08 孫娘へ
「単純な事って、どういう事よ」
「探していた答えは、案外近くにあったという感じでしょうか」
人気のない図書館で、甲冑姿の女性に詰め寄られていた。
場所が場所だけに、その出で立ちが場違いすぎて何だか怖い。
「でも、甲冑を作ったのは初代で間違いないんでしょ?」
「それはもう。ただ、百年も前に作られたものなので、いきなり近年になって使おうとしても無理があります」
「まあ、革部分とか無理よね」
勿論金属部分も修繕は必要だが、革部分は百年も経過してしまうと実用に耐えないほど劣化してしまう。飾ってあったままの当時品を着用したとしても、ボロボロと崩れ落ちてしまっていただろう。
「元々この甲冑だけは、未完成だったという話もあったそうです。話の真偽まではわかりませんでしたが」
「飾られているものを見ていた限りは、ちゃんと形にはなっていたわ」
「細かい部分で出来ていない所があったのかもしれませんね。今となっては本当に未完成だったのかも、実はわからないのですが、とにかく使えるようにしたのは、コルツ氏のようです」
「なんでわかるの? エーテルの光とか言っていたのが関係するの?」
「強い願いが込められたものは、その内容が良い悪いにかかわらず、エーテルが反応し、その願いをかなえようと何らかの力が宿ります。これがいわゆる呪いというものです」
「おじいさまが、呪いを……?」
「いえ、少し違います」
ちょっと説明が長くなりそうだ。モーリスに頼んで椅子を借りることにした。お茶もあればより良かったけれど、さすがにそこまで要求するのも憚られた。
「ふう……」
「すみません、やはりお疲れでしたね」
「こんな所まで連れ回しておいて今更ね」
確かにそう言われてしまうと苦笑するしかない。
もっとも、彼女の声からは怒りの感情はほとんど見えなかったのがせめてもの救いか。
「ああ、ごめんなさいねモーリス。図書館の事を悪く言ったわけじゃないの」
「平気」
「じゃあ、おじいさまの話、続きをお願い」
ああ、そうだった。
コルツさんの事というか、呪いについての説明がちょっと必要なんだった。
「エーテルは人の願いや想いに反応する、という事はご存知ですか」
「魔法の基礎知識よね。一応探索者だし、それくらいは」
「失礼しました。エーテルの反応によって起こる現象を、特に呪文を用いるものを魔法と呼びますが、それと同じ事が呪文なしで物に宿る事を呪いと呼びます。凄く大雑把な区分ですが」
「え、じゃあ魔法の武器とかって全部呪いの武器って事なの?」
「呪文を用いて魔法を発動させて、その結果として物に宿るものは別なんですよ。あくまで願いや想いから自然にエーテルが反応した場合に、呪いと呼んでいます」
「なんか、ややこしいのね」
「全部人間が勝手に付けた名前」
モーリスが口を挟んでくれたが、多分この発言が一番的を射ているかもしれない。
以前モーリスから聞いたことがあるのだが、彼らエルフは魔法というものに名前を付けていないらしい。願った事が叶う事は、彼らにとっては当たり前の事で、呪文を用意する必要もなく、それをわざわざ魔法だなんて大仰な名前をつけて区別する必要もないということのようだ。
もちろん、そこには必要以上の破壊や搾取を望まない、平和で欲のない彼らだからこそ成立するのだろうけれど。
人間はそこまで簡単にエーテルに干渉出来ないので、効率よく扱うために呪文という公式を編み出した。
「エーテルが反応する願いや想いには、善悪の区別はありません。純粋な願いの強さだけが全てです。そしてコルツ氏はとてつもなく強い願いをこの甲冑に願いながら、修繕を行っていたのだと思われます」
「呪いにも匹敵するほどの願い……?」
「僕は、エーテルを光として視る事が出来ます。エルフは当たり前に視えるらしく、つまりモーリスも視られます。人間では、結構珍しいんですよ」
「リトも、見えない?」
「……見える人がいることを今知ったくらいよ。それが見えると色々な事がわかるのね? おじいさまの姿とか」
「とても穏やかで、嬉しそうな笑顔でした」
「……そう」
「そして、そこには探索者となった孫娘を守って欲しいという、それだけの……だからこそとても強い願いが込められていました」
断片的に読み取れた、「子孫」「女性」「守護」「探索者」という単語からの解釈を、僕はずっと間違っていた。
制作者である初代グレフ氏が映っていたと勘違いした事、百年もの間誰も持ち出さなかった事などから、この甲冑を探索者に渡さないように守って欲しいという願いだと思っていた。
しかしリトさんの指摘の通り、その願いと実際の効果には大きな隔たりがある。探索者であるリトさんから離れないのであれば全く逆の効果だ。
探索者になって初めて効果が発動した事からも、ずっとこの甲冑に憧れていた孫娘のために一生懸命修繕していたと考える方が自然だし、とにかく守って欲しいという願いから今に至る……という流れの方が辻褄があうだろう。
それによる弊害だとか、実際の効果であるとか、その辺は具体的な指示が出せない分、色々と問題はあったようだけど。
