08 聖騎士
通路の先からやってきたのは、四階では最も恐れられているモンスターだった。
緑色の大きな体を四本の足と長い尻尾で支え、長い首とコウモリのような羽根を揺らしながら悠々と歩いてくる。歩くだけで通路は揺れ、羽根の先が壁を擦るだけで石が削れていく。
ドラゴンだ。
この世界において、神に唯一対抗出来るほどの力を持つと言われる種族。
上位の存在であれば言語を解し、魔法まで使う高度な知性体である事が知られている。
大きな羽根のせいもあって通路はほとんど埋まり、一本道のこの通路を先へ進むにはこのモンスターを倒すしか方法はなくなった。
僕らの姿を認識すると立ち止まり、蛇が鎌首をもたげるように頭を高々と掲げ、僕らを見下ろしている。
やがて顔を一瞬あげて大きく口を開き始めた。
「いかん、メリト!」
「わかってる! 【空壁】!」
メリトの呪文とドラゴンのブレスが吹き荒れるのはほぼ同時だった。
高温、高圧のガスが僕らに襲いかかるが、メリトの【空壁】のおかげで目の前でほとんど無力化された。
ドラゴンは出会い頭にブレスを吹く事が多いというのをうっかり忘れていた。メリトが対応してくれていなければ、今頃全員が酷いダメージを負っていたかもしれない。
「ガスドラゴンか! でかいな!」
ブレスが効かなくて訝しげにこちらを見ている目の前の巨体の正体は、ロックの言う通りガスドラゴンだった。
ドラゴンとしては比較的劣等種に類するらしく、これといった特徴がない。ブレスも高温ではあるが強い毒性はないので【空壁】の魔法による障壁で威力や熱さえ抑えれば、今回のようになんとかしのげる。
ブレスさえ何とかなれば、ダンジョンのような閉鎖された空間では飛び回ることも出来ず、むしろこちらに有利と言えるかもしれない。
ガスドラゴンという名前は、それしか能がないという皮肉で付いた名前なのだろうか。
そうはいっても波の探索者からしてみれば、その硬い鱗も強靭な爪も、何もかもが脅威となるのは間違いない。
「ロックさんは左足を狙って先制しかけて下さい。注意をそらせればいいので無理はしないで。ロールさんは【暗霧】を」
「あんなデカ物相手に無理する気にもなんねえけどな」
「メリトは次のブレスまで待機で。あとマリクは、隙見て何とかして」
「だんだん指示が雑になってない?」
「わたしの何よそれー」
複数の敵が混在する状態で、それらを倒す順番によって被る被害が大きく変わる場合は具体的な指示を出した方が効率は良い。しかし敵が一体でとにかく早く倒した方がいいだけというなら、マリクが全力を出せるように周囲がお膳立てを整えればそれで何とかなる。
彼女にはそれだけの強さがあり、この程度の階層で後れを取るようなモンスターなどいない。
「よいしょっ!」
そして実際にマリクは、緊張感に欠ける掛け声と共にガスドラゴンを一刀のもとに斬り捨てた。
長い首が根元からきれいに切り離され、勢いよく吹きだした血と共に飛んで行く。
ドラゴン特有の固い鱗も、骨も、まるでそんなものが最初からなかったかのように、蕪か何かを切るかのように、すっぱりと切り落としてしまった。
頭を失った巨体はバランスを崩し、壁にもたれかかりながら倒れていった。
「嘘だろ……」
ドラゴンの血を慌てて避けながらも、マリクの腕前に改めてロックさんが驚いていた。
ロールさんも、声には出さないものの、同じような表情で飛んで行った首を見つめていた。畏敬よりは、畏怖の目に近いのは、致し方ない所かもしれない。
確かに普通に考えて剣の刃の長さより太い首が一刀のもとに斬り捨てられるというのはなかなか見られない光景ではある。
剣術には詳しくないが、剣に気を込めるとかそういう特殊な技で威力を高める方法があるのだそうだ。本来は相当の集中が必要な技らしいのだが、彼女は短時間でその技を使える状態にまで高められる。
一瞬だけエーテルを刃に宿らせているとか、そういう事が行われているのではないかと言われている。いつか検証してみたいと思っているのだけど、なかなかそんな暇が彼女の方にないのが残念だ。
「さすが聖騎士様は腕前落ちてないな」
「鍛えてるからー」
「鍛えて何とかなるレベルなのかよ……」
「んー、わたしが出来たから、ロック君にも出来るんじゃないかなー」
彼女の努力は常人が真似出来る領域ではないのであまり参考にならない。一度だけ普段の鍛錬に付き合ってみた事があるが、彼女のやっている事の二割も出来れば良い方だった。量もそうだが、質もだ。
こともなげに凄い量と内容の鍛錬を、恐らくは今でも毎日繰り返しているだろう。
体を鍛え、強くなる事以外に何も興味がないという彼女は、文字通り人生の全てを捧げてこの強さを手に入れた。
本当の凄さはその努力の量ではなく、それを努力だとか苦労だとかそういう感覚を持っていない所だ。必要な結果を求めるための方法として当たり前にそれを受け入れ、呼吸や食事をするのと同レベルで実行している。
普通の人間にはそんな事は出来るはずがない。
「マリク、普通は出来ないからな」
「えー。普通だよー」
凄い奴というのはどうして自分の凄さに無頓着なのだろうか。周囲の人間も常人じゃない事が多いので基準が少しおかしいという事を差し引いても、彼女らはその能力の価値をなんとも思っていない事が多い。
