12 祝杯
魔法と奇跡は似て非なるものであると同時に、本質的には同じものとも言えるものだ。
人の願いが、その意図や意思とは無関係に具現化、実現化する事が奇跡であり、願いを意図的に操作して実現させるようにした技術が魔法である。
それを踏まえると、大崩壊の時の奇跡と呼ばれる現象は、どちらなのかの区別が実に付きにくい。
「僕以外誰も動かなくなった段階でも、モンスターはまだ多数動いていて、人を食う奴もまだたくさんいました。魔法の力も残っていない僕一人でそれらを排除する事は、到底不可能でした」
「私が最後に覚えてたのはー、毒巨人に殴られた事だったかなー。もうカルしか残ってなかった気がするなー」
「早々に倒れちゃって申し訳なかったわね」
「最初に守ってくれたおかげで僕らは今ここにいるからね。最後の【大盾】の効果は大きかったと思うよ」
探索者の基本姿勢は、自分が助かる最善の選択肢を選ぶことで全員も助かるようにするというもので、この時の僕もこの基本に忠実に動いていた。
とにかく誰も失わないために、その状況で何が出来るかをずっと考えていた。
考えると言っても冷静に考えられる時間があるわけがない。目の前には毒巨人や屍肉喰らい、合成獣などのモンスターが暴れ回り、隙を見せれば襲われるような状況だ。
ここで僕が考えていたのは、以前からずっと研究していたとある魔法の事だった。
「状況が逼迫していたので、実際に行動に移せる事といったら、一つしかなかったんですよね」
「それが、魔法が使えなくなった原因なの?」
「死ぬよりはマシかなと思いまして」
奇跡と魔法は本質的に同じものであるという話をしたが、この話を裏付けるものが、エルフと魔女の存在だ。
彼女らは魔法を使うのに呪文を必要としない。
願えばそれが叶うからだ。
しかも人間と違って、長い時間も必要以上に強い願いもなしに、さらにちゃんと制御も出来ているので、彼女らのそれは、分類するならやはり奇跡ではなく魔法という事になる。
人間の使う魔法は、呪文という公式を利用して、そこに記された効果を発動させる事しか出来ない。正確に呪文を唱えなければ魔法を使う事は出来ないし、その効果は昨今では戦闘に関するものばかりが研究されている。
エルフの、というかモーリスのやり方を見ていると、魔法というのはもっと自由に、様々な事に活用出来るのではないだろうかと思うようになっていた。
調べていくと、僕と同じ事を考えた人が大昔にいたようで、そしてその人は一つの答えを導き出していた。魔法と奇跡の境界線を極限まで曖昧にして、人の願いを出来るだけ手短に、そのまま実現させようという呪文を開発していたのだ。呪文を使用して呪文の制限から解放するという矛盾した命題に対して、この魔法使いは何年も研究し続けた。
しかし、出来上がった魔法は制御しきれない大きな力の行使と、多大な代償を術者に支払わせる、実験的で未完成な術だった。
開発者の意図に反してその魔法は【大変異】と名付けられ、同時に禁呪として使用が禁止されてしまう。魔法使いの中には、これは魔法とは呼ばないと断じるものもいたという。
これ以後の魔法研究は、より呪文の精度を上げて用途をはっきりとさせる方向に、より強く舵を切っていく事になる。
この魔法についての問題というか気になる点としては、この開発にはどうも愚行の女神が関わっているのではないかという節が見られる点だ。資料を読み進めると、研究していた魔法使いに見目麗しい美女が訪れ、無償で研究の援助をし、協力してくれたという記述が出てくる。
彼女に関する記述はとても他のことと比べても感情的で、詳細に描かれており、その描写は他の愚行の女神に関する書物などの内容にかなり近い。
今となっては確認する術もほとんどないが、彼女が何の意図があってこの魔法に協力したのか。文字通り神のみぞ知るという奴である。
という訳で様々な問題点もあり、使用を禁じられている魔法ではあるが、進退窮まり、すでに立ち上がる事も出来ないほど消耗し、「絶望」以外に説明出来る言葉の見つからなくなった状況では、もはやこれを使う以外の選択肢が思いつかなかった。
「……本気でそんな魔法を使おうと思ったの? まあ使ったから今ここにいるんでしょうけど」
「何しろ代償を支払うのは術者であるという事だけは間違いありませんでしたから」
「ほらー、リトちゃんと同じような事いうでしょー?」
