04 図書館の主

 この街には古い図書館がある。


 古い活版印刷の本から貴重なコデックス、果てはいつの時代のものかもわからない巻物まで、沢山の書物が所蔵され、街のあらゆる記憶もここに保管されている。

 この領地を最初に治めていた伯爵の趣味で、実に細かく当時の記録が残されている。税収や人口、人事に行事、ちょっとした事件に至るまで、この街に限ってはわからない事などないと言える程に細かい記録が現在まで残されている。


 なにしろ「伯爵の命令でこの街の記録を残す事になったという記録」が残されているのだから大したものだ。

 領主が変わっても街の記録は変わらずに追加され続け、今でも記録係は街の要職の一つとなっている。


 建物は街の中心部に近く、外周に近い自宅兼店からはそれなりに歩かなければならない。

 大きな通りから少し外れた所にあるその建物は、街のどの建物よりも古く、しかし豪華だ。図書館というよりは寺院のような歴史ある建物を思わせる荘厳な作りで、初めて訪れるものが住所だけを頼りにここまでやってきたとしても、実際にこの建物にたどり着ける人は殆どいないだろう。


「やあ、通っていいかな」

「ああ、お久しぶりです。一応タグを拝見させてください。……はい、ありがとうございます」

 ここに所蔵されている本は貴重なものばかりなので、ある程度の地位や資格がないと入る事すらできない。通用門で身分を証明出来るものが提示出来なければ、そのまま踵を返すはめになる。

 通用門にある小さな小屋で暇そうに座っている兵に探索者時代のタグを見せる。顔見知りとはいえ、けじめは必要だ。


 探索者なら誰でも通れるという訳ではない。当時それなりに頑張っていたおかげで、僕のタグはこういう場所の出入りが出来る便利なアイテムとなっている。

 探索者時代の思い出は、あまり良いものばかりというわけじゃないので、普段はこの金色の金属片を取り出して眺めるような事はないのだけれど、この街に住む限りは様々な特典が付いて来るので手放せないのだった。


「じゃ、司書殿にご挨拶に伺おうかな」

「最近顔を出さないと少し拗ねておられましたよ」

「そいつは失敗したな。大きな仕事がなかったもんで」

「では、ごゆっくり」

 見張りの兵に手を振って、奥の本館の扉へ向かう。


 門から本館まではちょっとした庭が整備されていて、季節に合わせて様々な花が咲く。日によっては遊牧民が設えた絨毯のように、色鮮やかな空間が出迎えてくれる。

 前回立ち寄った時とは花の色が全く違っていた。少し間を開けすぎたかもしれない。


 大きな扉をゆっくりと開けて、静かに……中にいる人に気付かれないように音を立てないように入っていく。

 薄暗く、人影もない室内では、誰かが本のページをめくる音だけが聞こえてくる。


「風が入る。寒い」

「す、すまない」

「……どうした、早く来ないか」

 促されるままに扉を閉めて、息をひそめながらゆっくりと声の主の所まで歩く。

 声の主は、入口の司書の席に座っていた。


「久しぶりだな」

「あ、ああ……すまない」

「なぜ謝る?」


 司書のための大きな背もたれのついた椅子に、不釣り合いな程小さな少女が座っている。

 カウンターに置かれた大きな本に視線を降ろしたまま、抑揚のない喋り方で話しかけてきた。


「寂しい思いをさせてしまったかなと思ってね」

「特にそういった感情をお前に抱いたことはないが」

「そうか、それなら……」

「まあ、なんだな」

「?」

「次は、花を……見逃さないように……な」

「そうだな。すまない」

「だからなぜ謝る」


 小さな少女は、そこでようやくこちらを向いて、ほんの少しだけ表情を和らげた。

 ゆったりとした白いローブと、銀色の長い髪に、真っ白な肌。

 彫りの深い端正な顔立ちや、ローブから覗く真っ白くか細い手を見ていると、名のある芸術家による彫刻を見ているかのような気分になる。

 実際、初めて図書館に来て彼女を見た時は、ページをめくる手が動くまで本当に置物かと思ったほどだ。


「何か、捜し物か」

「ああ。昔のことを知りたくて」

「魔導書以外にお前が本を読むようになるとはな」

「むしろ魔導書なんてしばらく読んでないね」


 探索者だった時代は、ここに魔導書やそれに類する資料をよく読みに来ていた。

 当時は他に趣味らしいものもなく、探索の予定のない日はほとんどここに入り浸っていたので、彼女ともすぐに顔見知りになった。

 感情をほとんど表面に出さず、小さな声で呟くような独特の喋り方は、初めて会話した時から殆ど変わっていない。最初は嫌われているのかと思ったほどだが、程なくしてそういう人なのだという事は理解出来た。

