11 揃いの鍵束

 近衛騎士団長が鳥を飼い始めたという話は、予想以上に界隈に広まっていた。

 何しろ武器以外に何も興味を持ったことがないとまで言われた有名人が、突然大きな鳥籠を買って帰ったのだから興味も湧くというものだ。一部ではそういう新しい武器が出たのかと勘違いした人もいたとか。


 特に噂の広まる速度が上がったのは彼の発言が原因らしい。

 鳥を飼い始めたのかと聞かれた時、彼はこう答えたという。


「ああ? 飼ってなんかいねえよ。一緒に住んでんだよ」


 この発言によって、彼がとうとう人に興味を失ったのかとか、忙しすぎて何か違うモノが見えるようになったのかとか、色々とあんまりな憶測を含んで噂が面白おかしく拡散されてしまった。

 ダルト自身がもともと街では人気者ということもあり、数日は噂の中心人物となってしまった。行く先々で声をかけられるようになったというが、誰に聞かれても飼うという表現には常に反発し続けていたそうだ。


 実際に家に行くと、鳥はカゴから自由に出入りして部屋を飛び回るのに、開かれた窓やドアから逃げ出すことは一切なかったという。カゴは鳥にとっては寝室でしかなく、日中は常にダルトの側にいて、彼の言うことが理解できているかのように振る舞う。

 その姿を見れば、確かに飼うという表現は適切ではない、と誰もが納得したという。


 噂の中心となったダルトだが、二人にとって幸いしたのは、この街が常に新しい噂と事件の絶えない街であったことだろう。二人についての新たな話題が生まれることもないまま、一週間としないうちに人々の興味は他の話題に移っていった。


 人々の興味とは関係なく、今でもダルトの家には珍しい色のインコが自由に飛び回っている。


***


 ダルトの家の噂も大分落ち着いてきた頃、日も落ちかかってきた時間になってから、リトさんが店にやってきた。

 勝手知ったるなんとやらで、店に入るなり二人分のお茶を淹れてくれた。それだけなら有り難かったのだが、ついでに隠してあった秘蔵の焼き菓子も暴かれてしまい、上機嫌でお茶と一緒に消費されていくのをただ眺めていた。僕の分はとっておいてくれるのだろうか。


 相変わらず商品の鑑定が山積みな状態なので、カウンターの奥で色々と作業をしながら、リトさんの世間話のお相手をする。いつものように、話のネタは尽きないものだ。


「呪いでも魔法でもいいんだけど、昔に戻ったり過去をなかったことにしたりするものってないのかしら」

「甲冑を触らなかった事にでもしたいんですか」

「そこに後悔はないわ」

「残念ながら、時を示すルーンは見つかっていないそうです。過去に戻るような魔法も今の所は存在していませんね」

「やっぱりそうよねえ……」


 見るからにわかりやすく落胆の表情を見せてから、椅子の背もたれに背中を預けて天井を見上げていた。深いため息がなんだか物悲しく聞こえてしまう。それほどまで過去に戻りたいことがあったというのだろうか。

 しばらくそのままの姿勢で黙ってしまったので、こちらから聞くわけにもいかず、黙って仕事を再開した。


「話は変わるんだけど、王子様の、その……き、キスで呪いが解かれたお姫様は、その王子様と結ばれるのよね」

「お伽噺の世界では、そういう終わりを迎えますね」

「あの二人も、ある意味では結ばれたと言えるのかしら」


 話しているのはダルトとアンナさんのことだろう。

 数時間に渡る葛藤の末、ダルトはアンナさんに解呪を施した。効果はすぐには現れず、お茶のおかわりを淹れる程度の間隔をあけて、アンナさんは元の姿に戻ることができた。

 僕の時も、リトさんが帰るまでは猫の姿を維持していたっぽいので、そういうものなのだろう。


「まあ、お互いが幸せであるなら、それでいいんじゃないかなとは思います」


 大きな宝石のついた指輪を見ながら、僕はそう答えた。

 無難すぎる回答だとは自覚しているけれど、これ以上の返答は僕にはできなかった。


 彼らの決めた事がベストな結末かどうかはわからない。しかしお互いに納得しあった結果であることは間違いないのだから、それで良かったと僕は思うし、他人がどうこう言うものでもないだろう


