10 王子様のキス
「このままだと、いずれアンナさんは命を落とすだろう」
意を決して僕がそう皆に伝えると、それまで楽しそうにしていた空気は一変した。
誰も口を開かなくなり、誰と目を合わすこともなくなった。
表面上は楽しそうな雰囲気を繕ってくれていた事はわかっているが、それでも何もしなければ事態は悪化の一途をたどるだけだ。
そこまで含めて、二人にはわかってもらえると思ってはいる。
「で?」
「でって何だよ」
最初にその沈黙をやぶったのは、ダルトだった。
「どうしたら、このままではなくなるんだ? あるんだろ?」
その不敵な笑いが、空元気によるものなのか、本気なのかはわからないけれど、僕のことをそういう風に思っているのだという事は、まあ今更言うまでもなかったか。
「ダルト、どういう?」
「お前もわかれよ。こいつが何の策もないままで、現状をただなぞるような嫌味を口にする奴だと思うか?」
「それは、思わないけど」
「要するに、そういう事だ。何でも言ってくれよ。何でもするぜ」
「まあ、とりあえずアンナさんに最後の確認をしてから。確証が持てれば、後はダルトの判断に任せる」
話す人たちのことを交互に眺めながら、戸惑った表情のアンナさんに声をかける。
「アンナさん、指輪を手に入れた経緯を、改めて教えてもらえますか」
「ダルトに、助けてもらっタ。ずっと、見てタ」
「狩りの時の話ね?」
「ソウ」
そこから、アンナさんはたどたどしいながらも、ゆっくりと思い出しながら話してくれた。
元々インコは十羽以上で群れを作って暮らす習性があり、何らかの理由でその群れからはぐれたアンナさんはその群れを探して森に来ていたのだそうだ。そこで矢を受け、傷付いたところにダルトに助けられたという。
ダルトに助けられた時の手の温もりが忘れられず、それからずっと追っていたのだという。
「それは、さすがに気付かなかったな」
「鳥に尾行されるなんて経験は普通はないわよね」
しばらく追っていたが、狩りが終わったのであろうダルトが森から姿を消してしまい、見失って途方に暮れていたところで魔女に声をかけられたという。
インコのアンナさんと意思を通わせ、ダルトに礼をしたいと願っていた彼女の意思を汲んで、足に冷たい環を付けられたのだそうだ。その冷たい環というのが、変化の指輪なのだと思われる。インコなら、足に丁度良く収まりそうだ。
「やっぱり西の魔女か!」
「魔女って動物とも話出来るんだな」
「彼女が特別なのかもしれないけどね。少なくとも僕が出会った中でそんな特技を持ってた人は知らないな」
「というか、魔女って暇なの? 森で何してたの?」
「それは魔女に聞いて下さい」
見事に人の姿になったアンナさんと魔女はこの街まで来て、そしてダルトと再会出来たということだった。移動の方法であるとか、人の姿になるまでの描写であるとか、細かい所まではさすがに説明は出来なかったものの、指輪が変化の指輪である事や、彼女の正体などは確定する事が出来たので十分だろう。
「変化の指輪は、装着者の願いを叶えるために、姿を変えるという効果を持つアイテムです」
「まあ、今見ている状況から、そりゃあ間違いないわな」
「アンナさんがダルトに恩を返したいという、その願いを指輪が人に変えてくれたわけです」
「そのままだと死ぬっていうのは?」
「メリトが、穴の開いた桶に水を入れているようだと言っただろう」
「回復の魔法を何度もかけていたときね。【快癒】の効果はまだ持っているみたいだけど」
最初の頃のように明確に苦痛の表情を見る事はなくなったけれど、それでもアンナさんの顔色は相変わらず悪いし、良くなる兆候も見えない。単にまだ我慢出来るレベルだというだけなのだろう。
そう考えると、意識を失うほどの苦痛というのがどれほどのものだったのか、想像するに余りある。
どれほど前から苦痛を感じていたのか、それすらも今となってはわからないが、言葉にも出来ない以上、ずっと黙って耐えていたのだろう。
「この指輪は、装着者が姿を変えている間はずっと、その人の生命を吸い上げ続ける。それを魔力に変換して、姿を維持させている」
「じゃあ、やっぱり【快癒】でも、いずれはまた……」
「人間の大人が装着していたとしても、一ヶ月もすれば吸い尽くしてしまうらしい」
「アンナは元がインコなんだから、それじゃあそんなに持つはずがないわ」
全員がアンナに視線を向ける。
急に視線が集まったことに戸惑うものの、それでも、何事もなかったかのように明るく振る舞う姿が健気だが、今はそれがむしろ物悲しい。
「ダルトの家に来たのがいつだって言ってたっけ」
「大体十日くらい前じゃないか」