「この自分の事は二の次って感覚がねえ」
「えー! わたしそういう風に見られてるの?」
「困ったものですね……」
「困ってる対象は呪い屋さんなんだけど!」
この話について、リトさんに負けじと興味を持っているのがロールさんだった。現役の魔法使いとして、耳慣れない魔法の話は色々と気になるらしい。
多分今後の参考になるような話にはならないと思うけれど。
「あの、その魔法は、結局どんな魔法なんですか?」
「あー、さすが現職の魔法使いさんは気になるんだねー」
「名前も……聞いたことありませんでしたから……」
「俺たち、あれ以来結構図書館行ってるんだぜ。元々ロールは研究熱心だったし、旧図書館にも行って本を読んだりしてるんだけどさ。それでも初耳だぜ」
「この街が出来る前の話ですからね、載っている本はそう多くありません。モーリスに頼んで、本気で探さないと、あの図書館では見つけられないと思います」
迷宮街で作られたものであれば、必ず何らかの形で記録が残っていたのだろうが、これは相当昔の話であり、禁呪扱いとなった後ではなかなか記録にも残っていかない。僕自身も探すのには相当苦労した覚えがある。
「そんなに前の……」
「で、本題入ってもらえるかしら?」
「そうですね。いよいよモンスターが僕らを捕食しにかかった所で、【大変異】を使いました。この魔法は術者の願いを叶えるというものなのですが、使うとどのような形で願いが叶うのか、についてはわかっていませんでした」
「本当によくそれで使おうと思ったわね」
「怖くて試せませんでしたから」
実際には呪文を知ったのがこの探索の数日前だったので試す時間がなかったのだった。もっとも、制御も出来ず、代償も大きいという事なので気軽に試せるものでもないのだけど。
そんな訳でいきなりの出番となり、魔法の効果も全て実地で確認する事となった。
「呪文を唱えると、周囲が光に包まれて、急に何も見えなくなりました。そして頭の中に何かが語りかけてきます」
「なんて言ってくるの?」
「確か、願いを聞き届けよう……とか、そんな感じの事を」
「大変異なんて名前なのに、願いを聞いてくれる魔法なんて面白いわね」
「名前を付けたのは他の人ですからね」
魔法の本質は人の願いである、という事からこの魔法は人の願いを聞くようになっているのだと思う。いわゆる奇跡と違って、この魔法はちゃんと願いを聞く事が大前提となっている。発生するかどうかがわからない奇跡とはそこが全く違う。
しかし、その後の願いの叶え方については、術者自身が制御出来ない、予想も出来ないという意味では奇跡と呼ぶものに近い。
僕が願ったのは、この場からの脱出と、全員の回復だった。
心の中でそう願うと、光が消えてモンスターの暴れ回る光景に戻された。パーティメンバーは倒れたままで、僕の体力も、肌に張りついたどす黒い血も、何もかもそのまま変わりなかった。
何も変わらず、何も起こらなかった事で落胆し、怒り、持っていた杖を床に乱暴に叩き付けた。真ん中で折れた杖の先端は近くで倒れていた巨人の死体に食らいつく屍肉喰らいに当たったが、滅多にありつけないご馳走の方が大事らしく、気にもとめずに食事を続けていた。
万策尽きた状態でやけになって大声で叫んだ瞬間、何の前触れもなく目の前の景色が変わった。
変わったといっても石畳の感触は変わらず、灯りの乏しい真っ暗な空間である事も変わりはない。しかし周囲で暴れ回っていたモンスターは全ていなくなり、全ての音と、漂っていた死の匂いも消え失せた。
その場に残っていたのは僕たち六人だけで、他には何もなかった。身につけている物以外も全てなくなっていたので、道具や地面に落とした武器なども、全て消失していた。
「そういう訳で、突然どこかへ転移させられてしまったわけです。慌てて立ち上がって周囲を見渡すと、パーティメンバー五人は全員安らかな寝顔で寝てました。それはもう腹立つほどに。服や鎧の破損はそのままでしたが、怪我は全て何もなかったかのように消えていましたね。血の跡も怪我の跡も見当たりません。もちろん、僕自身も立ち上がれるほど回復していました」
「めでたしめでたし……?」
「そうですね。これで無事に全員が帰ることが出来たわけです。途中でモンスターに襲われるリトさんを助けるという出来事はありましたけど」
「あれはー、確か昇降機の前で目が覚めたんだよねー」
全員が目を覚まし、ようやく事態を理解した一行は無事を喜び合い、目の前にそびえていた昇降機の中に入っていった。
一階の構造も変化してはいたが、昇降機の場所そのものは変わっていなかったので、それほど大きく迷うこともなかった。メインの武器は全員失ってしまっていたが、懐に備えていた短剣などの武器を使えば、この辺りのモンスターなら簡単に倒す事が出来るだろうと思っていたし、実際その通りだった。
以前も何度か話した通り、その帰りの途中でモンスターに襲われていたリトさんに至ってはマリクは盾だけで何とかしてしまっている。彼女の盾は左手にベルトを通して固定するタイプだったので、持ち手しかないデュマの盾と違って失われることがなかったようだ。
「持ち物が失われる程度で済んで良かったですね……」
「違うわよ。失ったものは、もっと大きなものよ。それこそ、取り返しの付かなくなるレベルの」
「呪い屋さんの魔法……」
「そうよ! なんでそこをちゃんと言わないのよ!」
「いや、だってそれ大前提の話だから……」
「昇降機に乗る前に皆のランタンに灯りを付けようって言ったらカルの魔法が全然成功しなくて、そこから何を試しても魔法が使えなくて。結局代わりに私が付けたけど、それで微妙な空気で昇降機動かしちゃったじゃないの!」
「あー、そうだっけ……」
記憶を少し戻してみる。
全員が腰に付けていたランタンは魔法で灯りをつけるタイプだったが、僕以外のランタンは全て灯りが消えてしまっていた。道理でやたら暗いはずだと灯りを付けようとした所、魔法が全く成功しなかった。
灯りを付ける魔法【幻光】は僧侶の魔法の中でも初歩のもので、当時既に司祭となって僧侶の魔法も覚えていた僕としては、そう何度も間違えるようなものではないはずだった。
魔法の使えない区画なのかと思ったが、メリトによってランタンの灯りは着けられ、その可能性もなくなった。
慌てて【小炎】や【鉄身】といった魔法使いの初歩の魔法も試してみるが、これも一切発動しない。
僕は、これが【大変異】の代償なのだと一人で納得していたのだけど、周りが驚いて大騒ぎ。説明したらしたで怒ったり泣いたりしはじめて収拾がつかず、昇降機を動かすまでにしばらくかかってしまった。
怪我が治っているように見えても他におかしな所があっては困るので、出来るだけ早く地上に戻りたかったのだけど、なかなかうまく話を切り替えられなかった
「とにかく早くみんなを地上に帰したかったんですけどね」
「ほらー、またリトちゃんと同じような事言ってるでしょー?」
「仲間気にしてもダメなのかよ」
「そこじゃないわよ。完全に自分の事おざなりにしてるじゃない」
「それは優先度の差の問題であって……」
「まあ、とにかく呪い屋さんが魔法を使えなくなった理由はわかったわ。それはもう一生の事なの?」
「そうですね。それから色々調べたんですけど、戻す方法が見つからなかったので諦めました。今はもう、鑑定屋でも食えてますし」
「そっか……。さて、話も聞けたし、十分休ませてもらったから、そろそろ帰ろうかな」
「大丈夫? 寺院で休めるけど?」
「ここからなら、家の方が近いから平気」
「それじゃー、今日はここまでー。おつかれー!」
「おー」
現役時代の雑な解散の仕方で今回の探索は無事終了。戦利品がないので今回はこれで問題はないだろう。街の門を抜けてしまえば、それぞれ別な方向に分かれていく事になる。
「さて、行きますか」
「疲れた」
「いや、全然歩いてないですよね?」
「おぶって。歩けない」
「今歩いてましたよね?」
「ダンジョンの中は呪い屋さんがおぶって運んでくれたんでしょ?」
「そうですけど……」
周囲を見渡し、他のメンツが完全に見えなくなるのを確認してから、リトさんを背負った。
こんなところを見られたら、後で何を言われるかわからない。
「……どうぞ」
「あはは、楽ちん。さあすすめー!」
「今回だけですからね……」
重さが緩和された代わりに、町中は道の悪さと勾配がつらい。
もちろん重いなどと口にしたならば何をされるかわからないので、黙って足を進める。
そんな気遣いなど意にも介さないように、背中の上の人は上機嫌だ。
疲れて歩けないんじゃなかったのか……。
「ダンジョンもこうやって進んだら楽かなあ」
「モンスターに襲われた時に一手遅れますよ」
「そりゃそうか」
