09 異類婚姻譚

「異類婚姻譚、というのをご存知ですか。吟遊詩人が使う用語ですが」

「騎士と精霊が恋に落ちたりする奴ね」

「そうです。人に化けたり動物に化けたりする事で成就する話もありますが」

「嵐の神がよく動物の姿で人間の女性の元へ行って浮気していたらしいけれど、それがどうかしたの?」


 図書館から寺院へ戻る道すがら、これまでの経緯から想像する事をリトさんと話していた。


「変化の指輪は、この異類婚姻譚の元になったアイテムなのではないか、と本にも書いてあったんです。何しろ女神の作ったアイテムですから、それはもう昔から存在するわけで」

「騎士道物語だと、騎士と精霊ってパターンが多いわね。大半が破局しちゃうけど」

「異界のものとの恋は、その価値観の相違から破局を迎える事が多いですね。神様は成就するというか子供が生まれる確率やたら高いですが」

「変身譚ってのとはまた違うのかしら。変身物語って話があったわよね」

「そちらもご存知でしたか。そこから話を進めた方が早かったのか。さすがですね」

「褒めても何も出ないわよ」


 子供の頃から沢山の話や本に接する機会があったというのが、彼女の家柄の良さを物語っている。僕は農村の出なので、この街に出てきてから学んだ事の方がよほど多い。


「もちろん、変身譚の元という説もあるわけです、この指輪」

「変身するに当たって、アンナがそうしなければならない理由として一番妥当な線を考えると異類婚姻譚の線で考えた方が早そうって事よね」

「ダルトも言ってましたが、復讐というのはちょっと考えづらいですし、不利益を与えない方向で考えればそっちかな、と」


 リトさんが一瞬歩みを止めた。何か思う所があったのか、振り向いた時には少し視線がずれていたけれど、すぐに戻ってまた歩き出した。


「でも、ダルトが騎士道物語みたいに妖精や精霊と恋に落ちたというのは、なんだか想像が付かないんだけど……」

「動物である可能性もありますね。指輪を付けられるものに限られるでしょうけれど」

「そんな動物いる?」

「……鹿の角にひっかけるとか」

「それが有りなら割と対象広がるわね」


 クスリとリトさんが笑う。

 鹿の角レベルの無理矢理指輪を付けられそうな動物を話し合いながら、寺院にたどり着いた。真っ直ぐアンナさんの部屋へ向かうと、三人が迎えてくれた。見る限り、彼女の容態は悪化していないようだ。


「アンナの様子はどう?」

「特に何も変わってないぞ。飯もちゃんと食えたし」

「食べさせてあげたりしたの?」

「普通に一人で食えてたよ」

「そっかあ」


 何を期待したのか、リトさんはダルトの普通の返答に若干不満気だった。

 いない間に何か進展はあったのかと思ったが、特に何もなかったらしい。ダルトとメリトが二人になった時に何を話しているのか全然想像が付かないので、ちょっと興味があったのだけど「大した事は話していない」と二人とも口を揃えて答えるので全くわからなかった。


「それより、そっちは何かわかったのか?」

「その前に、最近、動物と何か関わるような事はなかったか?」

「はあ?」

「もしくは精霊の類いと出会ったとかでもいい」

「それはなんだ、討伐対象としての話か?」


 リトさんと二人で目を合わせて苦笑した。やはりこの男に騎士道物語とか異類婚姻譚とか、そんな話に縁があるとはとても思えない。

 思えないとは言ってもアンナさんの存在は事実なので、諦めずに聞いていくしかないのだけど。


「そういえば、狩りに行ったんじゃなかったっけ。その時に、動物を助けたりとか……」

「その真逆の事をしてた訳だが……、そういえば何かあったな」


 全員の視線がダルトに集まる。

 そんなに反応されると思っていなかったのか、ダルトが一瞬おののく。


「鹿狩りだったんだけど、誰かの矢が変な方向に飛んだ時に、木に止まっていた鳥を落としちまったんだよ」

「そいつは一から訓練やり直させた方がいいね」

「方向違いすぎでしょ」

「味方を誤射する前に対処した方がいいわね」


 射手が誰だか知らないが散々な言われようである。


「万が一、隣国の誰かの飼っている鳥なんて可能性もあったから、すぐに拾い上げたんだ」

「可能性なんてあるの?」

「籠から逃げてたまたまそこにいたとか、何らかの方法で放していたとか、ろくでもない偶然っていうのは考えも付かない方向からやってくるもんだからさ」

「ダルトは無駄に用心深いもんね」

「無駄っていうなよ。ダンジョンじゃそれで助かったこともあったじゃねえか」

「たまにデュマより先に罠に気付いたりしたもんね」


 ダンジョンに潜りはじめの頃は、まだデュマも経験が浅く、失敗も多かった。ダルトはずっと勘を頼りに罠を見つけたりしていたので、成功率が拮抗していた頃があった。ごくわずかな期間ではあったものの、デュマとしてはあまり良い思い出ではないだろう。

