番外編
嘘つきのパラドクス
嘘つきのパラドクスという話がある。
ある哲学者が「自分の生まれた村人はいつも嘘を吐く」と言った。村人が本当にいつも嘘をつくというのなら、この言葉も嘘になってしまう、というパラドクス。
ちょっと前に呪い屋さんと一緒に図書館に降りた時、待ち時間に適当に手に取った本に書いてあった事だ。小一時間待たされたので、うっかり最後まで読んでしまった。
呪い屋さんというのは、この迷宮街でアイテム鑑定屋を営むカルフォという人の事で、鑑定屋なんだけど呪いのアイテムばかり持ち込まれるせいで呪い屋とか呼ばれるようになっちゃった人。
かくいう私も一度呪われたアイテムに悩まされて、彼に助けてもらった一人なのだけど。
今では、その時着ていた蒼い甲冑を身につけて探索者としてダンジョンに潜っている。
近所に住んでいるという事もあって、暇さえあれば呪い屋さんのお店に来るようになって、それなりの月日が流れた。何しろここにあるアイテムは面白いものばかりで、見ているだけでも楽しいし、飽きない。
最初は、本当にそんな気持ちで通っていた。
一応探索者としては最下層を巡るメンバーの一人になっているので、前ほどは頻繁に立ち寄れなくなってしまったのが少し残念。その分鑑定のお仕事の方は、結構なお得意様になっている。
今日は久しぶりに丸一日空きが出来たので、前日の夜にいつもの店でお酒を楽しんで、昼過ぎに起きて呪い屋さんのお店に来ていた。
来るなり生活態度を改めなさいと窘められてしまったけど、気が向いたら従おうと思う。
「ねえ、呪い屋さん、嘘つきのパラドクスって知ってる?」
「おや、さすが博識ですね」
珍しく仕事の手を止めて話に乗ってくれた。普段は手を止めたり目を向けたりしないまま返答してくる事が多いのに、興味があったんだろうか。こちらとしては嬉しいけど。
最近は以前のように毎日通ったりも出来なくなった分、目を合わせる時間が出来ると、それだけでもちょっとだけ嬉しく感じたりする。そんな事は誰にも言わないし、そんな素振りを他の人に見せる事もないけれど。
「確か、嘘つきが自分の事を嘘つきだという奴ですね」
「そうそう。自分自身が嘘つきだと正直に言ったのなら、その言葉は本当なのか嘘なのか、その人は果たして嘘つきなのかという。呪い屋さんはどう思う?」
「まあ、嘘だろうし、嘘つきには変わりないですよね」
「どうして? 正直に答えてるのに?」
呪い屋さんが持っていた派手な装飾のついた金属製の手甲をカウンターに置いた。多分作業に飽きたので休憩する口実に私の話に乗ろうという魂胆だろう。朝から仕事をしていれば、そろそろ休憩をしても良い頃合いだろうし。
あとは、こういう話が好きなので乗ってくれたというのもあるかもしれない。
「嘘つきだから、正直に言うんですよ。嘘を吐きますって。だから、自分の事を嘘つきだと告白した嘘つきは、結局の所嘘つきだから矛盾しません」
「言葉自体は矛盾しているのに」
「嘘つきだと告白することと、嘘を吐かないという事は別問題です。結局その嘘つきは、どこかでまた嘘を吐くでしょう。だって嘘つきなんですから」
「じゃあ、わざわざ言うってことは、その告白にメリットがあるって事?」
呪い屋さんが人差し指を伸ばして軽く立てる。気に入った回答をするとこの仕草をするのが彼の癖だ。ダルトに言われて気付いたけれど、これをやるときはちょっとだけ嬉しそうな表情になるのが可愛い。
「正直に嘘を吐くことを告白する事で、正直者だと勘違いしてくれる事、でしょうか」
「次に吐く嘘のリスクが減る……」
「僕ならそう解釈しますし、そういう事を言いますね」
「……やっぱり呪い屋さんは嘘つきね」
そうそう、呪い屋さんはこう見えて結構嘘つきなのだ。相手にとって不利益になるような嘘は吐かないけど、本当の事を話すべきではないと思うと、何の躊躇もなく嘘を会話に混ぜる。多分、それで心が安まるのならそれで構わない、と考えてる気がする。
それで助けられた事もあるので、それ自体を否定するつもりはないけれど。
「本物の嘘つきは、手の内を明かしたりしませんよ」
「ほら、嘘つきだ」
「ええー」
「手の内を明かしたよって正直に答えた風でいて、きっとまだ明かしていない手の内があるって事でしょう? 嘘つきのパラドクスと同じよ、それ」
「まいったな」
呪い屋さんが嘘つきの本領発揮し始めた所で、メリトさんが店に入ってきた。
奇跡の生還者の一人で呪い屋さんの元パーティメンバー。
