03 少女に何が起こったか
貰った地図を元にやってきた依頼主の家は、街の中でも比較的中心部に近い区画にあった。
この辺りは迷宮街と呼ばれる以前からの、街が生まれた頃から存在する地区で、特に鍛冶屋の関連の家系が並ぶ区画だったと記憶している。
あれだけ見事な甲冑が家に残っていたのだから、おそらくは鎧鍛冶を生業にしていたという事だろう。
何故彼女が探索者になっているのかは、聞いてみなければわからないが、もしかしたらその辺にも何かヒントがあるかもしれない。
そんな事を考えながら目的の住所にたどり着いた。
立派な家が建ち並ぶこの一帯でもひときわ立派な屋敷だった。
下僕に案内してもらい、奥の部屋へ通してもらうと、そこには立派な甲冑の置物……ではなく、依頼主であり呪われた甲冑の持ち主である、リトさんがいた。
「待ってたわ」
「立派なお屋敷ですねえ」
「古いだけよ」
これだけ古い立派な家ともなれば、甲冑以外にも色々な骨董品が眠っていたりするかもしれないな。今回の仕事が落ち着いたら、ちょっとだけ倉庫を見せてもらえたりしないだろうか。
「どうかした?」
「あ、いえ……こういう所にはあまり縁がないもので、落ち着かなくて」
「たいしたところでもないのだから、気兼ねなくくつろいでくれて構わないわ。あとでお茶くらい用意するわ」
「いやいや、お構いなく」
そういう所が落ち着かないのだけど。
「改めて、甲冑を確認させて頂きますね」
その場で立ってもらい、片手を上げたり、腰を曲げて貰ったり。
昨日あまり出来なかった、細かい部分の検証をさせてもらう。
「ん……」
この肩の構造は、この時代にしてはかなり先進的だ。もしかしたらこの甲冑がきっかけで進化した可能性すらある。高い可動性能を維持しつつ隙間の生まれない構造は、この当時の主流となっていた戦闘様式にはあまり必要ないとすら言えるのに。
「ちょ、ちょっと……?」
肩が胸鎧に若干被る構造を採用していながらこれだけ腕が上がるというのは驚きだ。脇はチェインメイルで保護すれば問題はないが、正面に隙間が出来てしまう事は防御力の低下に繋がる。
今となってはどれも一般的なものだが、この当時にここまで先進性を持っていたともなれば、これは相当な名工によるものである可能性が高い。
ああ、本当に綺麗なまま保管しておいて欲しかった……。
「んぅ……ね、ねえ……、まだ?」
草擦もまた、複雑な重ね方で動きの邪魔をしないように考慮されつつ最大限まで大きくされている。これもまた相当先進的な……。
「も、もうやめて!」
「え?」
「なんで脇とか腰とかばっかり触りまくるのよ! 本当に呪いの確認なんでしょうね!」
「あ、いや、もちろん、そうですとも」
もちろん、呪いのことは忘れていた。
一通り見た限り、特別な構造はない。それどころか実に見事な手入れがされている。
古いデザインだが、革の部分は全て張り替えられていて十分なしなりと強度がある。一部の留め具などの細かい部分は新たに作り直しているが、当時の意匠から出来るだけ逸脱しないように心掛けたデザインになっている。
当時の鎧鍛冶の技術も凄いが、これをここまで使いやすく修正した人も大したものだ。
「鎧そのものは本当に良いものですね。おそらくは日常生活でもほとんど動きに支障がないのでは」
「まあ、そうね。そうでなければ舌をかみ切っていたかもしれないわ」
「呪いがなければ、かなり高値で取引出来るものですよ。もちろん実用性も高いのでそのまま探索で使い続ける事をおすすめしますが」
「探索……貴方は、探索者の経験がおあり?」
「え? まあ、少しは」
「皆、なんであんなことしていられるのかしら……!」
「あんなこと……とは?」
「魔物とあんなに間近で斬り合ったり! ぶつかったり! 矢が飛んできたり! 燃やされたり! あんな恐ろしいことを、よくもまあ」
まあ、ダンジョンに入れば魔物との戦闘は避けられない……というよりはそれが本来やらなければならない事ではあるから、そこに疑問を感じた事はなかったけれど。
怖くないのかと言われれば、もちろん怖い。ちょっとした油断が死を招く世界で、ダンジョンにいる間中、ずっと緊張を強いられるのだから。
「リトさんは、探索者なんですよね?」
「ええ、ちゃんと訓練所で登録したわ。そこまでは別になんともなかったのだけど。恐怖も、克服したと思っていたのに」
「少し、込み入った話を聞いてもよいですか」
「かまわないわ」
「そもそもどうして探索者に?」
迷宮街の中心部でひときわ大きく、下僕まで雇えるような家に住んでいる事からも、本来は探索者などする必要などないような身分である事は明らかだ。
家にあった紋章は、この街では鎧鍛冶の名家を示すものだったはずだ。わざわざ危険な仕事に就かなくても、嫁のもらい手もいくらでもありそうな気がする。
「一度、助けて頂いた事があるの。探索者の方に」
「どういう経緯で……?」
「十歳になったかならないか、といった頃かしら。道に迷った挙げ句ダンジョンに迷い込んでしまった事があって」
「入ったんですか! ダンジョンに?」
彼女は黙ったまま、わずかに首を上下に動かした。
町外れにあるダンジョンの入口には街の兵士の詰め所があって、資格のないものは入れないようになっているはずだ。この場所がなんなのか知らないものが入ってしまう事を防ぐという表向きの理由の他に、犯罪者などの訳ありの人が隠れ場所として逃げ込んだり、犯罪に利用するといった事を防ぐというような意味もあったりする。
地下一階でも少し奥に進めば魔物に遭遇してしまうような場所だ。武装も訓練もしていない人が入り込んで只で済む場所ではないのだが、犯罪の温床になっては困るし、探索者側の本音を言ってしまえば単純に邪魔なので、詰め所で管理してくれると大変ありがたい。
そんな訳で、本来は年端も行かない少女が何も知らずに入り込めるような所ではない。
「その頃、何度か起きた地震で地面に亀裂が入った事があったのよ。ちょうど父の用事で町外れに出ていた私は、その地震の時に居合わせてしまって。慌てて駆け回っているうちに、出来ていた亀裂から転げ落ちて……」
「怪我はなかったんですか」
「肩を強く打ったような記憶が……。落ちて来た裂け目から差す光以外は真っ暗闇だったし、痛くて動く事も出来ずにただ泣き続ける事しか出来なかったわ」
狭いとはいえダンジョンの天井の高さは通路でも三メートル近くある。肩を打った程度で済んだのは幸運だったかもしれない。
そういえば、五年だか六年前に地震が頻発した時期があった気がする。彼女の年齢を考えると、時期は一致しそうだ。
「真っ暗闇の中、どれだけの時間が経ったのかわからないけど……、裂け目からの光も射さなくなって、本当に真っ暗になって……、そして泣き疲れ果てた頃に目の前に何者かが近づいて来たの」
ダンジョンの中は本当に光が差さないまっ暗な空間で、外界との拒絶感の強さは入ってみたものしかわからないかもしれない。
それが十歳程度の子供となれば、受ける恐怖は計り知れない。
「精一杯の力を込めて助けてと声をかけたら、その人達が近づいて来てくれて……」
「ああ、それで助けられて」
「だったらこんな格好はしていないわね。たいまつの灯りに照らされた何人かの集団が、近づいてくるにつれて正体がわかっていくのだけれど。背の低い、とても醜い魔物だったのよ」
絶体絶命にも程がある。場合によってはダンジョンに転がり落ちた段階で死ねていた方が幸せだったかもしれない状況だ。
「一階の入口付近を集団で行動する魔物というとゴブリンやコボルドといった所ですか」
「よくは覚えていないのだけれど、あとで聞いたらそうだったみたいね。精も魂も尽き果てていたかと思っていたのに、まあ悲鳴だけは大きく出せるものよね。泣き叫んでいた所に魔物がやってきて、本当にもう駄目だと思った所に……」
「横から盾持った騎士が飛び込んで来たと」
「なぜそれを知っているの!」
「い、いや、貴女が今生きている訳だし、ここで助けが入ったんだろうなと」
「盾で飛び込んでくる所まで予想出来るものなの?」
「ま、まあ、僕も昔は探索者でしたから、それくらいは」
感心したような声が小さく聞こえたが、もちろん、知らない人の咄嗟の攻撃方法まで当てられるものではない。
話を聞きながら思い出していたが、僕はその場にいた記憶があるのだ。
その記憶が確かならば、彼女が咄嗟に起こした動作は、先ほど述べた通りのものだった。
助けに行ったのは女性の騎士で間違いなく、剣も抜かずに駆け出したのは、子供に凄惨な場面を見せるべきではないという理由だった。
「魔物が離れてからすぐにもう一人の女性に抱きかかえられて、あとはもう、気を失ってしまっていたようで、気付いたらダンジョンの外に出ていたわ。探索者の方に囲まれて無事を喜んでくれて……」
「日暮れ近くまで探索するのは珍しいですからね。たまたま戻るのが遅くなったんでしょうが、本当に運が良い」
ダンジョン探索は滅多な事がなければ一日で帰ってくる。安心して休息を取れる空間もないし、体力的にも食糧事情的にも、数日滞在するような状況は、大抵ろくでもない事が起こった時だけだ。
いくつかの階層には昇降機が動いているため、深い層でも一日で往復出来る。
あの時は、初めて降りた階層で苦戦して、戻りが遅くなってしまったのだった。疲れ切って、苦戦した理由をそれぞれ別なメンバーのせいにして空気が悪くなっていた、そんな時だった。
「探索者の人達の強さや優しさに憧れて、私も探索者を目指すようになったのよ。特に焚き火に照らされた騎士様の美しさは、今でも瞼に焼き付いているわ……! 炎の照り返しで甲冑が黄金に輝いているように見えて、その神々しさも忘れられないけれど、あの方の美しさはそれにも負けないほどだったわ」
実際には僕らはそんなに強くも優しくもなかったりしたのだけど、黙っておこう。
しかし、助けに走った女騎士の彼女に関しては本当に強くて優しい人だったのは間違いない。
「それで甲冑を着てみようと」
「そう、家に昔から置いてあるこの甲冑があれば、私も騎士様のようになれるかなと思ったのよね。触れてみた所で突然甲冑がバラバラになって体に吸い付いて来て、今に至るというか……」
「ああ、甲冑があった事は知っていたんですね」
「その一件があってからはもう、騎士様に憧れてずっと家では彼女の話ばかり。家が鍛冶屋であった事はさすがに知っていたし、蔵にこの甲冑があるのもその頃に見つけたの」
「その頃には触れても特に……?」
「そうね。幾度となく触れていたはずだけど、今まではそんな事はなかったわね。いつかこれを着て騎士様に会いに行くのだと言っていたのだけど……」
子供の頃と今との違いはなんだろうか、と話を聞きながら考えていた。
「探索者になったからといっても、今の姿では会えないわね」
「ああ、触れたのは探索者になってから、という事ですね。それが条件だったんだ」
「どういうこと?」
探索者になるには街の訓練所で登録をする必要があり、一定の能力が認められればその場で登録は完了する。
もし、能力が足りないとしても訓練所に通って能力を高めていって認められればよい。
登録が完了すると名前の彫られた金属製のタグが渡され、それが身分を証明するものとして扱われる。
あまり知られていないが、このタグは魔法がかけられていて、他人に渡らないようにされていたり、不用意に紛失しないようになっている。
これもちょっとした呪いのようなものだが、所持者に不利益がかからないようになっているため、誰も呪いだとは認識していないと思う。
僕も探索者としては実質廃業中なのだけど、このタグはまだ持っている。極まれに仕事でダンジョンに入ったり、探索者の身分を利用したりすることがあるもので。
「呪いの発動には何らかの条件が必要な場合があります。今回は、探索者が甲冑に触れることがその条件だった可能性があります」
「それで子供の頃に何事もなかったと」
「探索者であるかどうかの確認は、お持ちのタグなど色々とありますから」
「随分手の込んだ呪いだこと……」
「呪い、なのかどうかも段々怪しくなってきましたね」
甲冑が外せないという以外にこれといって装着者を苦しめる要素がない。特に今まで彼女が存命という事は、すくなくとも面頬は上げられるはずだ。そうでなければ食事も出来ずに餓死してしまう。
さらに言えば蔵にしまわれて使われていなかった甲冑に呪いを掛けられる人というのは、よほど特殊な状況でなければ相当限定される。
出来れば、あまり悪い方向に考えたくはない。
「もう、とにかく早く脱ぎたいのよ!」
リトさんが我慢しきれない様子で急にテンションを上げだした。
「結局騎士様には会えないし、戦士として登録したから前線に出て戦わなきゃいけないし!」
元々冒険者としてやっていたり、何らかのギルドや寺院などに出入りしていた人でなければこれと言った技能がないので戦士以外の登録が出来ない。もちろん登録するに当たってどこかに所属するなりして技能を得てくれば魔法使いや盗賊などにもなれるし、訓練所はそのための斡旋もしているのだけど、恐らくはその場で登録出来るものを選んだのだろう。
「こんなにきついとは思わなかったわ! しかも汗も拭えない、化粧は直せない、着替えられないしお風呂にも入れない! こんな生活早く終わらせたいの!」
「ああ、そっちのきつさですか」
女性なのだからそっちの方が辛いに決まっていた。香水がきつめなのは彼女なりの配慮というか、唯一出来る身だしなみという面の他にも、自分自身を誤魔化すためという部分もありそうだ。
「子供の頃に読んだ騎士道物語ではずっと甲冑を着けていたから平気かと思ったのに!」
「あれは、だってお伽噺ですから……」
甲冑を外した私生活を中心にした騎士道物語というのは、それはそれで面白いかもしれないが子供が楽しめるかどうかはわからない。貴族の娘とのラブロマンスばかりが繰り広げられそうな気もするし。
「もう、探索者なんて早く辞めたいのだけど、とにかく脱げないことにはどうしようもないし!」
手をバタバタさせて、頭をぶんぶん振り回し、多分甲冑を着ていなければ可愛らしい仕草だっただろう。甲冑のせいで若干威圧感が強い。
揺れ動く兜を見ていると、それまで気付かなかった事に気付いた。
思わず兜を掴んでその側面をマジマジと見つめる。
「ちょ、ちょっと! 何? 何なのよ!」
「そうか、そういう事か」
「一人で納得してるんじゃないわよ! 離しなさいよ!」
うっかり掴んでしまっていた頭を離す。
「あっ、すみません! つい」
「あなたちょっと興奮するとすぐに見境なくなるわね……」
「いや、そういう訳じゃ……」
「で、何かわかったわけ?」
「この兜の鍍金の模様なんですが」
「……見えるわけないでしょう」
「ですよね」
見て欲しかった模様は兜の側面の、かなり後ろの方だった。姿見一枚ではそこまでの視界を確保出来そうにない。
「アンナ! 手鏡をちょうだい!」
言われるや否や、扉が開いてメイド服姿の女性が手鏡を持ってやってきた。裏面に細かい彫刻が彫られた豪華な手鏡だ。
姿見と手鏡の角度を調整して、何とかリトさんの視界に模様を入れる事が出来た。
「この唐草模様がどうかして?」
「複雑に描かれたこの模様の中の、ここです。何に見えますか?」
「……数字の、九のように見えるわね」
「これが、恐らくは大きなヒントになるかと思います。調べたいことが出来ましたので、今日はこれで失礼します」
「ちょ、ちょっと!」
どうにも、単純に解呪をかけられるようなものではない気がしてきている。
甲冑から見えるエーテルの輝きは、呪いと言うには清らかな輝きに見える。呪いではない何らかの願いが含まれているかもしれない。
最後に見えたヒントから、良い答えが導き出せれば良いのだけれど、それがわかったとしても適切に解呪出来るかどうかはまだわからない。単純な呪いでない方が、
とかく、鎧の類いは面倒な仕事なのだ。
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