08 西の魔女


 赤竜亭という宿屋が、かつて迷宮街には存在した。

 軒先に、銅製の竜をかたどった看板があった事からその名がついたと言われているが、いつの間にか看板が真っ青になってしまい、店の名前もそれにあわせて青龍亭と呼ばれるようになったという。

 本当の話かどうかはわからないが、迷宮街で最も古い宿屋として知られるこの店らしい逸話ではある。


 本来は休憩時間である昼に、修行中の若手に料理を担当させて昼食を提供するという仕組みを作ったのは、この店の何代か前の主人だという。

 修行中の若手が少人数で回せるように、メニューは一品か二品に限定し、その分安くて早く食べられるように工夫しており、今まで市場の屋台などで昼食を取っていた鍛冶職人や探索者たちが宿屋で昼食をとるという習慣に変わっていった。


 今ではどこの宿屋でもこの仕組みで昼食を採る事が出来、若手らしい独創的な料理が楽しめるようになっていった。店によっては夜より旨いと評判になっている所もあるくらいだ。


 今日の青龍亭のメニューはカサゴやカニを大鍋で煮たスープのようだ。スープ皿にはスープの汁と煮込んだ野菜を出して、魚は別に盛りつけられている。ここの跡取り息子が開発した名物料理だ。香味野菜やハーブなどで香りが付けられていて、魚の見た目の割にはとても香りが良く、食欲をそそられる。仕事でなければ食べていきたい所だが、リトさんがあっさりロックさんの所に向かってしまったため、今日の所は諦める事にしよう。


「誰だよ、あんたら」

 いきなりリトさんが話しかけてしまったせいで、どうやって図書館に連れて行こうかという算段が全く出来ない状態で話が始まってしまった。

 そんなに人と話すのが得意な方ではないので、無計画な状態で話さなければならないのは正直辛い。店にやってくる、最初から僕に用がある人と話すのとは訳が違うのだ。


「初めまして。町外れで鑑定屋をやっているカルフォといいます。ロックさんがとても珍しい指輪をダンジョンで発見したという話を聞きまして」

「カル……。ああ、あんたか、呪い屋ってのは」

「いや鑑定屋です」

「呪いのアイテムを専門に扱ってるんだろう? 誰かに聞いたことがある。……誰からだったかな」


 毎回思うのだが、店の説明をさせるとそれほど間違っている訳ではないのに呼び方だけは大半が呪いのお店的な呼び方をするのは何故なんだ。

 最近は特に呪い屋という呼び名で定着しつつある。


 ……その呼び方をかたくなに守り続けている人を一人知っているのだけど、その人が拡散させてしまっているんじゃないだろうか。

 その当人の顔を見てみるが、特に何も思う所はないらしく、平然とした顔をしていた。


「その指輪は、ダンジョンで手に入れたんですよね」

「ああ、西の町外れにいた魔女に言われたんだよ。これがあれば……なんだっけな。とにかく、見つけてこいって言われたんだよ」


「迷宮街にも魔女が来ていたんですか」

「ああ、噂以上の美人だったなあ。物凄く背が高くて、スラッとしてて。服の裾から覗いた脚がまあ綺麗でな」

「おお、西の魔女の話かい! ありゃあいい女だぜ!」

「一度でいいからお相手してもらいてえもんだなあ……」

「生きたまま肝を抜かれるとか鍋にぶちこまれるとかって噂だぜ」

「お、オレ……それでもいいかも……!」


 魔女の話題になったら突然周囲の探索者が我も我もと話に乗って来た。そんなに美しいのだろうか。若干興奮しすぎの男もいるようだが、とにかく全員が絶賛するというのは余程の美人なのだろう。


「そこの嬢ちゃんも綺麗だけどよ、あれはちょっと違うんだよ」

「そうなんだよなー……! なんて言うんだろうなあ、いつ殺されるかわかんねえ魅力っつうかさ……」

「あの女なら溺れて死んでも後悔しねえなっていう、あの体つきがよ、なあ、わかるかなー!」


 尻や胸の辺りに手で露骨な仕草をして大きさを表現したり、下卑た笑いが増えていったりする状況は、ちょっとリトさんには見せるべきではなかったかもしれないと、少し後悔した。

 当人は意味がわかっているのかいないのか、あまり表情に変化はなかったが、少しだけ下を向いて、自分の身体を顧みるそぶりを見せた。その一瞬だけは、表情が曇ったような気がする。