今は寺院で司教として活躍していて、探索者としてはあまり活動していないとか。
多分、女性の中では一番呪い屋さんと仲のいい人。
「あら、リトちゃんも久しぶり。あれから変わりない?」
「おかげさまで」
「寺院にも顔を出さないって事は、好調なんだろうとは思うけどね」
「あまり無理はしないようにしてるから」
「そうね、それがいいわ。一人で戦うわけじゃないものね」
色んなしがらみは抜きにして、メリトさんはその能力や地位とは無関係に、この街でも有数の「聖職者」であると思う。
隣人を慈しみ、健康を願い、平和を願う人。
ひとたびそれが崩れるような事があれば、全力でそれに対処するだけの力も持っている。
「あ、メリトさんならどう答えるかな」
「一応聖職者ですから、綺麗な答えをくれますよ、きっと」
「なあに?」
「メリトさんなら、嘘つきが自分は嘘つきですって言ってきたら、どう思いますか」
「今日そんな話してたの? 暇だったのね……」
「いや、僕はほら、こうして仕事してるからな?」
呪い屋さんがカウンターから反論する。
「はいはい」
「で、どうなの」
「自分の今までの行いを悔いて、正直に告白してきたのなら、その人はもう嘘つきではなくなったのよ」
「おお……」
やっぱり聖職者は言う事が違う。
こんな事を表情一つ変えずにさらりと言ってのける所が、表情一つ変えずにさらりとクズみたいな事言ってた人とは全然違う。
「その人の次の言葉からは、きっともう嘘はないはずよ」
「聖職者の言葉は重みが違うわね……」
「でも、所詮理想論ですよ」
呪い屋さん、何か嫌なことでもあったのかと思う程この話に否定的なの、なんでだろう。過去に何かあったのかしらと勘ぐりたくなる。
「こういうのはね、人を信じることが大事なのよ。その告白に至る経緯や勇気も酌んであげる必要があるし」
「じゃあ聞くけど、例えばお前の恋人が浮気して、それを認めて、もうしないって言ったら信じるか?」
「なっ、なんで今その話するのよ! 話すり替えないでよ!」
メリトさんの表情が一変した。
顔を真っ赤にして、怒りとも驚きとも取れない珍しい表情。いつも冷静で、優しくて、あまり表情も変化しないタイプだと思っていただけに、ちょっとびっくりした。
「同じだろ。ウソをついたことを認めて、告白して。それで、あいつはまた繰り返した」
というか、恋人?
メリトさんに?
で、浮気?
過去に何かあったの?
「リトちゃん、たとえ話だからね、たとえ話」
笑顔を取り繕ってるけど、何だか妙に汗をかいているような。
そこから少し、呪い屋さんとメリトさんの二人で口論というか口喧嘩が始まった。そういえば呪い屋さんも普段はあまり感情を表に出さないタイプなんだけど、奇跡の生還者相手だと、割と普通に怒ったり笑ったりしてる。
私の前では滅多に見せてくれない。
この二人、やっぱり仲がいいなあ。
実は、呪い屋さんとメリトさんは、店ではどうでもいいことで結構な頻度で喧嘩してたりする。
喧嘩をするほど仲がいいからといって、喧嘩をしない相手とは仲が良くないとかそういうつもりはないけれど。
やっぱり、この二人の距離感は、ちょっとだけ羨ましいかもしれない。
「あれはだからその時は本当に反省したんだと思ったから!」
「思ったって時間が過ぎれば変わるんだよ! 一度裏切った奴は裏切ることの抵抗感が下がるから!」
「それでも信じたいと思ったの!」
なんだろう、もうただの痴話喧嘩だ、これ。
「あの……もう話が全然関係ない方向になってるんだけど」
「あ、ご、ごめんね……!」
「まったく生々しくも役に立たない話を子供の前でするもんじゃないよ」
「話持ち出したのはあんたでしょ!」
む。
唐突に子供扱いされた。
そりゃあ、この二人からしたらおこさまでしょうけど。彼らの半分も生きていないかもしれないけど。でも。
やっぱり合鍵渡されたのって、私が子供だから悪い事しないだろうって、そんな感じだったのかな。信用されてる事には違いないかもしれないけど。
「子供、じゃないし」
一応探索者としても攻略派の一角を担うまで成長したし、お酒も飲めるようになったし、親元を離れて暮らしてる。
そして思ったより感情が表に出てしまっていたらしく、呪い屋さんが慌ててしまった。
「あ、すみません、つい」
「カルみたいなおじさんから見たら十代の女の子なんて子供みたいなもんだから、ごめんね」
「おい同い年」
「やめてよ年齢不詳ってよく言われるんだから」
「実際に隠してるだけじゃないか」