「おじいさまは心配性だったの。私がダンジョンに落ちてからはなおさら」
「わからないでもないです」
「そんな私が探索者になりたいだの、甲冑を着て騎士様にお目にかかりたいだのと毎日のように話していたのよ。今にして思えば内心穏やかではいられなかったでしょうね」
「怖い目にあった場所に行きたいというのですから、理解せよという方が難しいかもしれません」
「私も理解してもらおうとは思ってなかったのだけれどね」
もし自分が子の親になったとしたら、やはり反対するだろう。僕の場合はダンジョンの実情を知っているからというのもあるが、なんだかわからない怖そうな所に身内が行こうとすれば普通は反対する。
「それでも、いつか使うだろう日の事を考えて修繕されていたんですね。大人になった段階での体型を計算して調整されている辺り、コルツ氏の腕前も驚異的です」
「そうよね、甲冑が何の問題もなく着られているの、凄く不思議だったんだけど」
「母親の体型などから予測したのではないかと思いますが、実際に指先まで合致しているとか、にわかには信じられない技ですね」
リトさんが言われてから改めて右手を開いたり閉じたりしているが、端から見てもその動きに不自然な点は見当たらない。今までも日常生活において動きにくいとか動作に支障を来すような状況を見たことがなかった事を今更ながら思い返していた。
甲冑は本来は装着者の体型をちゃんと計測して、それに合わせて作成する。中古品であってもサイズの調整は必須だ。
成長著しい十代の少女の身体のサイズを予測して合わせるなど、並の鍛冶屋の出来る技ではない。初代の技は、確かに継承されていた。
「おじいさまの願いが私を守れ、だったとして、解呪はこれで大丈夫なの?」
「そうですね……これだけの材料があれば何とかなる気はするんですが……」
「なんでそんな微妙な顔なのよ」
「もう一つ、何かあれば確実かと思うんですが」
呪いも祝福も紙一重で、結局その願いが叶えばそれで用は済む。
コルツ氏の願いが「孫娘を守れ」である事までしかわかっていないため、どうしたら「もう守らなくても良い」という事になるのかがわからない。
エーテルの光の中の像は、声までは再生されなかった。何か一つでもコルツ氏の言葉があれば……。
「リト、来て」
「どうしたの、モーリス?」
「届かない」
モーリスがリトに向かって両手を伸ばし、かがんで来たリトの面当てを跳ね上げた。
何をされたのか理解出来ないでいるリトの兜にモーリスが手を伸ばし、面当ての裏から何か紙切れのようなものを取り出した。
幾重にも折り重なっている紙片を丁寧に広げてみると、そこには細かい文字がびっしりと書かれていた。
「手紙……?」
「モーリス、どうしてこれに気がついた?」
「光ってた」
慌てて意識を集中させると、確かにこの手紙そのものがエーテルの光に包まれていた。兜の裏面に付いていたのを、僕は兜と言う部品そのものの光だと勘違いしていたようだ。
モーリスは日常的にその光が視られるエルフだからこそ、こういった細かい違いまで判別出来たのだろう。
「誰が書いたんだろう」
「おじいさまの字だわ……」
「リト、読んで」
「……そうね。私が読むべきね」
リトさんが面当てを上げたまま手紙を持ち上げた。初めて見る彼女の目は、とても大きくて、目だけなのに何故か美しいと思ってしまった。
とても真剣な眼差しで手紙の文字を追っているのが目線の動きでわかる。
小刻みに往復していった目線がやがて動きをとめ、瞼を閉じた。
小さな嗚咽とともに、閉じられた二本の筋から涙が溢れ出し始めた。
「だ、大丈夫ですか?」
「泣いてる?」
兜が邪魔で目を覆う事も出来ず、ただ涙を流し続けるしかないリトに、一生懸命背を伸ばして自分のハンカチを当てようとするモーリス。他人の動向に気を向ける事などほとんど見た事がないので、この行動に僕だけが少し驚いていた。
「ありがとう……平気よ」
「聞かせて?」
「ええ……でも、声が震えてしまいそうだわ。呪い屋さん、代わりに読んで聞かせてあげて」
「いいんですか? あと鑑定屋です」
「お願い」
鑑定屋の件については完全に無視されてしまった。
リトさんから手紙を受け取る。
小さな、しかし丁寧に書かれた字をゆっくりと読み始めた。
「『リトへ。この手紙を読んだという事は、探索者への道を選んだという事だろう。最初にこの甲冑を着せてやるのは自分でありたかったが、それも叶いそうにない』」
「おじいさん、亡くなった?」
「私が十二の時にね」
「ダンジョンに落ちた時から二年くらいですか」
リトさんが小さく頷いてから僕に目を合わせてもう一度頷いた。続きを読めと言う事だろうから、黙って従うことにする。
「『お前がその道を選ぶ頃にあわせて大きさを調整しておいた。細かい不具合は工房に頼んで修理してもらうといい。この甲冑はもともと女性用として作られたものだから、きっとお前の身体にも合うだろうし、その美しい見た目にも釣り合うだろう。
この甲冑は、そもそも私の姉のために作られたものだ。冒険者に憧れ、いつか祖父の甲冑を着て活躍したいという、彼女のささやかな夢の為に』」
姉がいた?