「狩りが行われたのは?」
「家に帰る三日か四日前」
「もう、あまり時間はないでしょうね」
魔法によってその期限が実質リセットされたとしても、それでも命が削られ続ける事には変わりがない。【快癒】が本当にリセットしてくれているのかも、今の所は確証があるわけではない。
「魔法なら、わたしが毎日かけてあげてもいいから!」
「それでも、それほど長くは保たないと思う」
「二回でも、三回でも……」
「俺はさ」
メリトの懇願にも近い言葉を遮るように、ダルトが声を上げた。
誰に顔を向けているでもなく。
普段の会話よりも少しだけ大きな声で、みんなに言い聞かせるような、はっきりとした口調で。
「俺はさ、この街にきたのって嬢ちゃんくらいの年なんだよ」
「え、私?」
ふいに話題に出されて驚くリトさん。
僕も大体同じ位の時期に村を離れてこの街に来た。現役時代のパーティの中では、お互いに一番長い付き合いになる相手だ。
「最初の頃は何もかも自由に出来るから楽しかったよ。朝方まで酒飲んで騒いだりとか、くだらない話を夜更けまで続けたりとか。いや、真面目な話もしてたけどな」
「随分昔の話だな」
「仲間と好きなだけいられるのと同時に、いくらでも一人でいられるっていうのも楽しかった。兄弟が多かったから、とにかくどんな時でも傍らに家族がいるんだよな。起きてても、寝てても。それをおかしいとは思わなかったけど、一人になりたいと思う事だって、そりゃああった」
ダルトの大きくよく通る声は、演説や号令などではとても効果的だと思っていたけれど、こういう時にも聞く人を魅了するだけの力があるらしい。
情感を込めた語り方はとても心地よく耳に届き、部屋に居る全員が彼の言葉を黙って聞いていた。
「まあ、そういう楽しさも、結局ちょっとした娯楽の一つだったもんだから、そのうち飽きてしまうんだけどな」
「食事とかダンジョンとか、なんだかんだ言っても人と一緒に居る時間って、案外長いものだからね」
「すげえ楽しい気分で帰っても、暗い部屋に一人で帰ると途端に素に戻ったりね」
「しばらくダンジョンに行かない日があったりすると、別に約束がないのに誰か来ないかとか考えてみたりな」
「そういうものなのかしら」
「リトさんは、まだそこまでは感じませんか」
ダルトの話にあまり共感出来なかったらしいリトさんに声をかけてみた。探索者になってから一人暮らしを始めたので、そういうものかもしれない。
リトさんは、首を傾げて少し考えてから予想とは違った答えが返ってきた。
「暇になったら呪い屋さんの店にいくから……」
「そりゃあ寂しくはならんな、確かに」
ダルトの大きな笑い声が響く。
呼応して笑っているのはメリトだけだ。
というか二人とも笑いすぎだ。
「……一人で暮らしてるのが長すぎてすっかり忘れてたけどよ、帰ったときに誰かが迎えてくれるってのは、やっぱり、悪くねえな」
「なら、なおさらわたしが魔法を」
「昼間はずっと家を空けてるし、帰れない時もある。俺が見てない所で、こいつがずっと苦しんでいるかもしれないって考えたら、そっちの方がぞっとしねえ」
「ワタシ……平気。恩返し、まダ」
アンナの頭に手を置いて、わしわしと頭を揺らす。収穫前の麦畑のように、彼女の髪がゆっくりと揺れる。
「家に居てくれるだけで十分だ。どんな姿でも、構わねえ。お前がいれば、家が華やぐ。それはきっと、お前にしかできねえ」
「そう……なノ?」
「出来れば、長く居てくれると有り難いな」
「人じゃなくてモ?」
「どんな姿でも、お前はお前だ。なあ、今の記憶も残ってんのかな」
「ああ、残ってる」
「ならそれでいいじゃねえか。出来るだけ長く、家にいてくれ。俺が望むのは、それだけだ」
ダルトがもう一度、アンナさんの髪をくしゃくしゃにして笑った。
「うン……」
アンナさんは、
「なあ、解呪するにはどうするんだ?」
「姿を変えたお姫様を救う方法なんて、僕は寡聞にして一つしか知らないけどね」
「マジか……」
「どうすれバいい? なんでも、すル」
しばらくアンナさんを見つめたままダルトは固まり、散々うなったり深呼吸をしたりを繰り返した。
当然のように話がわかっていないアンナさんは実に無邪気にこれからやるべき事をダルトに聞き続け、その度にダルトがうなって答えに詰まる。
笑われた事の意趣返し、というつもりもなかったけれど、飽きずにその様を見続けていた僕らも随分だなとは思う。
結局、僕ら四人がその部屋を出たのは、日も暮れてしばらくしてからだった。
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