姿はあの辺の姿なのだろうか。


「すまないな、大した役には立っていない」

「いえ、僕も会えるとは思っていませんでしたので」


 それほど期待はしていなかったけれど、やはり魔女に会うことは叶わなかった。

 しかし、彼との会話の中でほんの少しの糸口は掴めたような気がする。彼の記憶は完全に消去されたり別なものに上書きされてはいなさそうで、そこに付け入る隙があるはずだ。

 見せた奥の手のおかげでロックさんが途中で逃げ出したりはしないだろうから、このまま話を続けさせて頂こう。


「すみませんが、図書館に着いてきて頂けますか」

「えー」

「なんでリトさんが嫌がるんですか」

「図書館遠いじゃない。おなか空いたわ」


 西の外れまで来てしまったので、ここから中央部にある図書館までは確かにちょっと遠い。

 気がついたら昼をとうに過ぎてしまっていたが、これまで口にしたのはギルドでのお茶くらいだった。

 ここから図書館までの最短ルートには宿屋はない。少し遠回りして市場によれば、まだ屋台が残っているかもしれない。


「南側の市場でいいですか」

「そうね、あそこの燻製肉頂こうかしら」

「意外と肉食系だな、この姉ちゃん」

「奥のタフトンさんの所は格別に美味しいのよ! 隣のサンプソンさんの屋台のパンに挟むの! 食べたことある?」

「そいつはうまそうだ。遠回りする価値はありそうだな」


 全く意図しない所でリトさんとロックさんが意気投合し始め、いつの間にか二人が仲良く話しながら先行して歩く隊列に変わってしまっていた。

 屋台に着いてからも二人で楽しそうに話しながら色々回っていたおかげで、腹が満たされて図書館に着く頃には、もう太陽が傾き始めてしまっていた。


 少しだけ苛ついているのは、時間がないところで無駄な時間を取られてしまったからだろうか。

 そういう事にしておこう。

 そんなどうでもいい苛つきも、図書館に入った途端に全て消え失せてしまった。


「ただいまー。あれ、ロールちゃんは?」

「?」

「ねえモーリス、ロールちゃん、どこかに行ったの?」

「ここ」

 聞かれて不思議そうな顔をしているのはむしろモーリスの方で、

「……いるのね? 呪い屋さん、見える?」


 周囲を見渡しても、いるのは入ってきた僕たち三人と、モーリスだけだ。

 当然、ロックさんに至っては話題に上がっている人物に覚えがないので何を話しているのか全く見当も付いていない。


 やはり、もう時間が残されていないのかもしれない。

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