そういえば図書館で資料を見た時に、家族構成の中にいたような気がする。コルツ氏の家族構成までは細かくチェックしていなかったのは失敗だったか。しかし姉の血筋の方は特に記載がなかったような気がするんだが……。
とにかく、続きを読もう。
「続きです。『身体が弱く、床に伏せる事の多かった姉に、せめて生きる目標を持って欲しいと作り始めたが、完成する前に姉は死んでしまった。
お前の部屋はもともと姉の部屋で、その部屋に甲冑はずっと飾られていたのだ。
だから、お前が探索者に憧れ、この甲冑に憧れたときは、姉の生まれ変わりなのだろうかと驚いたものだ。
同時に、若くして死んでしまった姉の事を思い出してしまう』」
そういう事か。
若くして亡くなられて、おそらくは嫁に行く事もなかったのだろう。
ダルトの言っていた、ロストナンバー九番が女性用らしいというのは本当のようだ。あいつの情報網も案外馬鹿に出来ないな。
元々女性用に作られていたからこそ、リトさんに合わせて調整する事も出来たのだろう。
いや、それだって簡単な事ではないし、コルツ氏の腕前がただ者ではない事に代わりはないのだが。
一人で驚いているとリトさんの視線が飛んでくるのであわてて続きを読む事にする。
「『リトよ。
強くなって欲しい。
強くなって欲しい。
今更、女の幸せなどと古くさい事をいうつもりはない。
お前の人生はお前のものだ。
だが、せめて。
後悔のない人生を。
志半ばで命が尽きてしまう事のないように。
そのために、この甲冑を役立てて欲しい。
甲冑が傷つく事を恐れる必要はない。
壊れないものなど存在しない。
そして、真に美しいのは、甲冑の躍動するその瞬間なのだ。
リトよ。
愛する孫娘よ。
持たせるものが花嫁衣装でなくこんな甲冑しか用意出来ないろくでなしを許して欲しい。
コルツ』」
読み終わり、手紙を机にゆっくりと置く。
リトさんは再び涙を流し、モーリスが一生懸命それを拭いていく。
僕は天涯孤独の身で、子供もいない。
彼のように、自分の子や孫を愛せるだろうか。
エーテルにその願いを乗せて、現実をねじ曲げてまで守りたいと思うほどに。
鑑定屋という仕事をしてきて、呪いのアイテムを数えきれないほど見て来た。
魔法ではないという意味での、大ざっぱな区切りで言う呪いのアイテムの中で、本当の意味で祝福だけで成立していたものというのは滅多にない。
これほどまでに純粋で、孫のためだけに残りの人生を使って成し遂げて生まれたものを、僕は寡聞にして知らない。
「強くなればいいのね」
「リトさん……」
「強くなれば、おじいさまも安心してくださるのね」
「きっと、そうだと思います」
何を持って強くなったと判断されるかはわからないけれど、これだけの条件があれば解呪も何とかなると思う。
「やってみるわ」
「え?」
「強くなってやるわ」
「やめたいんじゃなかったんですか。今なら、多分寺院での解呪も可能だと思いますが」
「花嫁衣装代わりに貰ったものですもの。せいぜい使い込んでやるわ。使ってる方が美しいんでしょう?」
リトさんは、目だけで全てを語れる人だ。
彼女の自身に満ちた目線が、僕の目を射抜いた。
まだ少し赤いけれど、大きく見開いた目がその決意の程を物語っている。
僕がこの甲冑に呪いをかけたとしたら、多分今の決意だけで満足して解呪してしまっているんじゃないだろうか。
「いい武器屋、紹介しますよ」
「じゃ、これから付き合ってもらおうかしら」
「リト」
「モーリス。貴女にもお世話になったわね。ありがとう」
「また来て」
「次はドレス姿を披露するわ。きっと誰だかわからなくて驚くわよ」
「驚きたい」
何故かリトさんと会話する時は表情が幾分ほころんでいるように見える。よほど気に入ったらしい。
リトさんも嬉しそうに微笑んでいる。ウマがあうようで、引き合わせて良かった。
……僕の時はモーリスは「また来い」って言い方だったよな、そういや。
まだ日が傾くまでには間がある。決意が鈍る前に武器屋に行ってしまおう。
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