呪い屋さんは、私には、敬語で話す。
メリトさんやダルトには普通に話すし、モーリスにだって丁寧だけど敬語とまではいかない。
やっぱりまだお客さんなのかな。
子供ってはっきり言われちゃったし……。
ちょっと前に凄く大事な人っぽい感じに言われたのはなんだったんだろう。愚図る子供を適当にあしらったのかな。
年齢の話でまた二人で口論してる。
こんな展開になるとは思わなかった。
もっとゆっくり、というかゆったりお話してたかったんだけどな……。
「そろそろ帰るわ」
「あ、まって、私も帰るから」
「何しに来たのお前」
「ちょっと暇が出来たから顔見に来ただけ。いいでしょ、別に」
「他に行く所ないのかよ」
「たまに買い物してってるんだからいいでしょ」
結局店を出たのは、二人の口論が収まってから。律儀に待っている必要もなかったとは思うけど、帰ろうとする理由がそこにあると思われるのは癪だったので、メリトさんのいうままに待っていた。
店を出てしばらくは、二人で黙って歩いていた。
そういえば二人きりになった事ってあまりないかもしれない。
何か話題はないものかなと考えていたけれど、良い話題が思いつかない。
「あの、メリトさん、恋人って……」
「いや、あのね、あれはその、例え話だからね!」
「聖職者なのに……」
「だから例えばそういうシチュエーションがあったらってだけで……」
じっと目を見た。
ただ、黙って目を見つめた。
メリトさんは背が高いので、少し見上げる形になる。男性相手なら、上目遣いで見ると言うこと聞いてくれるとかデュマ様に教わったけど、女性相手じゃあんまり効果はないか。
メリトさんが、やがて観念したかのように、軽くため息を吐いてから話し始めた。
「昔ね、好きだった人に裏切られた事があるのよ」
「やっぱり実話だったんだ」
「うん……ごめんね。でも細かい話は、ちょっと……」
「いいです。別にそういう話が聞きたかったわけじゃないから」
「ありがとう。ああ、やっぱり私も嘘つきなのかもしれない。ううん、そう。……嘘つきだよ、私」
背筋がちょっとぞくっとした。
彼女の、その目線に。その口調に。その声に。
いつもの明るいメリトさんからは想像も付かないほどの色気が、その一言を発した彼女から溢れだしていた。
言ってからのちょっと遠くを見るような目線もまた、それに拍車をかけていたけれど、あれは何を追っていたんだろう。その方向に何があるのか気になったけど、彼女から目が離せなくて、とうとう確認出来ずに終わってしまった。
でも、嘘つきが嘘つきだと告白したのなら……。
「メリトさん、告白したのなら、もう次の言葉に嘘はないですよね?」
「いいえ」
彼女は小さく首を横に振った。
どうして、そこは自分も例外にしてしまうんだろう。
「どういう、ことですか」
「私の告白は、これからもウソをつくよっていう宣言。だから、また嘘をつくわ」
「あ、ずるい」
「だから」
「はい?」
「お互いに、頑張ろうね」
「……え?」
何が、お互いになんだろう。
頑張るって、何をだろう。
聞きたかったけど、それがもし自分の予想している答えと一致してしまったら。
私は、どう答えるだろうか。
そして、どう応えるだろうか。
だって、勝てるわけがないじゃない。
スタート位置がまるで違う上に、道程の整備状況もまるで違う。
怖くて、何も言えないでいると、メリトさんは一足先にいつもの明るい表情に戻っていた。
軽いステップで私より数歩先へ進んでくるりと後ろを向いた。
「じゃ、私はこっちだから。またね!」
「はい」
大人になるとみんなウソをつくのが上手になっていくんだな。
きっと私なら、あんなに素早く切り替えなんか出来ない。多分、私はまだ憮然とした表情のままだと思う。
過去の二人にも、何かあったのかな。二人の言い方だと、少なくともメリトさんを裏切ったのは呪い屋さんではないと思うんだけど。
それでも普段の二人の会話の中でも時折感じる後ろめたいような微妙な表情は、それが原因なのかな。
それこそ、二人を縛る呪いのような何かが。
去って行くメリトさんを見ながら、漠然とそんな事を考えていた。
ふと後ろを振り返り、街を見下ろす。
家の煙突から、ゆらゆらと煙が上がり、やがて空の中に溶け込んで行った。
魔法使いとして戦力外通知を受けたので鑑定屋を始めたら、呪いのアイテムばかり持ち込まれます 後藤紳 @qina
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