それに、背負っている人の方が戦闘時に役に立たなくなりそうだ。
「……ねえ、呪い屋さん、あのね……」
「なんですか?」
「……。ううん、何でも無い。もう少しだから頑張ってね!」
「はいはい」
何か言いかけて以後は、本当に疲れてしまったのか、ほとんどしゃべる事もなく、お互いに会話もないままリトさんの家まで来てしまった。
ダンジョン内で歩くより長かったような気がする。
「……着きましたよ……」
「ありがと!」
颯爽と僕の背中から降りたリトさんは、軽快な足取りで扉の前へ進み、鍵を開ける。
疲れて歩けないんじゃなかったのか……。
「おつかれさまでした。マウジには僕の方から連絡つけておきますから」
「ありがとう……本当に眠くなっちゃったわ。おやすみ」
「おやすみなさい」
人の欠伸は伝染する。
リトさんの欠伸を見てしまい、なんとか我慢していたものの、ドアを閉めた所で我慢しきれず大あくびをしてしまった。
僕もつられるようにすっかり眠くなってしまい、家についてベッドに潜り込み、起きたときには丸一日経過していた。
さすがにリトさんも疲れ切っているのか、その日のうちには店にもこないどころか家から一歩も出ていないようだった。
その隙に、僕はマウジに連絡を取って事情を説明しておいた。誰よりも罪悪感に苛まれていたであろう彼の、心底安堵した表情が印象的だった。
話を聞いていた周囲の客も、今回の立役者の生還を祝って勝手に祝杯を挙げ始めた。
暗い話題が続いていた所なので、とにかく飲める口実が欲しかったのだろうと思うが、辛気くさい雰囲気が続くよりはマシだと思うことにしよう。彼女もよく通っている店なので、本人が来たら来たで再度祝宴を開けば良いだけのことだし。
その本人は結局二日後の夕方に、ようやく僕の店の方に姿を見せた。珍しく静かにドアを開き、懐かしそうな表情で店内を見回す。
ほとんどまともに営業していなかったので、大きな揺れで倒れたり位置がずれたりしたもの以外は、商品にも変化はないはずだ。
「なんだか久しぶりな感じがするわね」
「一週間ぶりくらいですから」
「そんなになるかしら……」
「そのうち二日間は寝てたみたいですけど」
「あんなに寝るとは私も思わなかったわ!」
「魔法では回復しにくいそうですから」
本当に二日間寝ていたらしい。
寝過ぎた事はさておき、しばらくはダンジョンの話で盛り上がった。青い巨人との戦闘時の事や、突然の襲来への備えなど、真面目なリトさんらしい反省点やダメだしが主な話題だった。僕も久しぶりの実戦だったので、今のやり方を聞きつつ、ある程度はアドバイスが出来たと思う。
結局二人とも立ったまま小一時間話し続けてしまった。
気がつけば日も傾いて、そろそろ地平の向こうに落ちていきそうな状態だった。
「ああ、もうこんな時間だ」
「喉が渇いたというか……、おなか空いたわね」
「首なし美人亭に行くと、客が祝杯挙げてくれると思いますよ」
「ああ、ちょうどいいわね。呪い屋さんも一緒にどう? 今日はおごるわよ」
最近は客足も遠のいて久しいし、この時間に客が来ることもないだろう。
僕もお供させてもらうために、店を閉める準備を始めた。準備といっても大した事はなく、あっという間に終わらせてしまった。
「じゃあ、行きましょうか」
「あ、ねえ。呪い屋さん」
「なんですか」
「そういえば、言ってなかった事があったわ」
リトさんにしては珍しく視線を少し外して、口にするのを躊躇していたようだが、しばらくして大きく息を吸ってから声を上げた。
「あのとき……子供の時、助けてくれて、ありがとう」
「だからアレはマリクが」
「ううん。呪い屋さんが皆を助けなかったら、私も助からなかったんだと思う。だから、ありがとう。多分、今まで言ったことなかったと思うから、改めて」
何かと思ったらそんな昔のことを言われるとは思わなかった。傾いて赤くなった日に照らされる以上に、頬が紅くなっているような気がする。
「そういう事なら僕も言い忘れてた事がありますよ」
「なに?」
「おかえりなさい」
「……ただいま!」
こうしてリトさんは、七日ぶりにこの店に戻ってきた。
二日間の惰眠を取り戻すかのように、首なし美人亭では朝まで騒ぎ声が途絶えることがなかった。
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