 それでも、何かある度につい謝ってしまう癖は抜けない。


 一般の利用客のほとんどいないこの施設で週に何度も通っていれば、顔を覚えられようというものだが、最近はこういう仕事でもない限り立ち寄らなくなってしまったので、少しバツが悪い。

「今日は、職人……甲冑に関連した人の事を知りたいんだけど」

「街の記録だな。少し待て」

「ああ、すまない」

「謝るな」


 ようやく彼女が大きな本を閉じ、かけていた眼鏡を外して傍らに置いてあった金属の板を持ち上げる。

 板は本よりは少し小さく、厚みは硬貨数枚分といった所だろうか。角は丸く整えられていて、裏面は綺麗に研ぎ出された平面だ。

 小柄な彼女が片手で軽く取り回せる程度なので、見た目に反してかなり軽いらしい。


「照会。……甲冑……職人……記録……」

 金属の板の表面をなぞりながら、探したい本の条件を口にしていく。少しずつ条件を増やしていく事で、本の置かれている場所を絞り込んでいくと、表面に場所が現れるらしい。

 この図書館は地上よりも地下にずっと深く伸びている。最下層が何階なのか、もはや誰もわからないとすら言われるほど深く、どこに何があるのかもわからない。


 町外れのダンジョンとどちらが深いのか議論が起こったり、最深部で繋がっているのではないかという噂が出るほどなのだ。闇雲に歩いて探しても、目的の本にたどり着けることはまずないだろう。

 そこで、司書である彼女に頼んで場所を絞り込んで貰う必要がある。


「地下一階の、三の五の八」

「助かるよ」

「まさか百年も経って本当に役に立つとは思わなかった」

「感謝しているよ、モーリス」

「……頼まれたからやっただけ。他にする事もなかった」

「それでも、礼を言わせてもらうよ」

「まあ……好きにすればいい」


 この街が出来たときから存在する、記録係という要職に最初に就いて、今でも唯一現役なのが彼女だ。当時の伯爵から直接頼まれたのだという。

 お察しの通り、彼女は普通の人間ではない。

 エルフと呼ばれる、人間より妖精に近い種族だ。魔法の素質に長け、その寿命は千年とも言われている。


 長い間若く美しい姿を保ち続ける彼女らは、多くは深い森の中で暮らしているため、あまり人前に出ることはない。しかし中には優れた魔法の力を活かすために冒険者として暮らす者もごく少数いるため、迷宮街では他の地域に比べれば幾分目にする機会は多い方かもしれない。


 彼らの言葉は我々のそれとは使い方も発音もかなり違うため、人間社会で生きるエルフは人間社会用の名前をつける者が多い。

 彼女の名前も、当時の領主に付けられた名前らしい。

 何故男性名なのかは本人も覚えていない……、というよりは、当時これが男性名だという事を知らずに受け入れていたということらしいのだが。


「これを忘れるな」

「ああ、すまないね」

「謝るな」


 地下の探索用に、魔法のランタンを渡された。

 火事を防ぐため、たいまつや油で火を付けるタイプのランタンは持ち込みが禁止されている。ここに入れる人の大半は魔法が使えるので、自前の魔法で灯りを作るのだが、僕は魔法が使えないので毎回彼女に魔法のランタンを用意してもらっていた。


 見た目も明るさも通常のランタンと大きく変わらないが、油が入らない分軽く、熱もないために持ち方も自由に出来る。腰のベルトに付けておけば両手が塞がらないのでダンジョン探索時にも便利だ。行くのは図書館だが。


「じゃあ、行ってくる」

「ああ」

 返事はしつつも、彼女の目線はすでに手元の本に戻っていた。


 階段を降りると、もうほとんど光は入ってこなくなる。

 ひんやりとした空気の中、自分の足音以外の音が聞こえてこない。

 腰に付けたランタンが照らす、数メートルの空間だけが自分に認識できる限られた領域だ。

 通常のランタンと比べて光の範囲は多少広いものの、それでも歩く速度はかなり落とさざるを得ないし、現在地の確認もしていかなければあっという間に道に迷う。


 何しろどこを見ても本棚しかなく、通路自体も似たような構造が続くのだから、距離感すらおかしくなってしまう。

 魔物が出ない事以外はダンジョンを歩いているのとあまりかわらない緊張感がある。

 ダンジョンと違って一人であるというのも大きいかもしれない。


 不思議なことに、この図書館の地下階に降りたときは、いつ来ても誰とも出会う事がない。

 決して僕以外の利用者がいない訳ではないし、モーリスと誰かが話しているのを見たこともあるので、偶然が重なっているとも思えない。

 しかし、中で誰かとすれ違った事が、今まで本当に一度もないのだ。

 広いとか以前に何か理由があるような気がするのだが、そのうち彼女に何かからくりがあるのか聞いてみよう。


「この辺りのはずだが……」

 真っ暗な中を歩いていると、時間の感覚がおかしくなっていく気がする。

 相当な時間を歩いていたような気もするし、意外と短かった気もする。

 とにかく黙って歩き続けて、ようやくモーリスに言われた区画に近づいた。

 腰のランタンを外して看板や棚を照らし、場所を確認していく。


「……ここか」

 指定された区画にたどり着いたようだ。

 棚から適当に本を取り出すと、確かに街の初期の職人に関する事が書かれていた。

 驚くべき事に、職人のジャンル別にそれぞれの名簿が作られ、名前や仕事内容以外にも家族構成などまで記されている。


 刀剣の本には今でも語り継がれる名家の紋章が記されていたり、意外な名前が残っていたりと大変興味深い。

 仕事柄、作り手についても色々と知る機会が多いため、今に続くルーツをこうやって眺めているだけでも楽しくなってしまう。

 ついつい無関係な部分に時間を取られてしまったが、慌てて本を片付けて本題に入る事にする。


 甲冑の職人に関する本を取り出し、紋章を探す。

 リトさんの家の紋章は、甲冑と金床と炎がモチーフに取り入れられていた。

 これはそのまま甲冑の職人の家である事を示している。

 もちろん甲冑の職人は彼女の家だけではないので、クレストやサポーターに独自のモチーフが追加されていく。

 少なくとも同じ街の中で同じ紋章を複数の家系で使われる事はあり得ないので、本の中に彼女の家にあった紋章が見つかれば、そこで特定が可能だ。


「……あった!」

 彼女の家にあった紋章と同じものが見つかった。

 予想通り、これはヴェレント家のものだった。

 迷宮街が生まれた時にあった最初の職人の一人で、実用性と装飾性の両立を見事に成し遂げた、街の外でも有名な職人だ。


 制作時期や構造を考えても、あの甲冑の制作者はヴェレント家の中でも初代であるグレフ氏で間違いないだろう。

 彼の作品には色々な噂があった。

 今度はその噂について調べるため、一旦モーリスの元に戻って、もう一度地下に潜らなければならない。


「まだ調べるのか」

「ああ、ヴェレント家の事を知りたいんだ。特に初代の」

「グレフか。大人しくて、いつも誰かに謝っていたな。お前みたいに」

「確か、彼の作品には欠番というか、売られなかった作品がある、という話があったと思うんだが」

「あった。記録も残した」

「その場所はわかるかな」


 返答の代わりにモーリスは金属板を取り上げ、照会を始めた。先ほどの照会よりも内容が具体的なので、場所は容易に特定出来るんじゃないだろうか。

「地下一階の、四の二の……六」

「すまない、助かるよ」

「謝るな」

「じゃあ、また行ってくるよ」

「ああ」


 今度の本棚はさっきの場所からもほど近い。

 場所がわかっているというだけで、移動時間も心なしか早く感じられる。

 現役の探索者時代にはもっと下層まで降りていたが、あの頃は歩き慣れていたし、景色ももっと区別がついていたように思う。

 全く同じように見える本棚も、そこに収まっている本の量や種類などで全く違う表情を見せてくれていた。

 まあ、今更昔に戻りたいとか郷愁の念に駆られたわけではないけれど。


「これか……」

 指定された区画には、ヴェレント家についての詳しい書物が置かれていた。

 まさか特定の家の事柄だけで一冊の本があるとは。

 もちろんこの辺りの本は、本というよりは豪華なノートというべきもので、何かある度に記録が増えるように後半は白紙のままだ。ページにはかなりの余裕があるので、まだ百年以上はこの本一冊で賄えそうだ。

 どうやって記述されているのかはわからないが、とんでもない労力である事は間違いないだろう。


「グレフ氏の項目……ロストナンバー……ここだな」

 彼のページにはその生涯についても細かく書かれていて、人となりがよくわかるようになっていた。一般的な職人のイメージとはちょっと違う、とても謙虚で繊細な人だったようだ。モーリスの言っていた、いつも誰かに謝っていたというのは、そういう所からきているのだろう。

 リトさんがその血筋に連なるというのはちょっと想像が付かないが。


 彼は晩年に客の要望ではなく自分のために十体の甲冑を作り上げたという。そしてそれらは芸術性と実用性の融合の到達点ともいうべき、青く美しい甲冑で、非常に高い値段で取引された。

 兜には全てナンバーを隠し入れてあったが、九番の作品だけが世に出ることがなく、今でも見つかっていないという事も記載されていた。

 リトさんの甲冑に書かれていたナンバーはこれに一致する。

 制作者の特定は、案外あっさりと完了した。

 ほっと胸をなで下ろし、まだ時間に余裕があるので、せっかくだからもう少しだけ読んでいくことにした。


 ランタンの灯りは、まだ持ってくれるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る