幸いにして周囲が認めてくれているおかげで、司祭だの聖騎士だのといった役職に付けている。報われているだけマシかもしれない。
「なんか、このメンバーでいると楽だけど自信なくすな……」
「いやいや、そんな事ないよ! さすがデュマが推薦してくれただけの事はあるからね!」
「そ、そうかな?」
「そうですね。途中から以前いたメンツで戦うような指示を出してしまう事もありましたが、ロックさんもロールさんもそれに応えてくれました」
メリトが目配せしてくれていたのだけど、お世辞抜きで二人の能力は高いと思う。
魔法のタイミングや攻撃すべき箇所など、だいぶシビアな場面も多かったはずだが、彼らは十分対応してくれていた。
能力も高いが、状況を把握して、どう動くべきかをしっかり理解出来ていたからこそ、正確な行動が出来たのだと思う。
特に二人が連携する必要がある場面ではこっちが驚くほど理想的に動いてくれていた。
その辺はこの二人だからこそ、かもしれない。
「そうは言っても、あんな風には強くないからなあ」
「その辺はマリクやメリトは、何というか年期が違うというか年が……」
「おっとそこまでだ」
「カルー、そういうのはダメだよー」
「気にしてたのかお前ら」
「メリトが気にするからダメー」
「あれっ、わたしだけ?」
「まあ、とにかく頑張っていればまだ十分強くなれますよ、二人とも」
年齢のことはさておき、強くなれるかという点については間違いないと思う。それこそ、年齢を考えれば二人の伸びしろは実に長いと言える。
またワイワイと雑談しながら進んでいくと、もう一つの昇降機の前までたどり着いた。
昇降機とはいいつつ、一階から四階を結ぶものとは違って、こちらは動作していない。
未だにこれがどの階層と繋がるのか判明していないのだ。
「これが使えれば一気に下まで降りられるんだろうなあ」
「どこまで繋がってるのかわからないんでしたよね」
「動いた事もないみたいだし、動かし方もわからないらしい」
何らかのアイテムとか、動作させるための条件であるとか、そういったものが未だに判明していないのだそうだ。
こればかりは僕が現役だった頃から変わっていなかった。
もっとも、今使えたとしてもすれ違いを防ぐためにも結局階段を利用して一階ずつ降りていく必要があるのだけど。
「階段はここから左に曲がった所だったね。急ごうか」
そう言って歩き始めた所で、ロックさんがすぐに立ち止まり、周囲を伺い始めた。
他の人もそれに気付いて歩みを止めて口を閉じる。
また何かモンスターが近づいてきたのだろうか。
さっきのドラゴンと違って大きな足音や叫び声のようなものは聞こえてこないようだが……。
「何かが登ってくるような感じが……」
「階段は、まだ遠いよ?」
「……後ろか!」
振り向いてみると、昇降機の扉がぼんやりと光っていた。
もう一つの昇降機と同じように、いくつかあるボタンも光っている。
そして、確かに地面の下から振動が近づいてきている。ちょうど、昇降機が移動してくる時がこのような感覚になるのは、全員身に覚えがあった。
「動いてるのか!」
「誰かが登ってきてる?」
「気をつけて。誰なのかがわからないですから」
次第に大きくなっていく振動と音に合わせて僕らは身構え、昇降機の到着を待った。何がその中にいるのかわからない。突然の攻撃にも対応出来るように、メリトには【空壁】や【大盾】の魔法を使ってもらい、ロールさんにも【暗霧】などの準備をしておいてもらった。
先頭にはマリクとメリトが立ち、その後ろにロックさんとロールさんが構える。
これで何が来ても遅れは取らないだろう。
「……止まった」
「扉が開きます。気をつけて!」
最後にガクンと一瞬大きな振動が起こり、その後にようやく静寂が戻る。
しばらくして、ガタガタと扉が動き始めた。
長年動作していなかったせいか、動きが悪く、一階からの昇降機に比べて動作が遅い。
ゆっくり開いていく扉の向こうへランタンの灯りを向けて、いつでも飛びかかれる状態を維持していたが、その中にいたのは予想外の人物だった。
「……リトさん!」
「リトちゃんだ!」
昇降機の部屋の中に立っていたのは、盾を構えた戦闘態勢のリトさんだった。
後ろには何人か座り込んでいる。おそらくはパーティメンバーだろうが、誰一人身動き一つしようとしない。
「……騎士……様?」
「リトちゃん!」
リトさんもようやくこちら側が誰なのか認識出来たのか、構えていた武器と盾を降ろした。
そのまま剣を握る手は緩み、枷から逃れた剣は宙に放たれ、地面に落ちていく。
彼女自身の体も、吊っていた糸が切れたようにゆっくりと崩れ落ちていく。
「リトちゃん!」
剣が地面に落ちる音と、マリクがリトさんを抱きとめる音はほとんど同時だった。狭い室内に、金属がぶつかる大きな音が響く。
「おい、大丈夫か!」
「リトさん!」
「しっかりして!」
大きな音も、僕らの呼びかけも、マリクに抱きかかえられたままのリトさんには、全く届いていないようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます