09 帰還
心の傷は、魔法では回復しないという。
体の傷、損傷を全て魔法で治したとしても、それだけでは死んだ人が生き返らないように、単純に「心の傷を癒やす魔法」というのは存在しないのだそうだ。
神が作ったものの中で、唯一制御出来なかったのが人の心であり、それが故にルーンでも上手く制御出来ないのだ、という説がある。
言われてみれば、人の心を傷つけるタイプのルーンは聞いたことがあるが、その逆は一つも聞いた記憶がない。
事の真偽はさておき、実にもっともらしい説明ではある。
昇降機に乗っていたのはリトさんを含めた六人パーティ全員だった。
彼女以外は意識もあり、重傷者もいなかったのだが酷く衰弱していて、持ち込んだ干し肉のような硬い物が食べられる状況ではなかった。
メリトに【快癒】の魔法で傷を癒やし、水や果物でその場をしのいでもらう。
しばらく休憩を取ったが、その間もリトさんは意識を戻さなかった。
「リトちゃんは担いでいくしかないね」
「あまり長居するのも危険だしな」
「じゃ、カル、お願いね」
「え?」
「そうだねー。甲冑は外してあげるからー」
確かに消去法で考えれば、そういう結論にたどり着く。救出したメンバーはまだ完全に回復はしていないし、戦闘に参加しないのは僕だけだ。
反論をする隙もなく、マリクが手際よくリトさんの甲冑を剥がしていき、袋にまとめていく。これくらいはパーティメンバーに持っておいてもらおう。
甲冑を失い、無防備に横たわるリトさんを見ると、甲冑の分を差し引いてもとても小さく感じられた。
探索者の中でも少数の攻略派に混じり、先頭に立って戦う実力者なので忘れがちだが、彼女はまだ十代の少女であり、こうして見ると本当にそれが実感出来る。
そんな事を考えながら繁々と見つめていたら、メリトからの冷たい目線が飛んできた。
「変な気起こしたらダメだからね」
「この状況でなるかッ」
「世の中広いからね、そういう奴が一人くらいいるかもしれない」
「えー、カルってそういう人だったんだー」
「ほら勘違いする奴が出てくるからそういう発言は控えろ、頼むから」
メリトの悪戯はたまに致命的な被害を起こすことがある。特にマリクは中途半端に解釈して話がややこしくなるので本当にやめて頂きたい。
ここにデュマが混ざると、マリクがややこしくした話を聞いて勘違いしたまま冷たい目で僕らを見るのが大変困る。あの目で見られると本当にこの世界にいる事に対して謝罪しなければならない気分になってしまう。
ダルトはその目で見られるのがどうも好きなんじゃないかという節が見られるのだけど。
あ、「そういう奴」が意外と身近にいた。
「この場合はリトの何に対して邪な感情を抱いてる事になるんだろうな……」
「……ロック?」
「確かに。甲冑がなくなった所なのか、寝てる所なのか、それとも……」
「君たち、あっちの方々が呆れてるからそろそろ出ますよ」
放っておくとどんどん無駄話に花を咲かすようになってきたこのパーティ。マリクの緊張感のなさが伝染してしまっているのだろうか。
マリクに手伝ってもらってリトさんを背負い、総勢十一人で帰路につく。
満足に戦えない人間が七人いるが、突き当たりの昇降機までたどり着ければそれほど困難な道ではないので、問題はないだろう。
それよりも現状で全く意識が戻らないリトさんの方が気になる。傷は全て治ったはずなので、あとはもう本人次第としかいいようがないのだけど。
「よし、周囲に敵はいない。今のうちだ、行くぞ」
ロックさんの指示に合わせて全員で歩きだす。出来るだけ早く移動したいところだが、救出した五人は本調子ではないし、そもそも僕が一番動くのが遅い。
結局ほとんど僕の移動速度に合わせてもらう形で昇降機まで進み、何とか戦闘を回避して乗り込む事が出来た。
「ふう……ここまでくれば一安心だね」
一階まで上がってしまえば、よほどの事がなければ多少の戦闘でも問題が起こることはない。魔法や全体に効果を持つ攻撃をしてくるモンスターがいないので、少し距離を置いておけば巻き込まれる心配はほとんどないからだ。
実際、一度だけコボルドの群れに遭遇してしまったが、彼らの攻撃が戦闘のマリクたちに当たることもなく、流れ弾が後方の僕らに飛び火するような事もなかった。
あっという間に全て斬り伏せてしまい、休憩にすらならなかった。
そのまま進んでいくと、やがて前方に光が見えてきた。真っ暗な空間から差し込む光の強さは、その希望の強さにも匹敵する。
例え夕方であっても地下の暗さに比べれば目もくらむほどの明るさに感じられるものだが、今日はまだ日が傾く前に帰還する事が出来ているので、なおの事明るく、温かく感じられた。
「光だ……」
「そこを左に曲がれば、出口だね」
「助かった……」
救出された五人が口々に安堵の言葉をもらしていた。
心なしか足音が軽快になっているように感じる。一人背負っている僕ですら、足取りが軽くなっている気がするほどなのだから、もっと絶望的な状況を味わった彼らにしてみれば、どれほどの励みになっている事だろう。
「もう少しですからね。出られればすぐに寺院まで案内出来るはずです」
「ああ、ありがたい……」
「頑張りましょうね」
「おおー」
若干弱々しいものの、元気な掛け声が聞こえてきた。
全員自力で歩いて付いてきている。何とかなりそうだ。
相変わらず背中のリトさんは動く気配すらないが。
耳元で微かに聞こえる吐息だけが、彼女の状況を教えてくれている。まだ大丈夫。
そして、ようやく、待ち望んでいた光の中に、彼女を連れて入る事が出来た。
まぶしさに慣れて目を開けると、そこにはいつものように兵士の詰め所があって、その奥に街への門が続いているだけの光景があった。
何も変わらない光景がそこにある事が、どれほどの安心に繋がるか、久しぶりに味わう事が出来た。
生還を喜ぶ人が待っていたり歓迎の催しがあったりしない、入る前と何も変わらない状況がそこにある事で、ダンジョンにいた自分の時間と、そうでない地上の時間がここで交わり、一致する事を実感出来る。
五人のパーティメンバーは、入り口で控えていた寺院の僧侶たちに連れられて寺院に向かって歩いて行った。少し休めば回復するだろう。
「俺たち、つうかリトはどうする?」
「出来ればあまり動かしたくない所ですね」
「前みたいにー、焚き火で休ませておこうよー。あっちで出来たと思うー」
「前って?」
「リトちゃん拾った時のー」
「ずいぶん前だな!」
「そんな事あったんですか?」
それはもう五年か六年くらい前の話。
大崩壊で命からがら上がって来た時に偶然出会った、モンスターに襲われている少女。
その時も目が覚めるまでここにいたのだった。
ロックさんとロールさんに、リトさんが目覚めるまでの暇つぶしと思ってこれまでの経緯を簡単に説明してみた。
二人ともとても興味深そうに聞いてくれたけど、そんなに面白い話だっただろうか……。
「呪い屋さんとリトさんって、そんな前から縁があったんですね……」
「たまたまですよ」
「ううん、たまたまだからこそ、凄いですよ」
「俺たちの出会いなんて酒場での仲間集めからだからなあ」
「それでいいじゃないですか」
劇的な出会いというならそれはマリクとリトさんの方であって、僕は当時は単なる外野でしかなかったし、お互いに顔も覚えていなかった。
その後の仕事に関しても完全に偶然の再会だし、そもそも依頼を受けた段階ではお互いに再会であると気付いていない。
二人が言うほど、面白い事は起こっていないのだけど。
「あの時はー、もう本当に小さくて可愛かったよー」
「今でも可愛いけどね」
「でもドレスとか着てくれないしー」
「モーリスの所で着てたみたいだけど」
「えー嘘ーわたしも見たかったー!」
手足をバタつかせながらうらやましがる聖騎士。
「マリクが頼めば着てくれるわよ、きっと」
「よーし今度お願いしようー」
「モーリスの時もそうだったけど、絶対一緒に着てくれって言われるから覚悟しとけ」
「私も見にいくかな。見るだけ」
「うーん、まあそれくらいならいいかなー」
普段着が甲冑と言われるくらい、それ以外の服装をしているのを見たことがないマリクだが、別にそれ以外の服装をするのが嫌だというわけではないらしい。興味がない、というのは何に対しても拒否感を持たないという事でもあるようで。
彼女のドレス姿……というか、甲冑以外の姿を最後に見たのは、何年前の話だろうか。
「お、俺も見に行っていいかな……」
「ロック……?」
「ん……」
「あ、リトちゃん起きた?」
「え?」
騒々しく雑談を続けていると、いつの間にかリトさんの意識が回復していたらしい。
何度か頭を揺らしては声を漏らし、やがてゆっくりと目を開き始めた。
「あれ……騎士様……?」
「リトちゃんはどこに行ってもマリクしか見てないねえ」
メリトに言われて全員で笑いが起こると、ようやく意識がはっきりしたのか、突然跳ね起きて周囲を見渡している。
「あ、ごめんなさい、敵は! あれ、剣は? あれ?」
まだ混乱したままのリトさんを、マリクが優しく抱きしめて、頭を優しくなでた。手足をバタバタさせながら慌てていたが、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。
「もういいんだよ……。終わったよ」
「あ……マリク、さん……」
大がかりな攻略作戦は、こうして終了した。
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