 この指輪と違って、彼らの気持ちは本物だった。

 お互いに、大きな不安や悩みもない状態で一緒にいられるというのは、ある意味では理想的かもしれない。


「あの時、インコに戻ったアンナには人だった頃の記憶があるって言ってたわよね」

「そんな事言いましたっけ……」

「言ったわ。ダルトの質問に、はっきりと」


 言われた瞬間指輪を落としそうになってしまった。見てきたような物言いをしてしまったのはまずかっただろうか。

 ちょっと怖くて目を合わせにくい。


「ねえ、呪い屋さん、前に呪いにひっかかったって、言ってたわよね」

「え、ええ。大変でしたよ」

「それって、どうやって呪い解いたの?」

「前に話しませんでしたか」

「忘れちゃった」


 絶対嘘だ。

 やたらと可愛らしい声を作っているのが逆に怖い。


「ええと、ですから、メ、メリトに頼みまして」


 そういえばメリトに事情を話すのを忘れていた。

 指輪をテーブルに置いて、恐る恐るリトさんの表情を伺ってみる。多分ずっと僕の方を見ていたんだろうなという感じの姿勢が怖い。見つめられているというより、観察されている気分。

 それほど致命的な失言はなかったと思っているはずなのだけど、疑われているのだろうか。


「ふうん」

「どうかしましたか」


 リトさんがつかつかとカウンターに近寄ってきて両肘を付いた。組まれた両手の上に顎を乗せて、上目遣いで僕を見つめてくる。

 もはや観察を通り越して尋問とかそういう時の視線に近いモノがある。


「ねえ」


 これからどこに遊びに行くか相談するような、優しく甘い声と、和かな笑顔。

 前後の流れがわからなければ実に平穏な光景なのに、思わず姿勢を正してしまった。もうこのリアクションの段階で後ろめたいことがあると言っているようなものかもしれない。


「変化の指輪を、見たことがあるのよね」

「以前持ち込まれた時に」

「それで、ちょっと前に呪われて店を空けたわよね」

「そう、ですね」


 本人が意識しているのかどうかわからないけれど、声のトーンが徐々に低くなっている。恋人の甘いささやきのような声から、旦那の不貞を暴きたてるような恐ろしい声に変化している。

 もしかしたら僕が勝手にそう思い込んでしまっているのかもしれないけれど、この恐怖感は近年味わったことがない。


「寺院で、呪い屋さん面白い事を言ったの。覚えてるかしら」

「いやあ、面白い事なんて言うの苦手だからなあ。あはは」

「猫の姿では寺院に行けないって、呪い屋さん、言ったのよね」

「そんな事言いましたっけ」

「ええ、確かに。なんで突然猫の話が出るのか不思議だったのよね」


 それは失言だな。

 全く覚えていないけど、さらりと言ってしまったんだな。気をつけているつもりだったけれど、こういう事にはあまり向いていないかもしれない。


「それに私、呪われたのが猫の姿になったなんて、その時はじめて聞いたわ」

「い、言いませんでしたっけ」

「あの時お店には猫が一匹いたのよ。店の鍵もかけずにね」

「いやあ、慌てて出かけちゃったから」

「ドアはちゃんとしまっていたけどね」

「……」

「賢い猫はドアを開ける事があるけれど、閉める猫は聞いたことがないわね」


 いつも勘の良さに驚かされるリトさんだけに、これだけの証拠がポロポロと出て来てしまえば、真実にたどり着いてしまうというものか。

 嘘を重ね過ぎれば歪みが増えていき、やがて現実を圧迫してしまう。これ以上は弁解の余地もないだろう。


「つまり。あなたが呪いにかかったアイテムこそが、変化の指輪だった。そしてその効果として猫になってしまった。そういうことになるわよね」


 ご明察。

 時間を巻き戻したかったのは、あの時の態度のことだったのか。


「その沈黙は肯定と受け取るわよ」

「いやあ、過去をなかった事にする魔法とかないもんですかね」

「言っておくけど私の方が恥ずかしいんだからね!」

「猫が相手では誰でもあんな態度になってしまうものですよ」

「そこは、いいの!」


 急に立ち上がった挙句顔を赤くして強調されても、あまり信憑性がないけれど、黙っておこう。


「色々話しちゃったし、その……しちゃったりしたし」

「そうですね……。では、お互いにこの件については他言せず忘れるというのはどうでしょうか」

「……それは、いや」

「ええー」

「嘘をつくのは、嫌いなの。人にも、自分にも」


 そういう人だから、みんな彼女に好意を持つのだろう。初めて会った時から、いろんな意味で正直な人だった。


「ただ、いつも店にいるのを迷惑と思っていなければいいなって、そう思っただけ! 別に変な意味じゃなくて!」

「そうでしたか」

「それだけ?」

「お答えした方がよろしいですか」

「……出来れば、知りたい……かな」


 今度はリトさんの方が視線を外しだした。

 さっきまでは実際の身長よりも大きく感じていたのに、もじもじと指を絡ませたりする動作や姿勢のせいか、今は相応に小さな女の子にしか見えなくなってきた。


「僕も、ダルトと同じですよ。いつの間にか、リトさんがいてくれることに慣れすぎてしまいました」


 僕だけじゃなく、常連たちもいてくれることが当然のように感じている気がする。彼女がいなければつまらなさそうに用事だけ済ませてさっさと帰ってしまったり、明らかに落胆した様子のまま何もせずに帰る奴までいる。

 すでにこの店は、彼女の存在ありきで運用されていると言っても過言ではないのかもしれない。


「以前、何日もダンジョンから帰られなかった時があったでしょう。やっぱりあの時は心配でしたし、店が仄暗く感じてしまいましたね。常連からも毎日聞かれましたし」

「あの件については、本当にごめんなさい」

「別にリトさんに責任はないですよ。ただ、やっぱり店にいてくださると、とても嬉しいですし、安心します」

「ほ、本当に?」

「僕はほら、嘘が下手ですから」

「そういうのは嘘吐きがいう言葉だわ。その作り笑いも!」


 憮然とした表情で僕を睨めつけてくる。そういえば、ダルトはこういう目に弱いって前に言っていた。やはり僕にはその嗜好は理解できない。


「どうやらかなり信頼を失ってしまったようで」

「嘘をつく人も嫌いよ」

「困りましたね。僕の罪状は、どうしたら許されますか」

「そうね……」


 しばらく考えてから、ポーチの中をごそごそと漁り始めた。少しして右手がそこから出て来たときに、その手には小さな金属片のようなものが握られていた。

 そして、僕の手の中にそれを落とした。


「……これ。持ってて」

「この鍵は」

「わ、私の部屋の鍵……。これでおあいこでしょ」

「対等に、なるんでしょうか」

「も、もちろん、勝手に用もないのに入って来ていいってわけじゃないわよ!」

「ええ、ええ、それはもう」

「あと、部屋に入ったからって、か、勝手に部屋の物を漁ったりとかそういうのもだめ!」

「失踪時の手がかりを探すため、とかそういうのは」

「そ、そう! そういう緊急時に入ってもいいってだけだからね! 夜中に入ってくるとかそういうの驚くからやめてよね!」


 驚くとかそういうレベルの話ではない気がするけど。

 もちろんそんなことをするつもりは毛頭ない。

 それでも、こうしてお互いのテリトリーに自由に出入りできるほどになるとは思いもしなかった。


 そこまで信用してくれるようになった事を、今は素直に喜んでおくことにしよう。 


「わかりました。それでは、早速合鍵を作りに行こうと思いますが、おそらく時間もかかるでしょうし……」

「じゃあ、どこかでご飯でも食べにいこうか」

「準備します」


 盗賊ギルドならこの時間でもやってくれるだろう。

 鑑定のために出していた道具やアイテムを店の奥に片付けたりして戻ってくると、リトさんが慌てて持っていたものをポーチに入れているのが見えた。


「お待たせしました」

「ついでに鍵束でも拵えようかしらね」

「それも少し見てみましょうか。面白いものがありまして」

「楽しみだわ」


 店の扉を開くと、街は月の明かりに照らされていた。

 一歩踏み出した途端に、どこからか猫が飛び出して、僕らの前を横切っていった。

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