「どんな男でも、あの色香には太刀打ちできねえって。気がついたらフラフラーッて近寄ってるんじゃねえかな」

「まあ会ってみりゃわかんべ」

 絶賛にも程がある。


 探索者は女性とはあまり縁がない人が多いので、どんな女性でもそのグループやパーティに入ればちやほやされるとは聞くが、店にいるあらゆる年代のあらゆる趣味の人間全てが絶賛しているというのは、もう想像もつかない魅力を湛えているのだろう。


「私、一応褒められてる? 貶されてる?」

「相手が悪過ぎるってだけでしょうね」


 リトさんも、素顔を晒して以後は探索者の中では噂でもちきりになる程の美人であり、ここの客もそれは十分に認めている。

 そうはいってもまだまだ十代の無垢な少女であり、恐らくは人の何倍も生きているであろう魔女の魅力とはまた別なものという事だろう。話題に乗って来ている男は二十も後半か、三十を超えているかといった年代が多そうなのも魔女側有利の原因かもしれない。


「呪い屋さんも、その、……おっきい方がいいの?」

「何がですか?」

「何って、その……」

 左手を首から胸元にかけてさすっているのは、それを察しろという合図だろうか。


 実に返答に困る。

 どう答えても良い結果にならない気がする。

 どういう回答にするべきか考えあぐねていると、リトさんの方から話題を打ち切ってきた。

「やっぱりいいわ。聞いてもどうにもならないし!」

 リトさんらしい、前向きな考え、なのかもしれない。


「ねえ、魔女って、魔法使いじゃないの?」

 魔法使いと魔女は根本的に違う存在だ。

 冒険者や探索者が使う魔法は、呪文によってエーテルを制御する「技術」であり、その技術を持った人間の事を魔法使いと呼ぶ。


 対して、魔女と呼ばれる存在が使う魔法は、呪文という中間言語を使用しない。エルフや神々と同じように、本人が願うだけで魔法が使える。能力が根本的に違う所と、それが全て女性である事から、区別するために魔女という呼び方がされている。


 魔女になる経緯は様々だが、そうなった段階で、人とは違う時間軸で生活をしていく事になるという。

 年を取らないとか、若返りの術を知っているとか色々言われているが、一カ所に定住しない魔女が大半なので、詳しく知っている人は少ない。


「指輪、見せて頂いてもよろしいですか」

「ああ、見るだけだぜ」

「プロに対して下手な事はしませんよ」


 ロックさんは左手の薬指にしていた指輪をするりと外して僕の掌の上に乗せてくれた。

 まさか外せるとは思っていなかったので少し驚いたが、特に外した事による変化もないので、呪いによる強制力は特にないということだろうか。

 それともすでに役目を果たしてしまったという事だろうか。


「随分真剣に見るんだな」

「仕事ですからね」


 手早く済ませるためにも、意識を集中させて、指輪のエーテルを視る。

 指輪にはまだエーテルの力が残っている。

 光の帯は複雑に絡み合い、そこに書かれている文字がいくつか浮かび上がってきた。「永遠」「忘却」「消失」などか。小さい上にかなり言葉が多いので、短時間ではそれくらいしか読み取れなかった。あまり長く持ち続けていると怪しまれるので、これくらいにしておこう。


「どうだった?」

「まだ、力は残ってますね」

 小声で調査結果を聞いてきたリトさんにも簡潔に伝えておいた。


「ありがとうございました。ずっと身につけてらっしゃるんですね」

「ああ、何でか知らないけど外す気になれなくてさ、何か、大事な約束をしていた気がするんだよ。ちっとも思い出せないんだけど」

 まだ、完全に忘れてしまった訳では無さそうだ。

 これなら間に合うかもしれない。


「魔女にはなんと言われて探しに行ったんですか?」

「それが思い出せないんだよな。とにかく、俺に必要なものだって言われた気がするんだけど、付けてても何も変化はないし。価値があるのかもわからないんだけどさ」

「ええ、とても良いものですよ。大事にしてください」


 出来ればすぐにでも図書館に連れて行きたいが、その魔女の事も気になる。

 何故永遠の指輪がダンジョンにある事を知っていたのか、何を目的にこの二人に仕向けたのか。

 少し予定を変更して、魔女について話を聞く事にした。

「魔女について、少しお聞きしたいんですが、よろしいですか?」


 魔女の色香に惑わされてみたいとか、そういう欲求があったわけではない。

 若干強い視線でこちらを見てくるリトさんの事は気にしない事にして、話を進めていこう。

 何らかのヒントが得られる事を願って。

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