 デュマはその辺の経緯のせいか、未だにダルトに対してやたら警戒している節がある。近衛騎士と盗賊ギルド幹部では立場上そうなるのも仕方がない所はあるだろうけれど。


「とにかく綺麗な鳥だったからな。体は緑の羽毛なんだけど、頭やくちばしが綺麗な黄色で、目は鮮やかな橙。この街では見たこともないやつだった」

「死んでなかったの?」

「かすめただけだったみたいだな。風切羽の損傷もなかったから、部下に頼んで魔法かけてもらった。しばらくして飛べるようになったから、あとはよくわからん」

「隣国にいる鮮やかな色彩の鳥というと、インコか何かかな。大きさはどれくらいだった?」

「これっくらいかな」


 ダルトは力こぶをだすように右手を出して、その肘から握りこぶしまでを指で示した。おおよそ三十センチから三十五センチといった所か。


「多分インコだろうね。隣国でも割と珍しい鳥だよ」

「それくらいの大きさの鳥なら……!」

「足とか、何とか行けますね!」


 僕と二人だけが納得して頷き合うと、メリトが口を挟んできた。何の説明もなしに勝手に頷き合っていれば気にもなるか。


「カル、それが一体なんだっていうの?」

「アンナの付けている指輪の名前は、変化の指輪っていうんだよ。姿を変える事で願いを叶えるっていう魔法の指輪なんだ」

「え、じゃあこいつが鳥だってのか? わはは冗談も大概にしとけよ! なあ!」


 笑いながらアンナの手を取って話しかけたダルトの顔が、みるみる変貌していった。

 笑顔から一転して目を見開いてだらしなく口を開き、しばらく間抜けな表情のまま固まってしまった。


「マジか?」

「ソウ……」

「あれ、今の声だれ?」


 聞き覚えのない声が聞こえた。

 僕だけではなく、その場に居た全員がその声を聞いていた。

 可愛らしい女の子の声で、若干イントネーションの不自然な喋り方。


「ワタシ」

「喋れたのかよ、お前」

「オボ、エタ」


 一音ごとに確認しながらゆっくりとアンナが喋っている。

 話す毎に、伝わっているのかどうかダルトの目をじっと見ているのが微笑ましい。


「覚えたってお前、今までずっと喋れなかっただろ」

「……」


 アンナが困った顔をして、俯いてしまった。別に隠していたわけではないと思うのだけど。別にダルトも責めているつもりはないだろうが、驚きが強くて語気が強くなってしまっている。


「あのね、あんたの家で言葉なんか覚えられるわけないじゃない」

「なんでだよ」

「だって何も話さなかったんでしょう? 赤ちゃんだって親の会話を聞いて言葉を覚えるっていうわよ。誰も話さない場所で言葉なんか覚えられないわよ」

「そういや会話しなかったって言ってたな」


 アンナがメリトの言葉に強く頷いていた。そもそも学習能力が抜群に高くなっているのだろう。数々の変身譚、異種婚姻譚において人に化けたものと会話で困ったなんてエピソードは聞いたことがない。「人に変化する」というのが、人並みの生活が出来るまでになる所までを含むのなら、随分高度な魔法が込められているものだ。


「いや、だって必要なかったからよ……。料理とかもすぐ覚えてたし」

「そういう事じゃないのよ。何でも良いから話しかけてあげれば、もっと早く対処出来たかもしれなかったのに!」

「何話せばいいんだよ!」

「何でも良いわよ。天気の話でも、料理の話でも。目に付いたものを何でも話せば。この子を褒めてあげるとか」

「難しいな……」


 女性陣二人のため息が重なる。


「ダメ……ダルト、ワルイ、ナイ」

「いいのよアンナ、不満は早めに口にしておいた方が長続きするものよ」

「何のアドバイスしてんだよ」

「何って、これからの生活の」

「いやいや、これからって何だって話だよ」

「指輪の正体もわかったみたいだし、カルが解呪してあげられればまた元の生活に戻れるじゃない。今のうちにしっかりと話し合っておかないとね」


 元の生活。

 解呪する事で戻るのはどこまで戻ってしまうのかは、まだわからない。

 うっかり表情を曇らせてしまったらしく、アンナさんが僕やリトさんの顔を不安そうに眺めていた。

 どこまで話すべきだろうか。

 時間はあまりない。

 【快癒】の効果もどれくらい続くのかわからない。


「説明してあげないと、手遅れになるかもしれないわよ」

「そうなんですけど、あんなに楽しそうな雰囲気では、なかなか」

「アンナは、ずっと苦しんでいるわ。よく見て」


 言われてみれば、彼女の顔色は決して良くはなっていない。

 楽しそうな表情も、どこか陰りを感じる。

 違和感があまりなかったのは、メリトも同じような表情だったからだ。彼女も状況に気付いている。せめて今この場は楽しい雰囲気にしようとしてくれていた。

 僕らが戻ってきた時に言っていた「大した事を話していない」というのは、きっと、本当にそういう事なのだろうと思う。


 気付けば、部屋の誰もが笑っていない。

 表情だけを笑顔の状態で固定して、何となく気付いているこの先のことから目を背けている。知らない人が見れば、明るい会話で楽しいひとときのようにしか見えないが、心の底から楽しいと思っている人は、多分一人もいない。

 表情だけでなく、そのまま時間も固定出来れば楽になれるのだろうが、そんな奇跡は起こらないし、手をこまねいていればやってくる結末は変わらない。

 

「話します。変えなければならないですね」

「お願い」


 空虚で楽しい会話の流れを断ち切って、面白くもない話を横殴りにぶつけることにした。

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